2-3 レッチュウの妖怪三人衆

 志々間の子どもたちの間では、金五郎や玄馬は一目置かれた存在であった。

 同い年の他の子どもと比べると、二人とも体が大きく、金五郎は力で、玄馬は明晰さによって抜きんでていたからである。

 しかし、いざレッチュウに入ってしまえば、二人の特異性は大して気にならなくなった。

 それだけ鉄五郎組のマタギ衆は、みな屈強で、人間離れした身体能力を持つ者ばかりだったからである。


 中でも、特に並外れた能力とアクの強さから、「志々間の妖怪」と呼ばれる三人のマタギがいる。


 一人目は、治平じへい。レッチュウいちの偏屈者で知られる男だ。

 まだ二十歳過ぎの若手だが、仁王のように厳ついしかめっ面には、既に四十周りの貫禄が漂っている。背丈は低いが、疲れ知らずの鋼の肉体を持ち、冬山に登れば優に十人分の働きをする。

 自分が認めた相手以外には決してへりくだらず、頭を垂れるのは、シカリである鉄五郎ただ一人。


 彼の人となりを表すエピソードがある。

 治平がまだ十になる前の洟垂れ小僧であった頃、不作の秋、餌を求めた熊が里に迷い込んだことがあった。折悪しく両親は出かけており、家には子どもたちだけであった。

 幼い弟妹達を守るため、治平は父親の山刀ナガサを持ち出すと、奇声を上げながら刃を振り回し、熊を追い払いにかかった。半纏を着た童が、真っ赤な鼻からでろでろと鼻水をたらしながら、恐ろしい形相で熊を追い回すさまは、さながら小さな鬼神のごとし。さしもの熊もたじろいだ様子で、スタコラと山に帰って行ったという。

 それで、ついたあだ名が「山爺やまんじい」。子供のころから「爺」と呼ばれ、本人は大層憤慨したらしい。


 金五郎が初めてコマタギとしてレッチュウに加わった日、治平は「シカリの子がへえったってが」と、わざわざ近くに顔を見に来た。

 彼は、威圧感たっぷりに腕を組むと、じろじろと挑むような目で金五郎を睨めつけた。やがてフンと鼻を鳴らすと、「似でねな」と一言言い捨てて、さっさと離れて行った。


 二人目は、信太しんた。ひょろりと背の高い、里一番のノッポである。

 性格は極めて温厚。もともと細い目を糸のようにして、いつもニコニコと笑っている、人の良い男である。

 特筆すべきはその足の速さであり、ひとたび駆けだせば、だれ一人追いつけない。コナガエ片手に走れば、まず間違いなく羚羊アオシシを仕留めて戻ってくるため、絶対的な安心と信頼を寄せられている。

 よって、ついたあだ名が「手長足長てながあしなが」」。これも、本人としてはあまりうれしくない異名のようだ。


 また、信太は常に落ち着いていて、非常時には誰より的確・迅速に対処できる人でもあった。

 山入りして二日目の朝のこと。朝飯の準備をしていた金五郎は、遠くでごうっという大きな音と叫び声を聞き、驚いて顔を上げた。


雪崩ワンバだ!若勢ワカゼが一人巻き込まれた!」


 ワンバとは、硬い雪の層の上に後から降り積もった新雪が、なにかがきっかけで滑り落ちることによって起きる雪崩である。

 この時、みんなから少し離れた所で薪を集めていた嘉市が、巻き込まれて雪に流されてしまった。

 ワンバがおさまった後、みんなで急いで雪を掘り返し、嘉市の体を探した。運よく、すぐに嘉市を見つけることはできたが、その顔は真っ青で硬直しており、息も止まっているように見えた。

 信太は嘉市の顔を覗き込むと、くるりと金五郎の方を見て、落ち着き払った声で言った。


「おい。俺の背負い袋ゼンブクロ、出してけれ」


 信太は金五郎からゼンブクロを受け取ると、中からイタズムキを取り出し、一口かじった。そして、口の中で小さくかみ砕くと、おもむろに嘉市の体の上にかぶさり、口移しで吞ませたのである。

 熊の胆は非常に即効性の高い万能薬として知られており―――同時に、とんでもなく苦いことでも有名である。二、三度口移しに胆を呑まされた嘉市は、不意に、手足をビク、ビクッを痙攣させ始め、やがてごくりと熊の胆を飲み下して、息を吹き返した。


「おう。目覚めたか、若ぇの」

 

 信太はこともなげに笑いながら、朴葉のように大きな手のひらで、ぴたぴたと嘉市の頬を叩いた。嘉市は、何が起こったかわからないという顔で、きょろきょろと周囲を見渡している。

 その後、嘉市は丸二日、殺生小屋の中で休んでいたが、最終日までには無事回復して、猟に参加できるようになった。

 

 三人目は、泰助たいすけ。レッチュウいち、静かで、気長な男だ。

 マタギとしては珍しい、ややずんぐりとした恰幅の良い体形。

 雪焼けしない白い肌と、顔中に散ったそばかす。

 もじゃもじゃの髭と眉。そこへ、半ば埋もれたようになっている瞳は、ハッとするほど明るい色をしている。

 彼はすこぶる口が重く、必要がなければ一日中でも黙っているような男だった。

 一見ぼうっとしていて表情に乏しく、何を考えているのかわかりにくいが、人並み外れて辛抱強い性質が、マタギの仕事で役に立っている。

 以前、鹿猟に出た時には、獲物がちょうど銃口の前に来るまで、雪が降る中を一日中待ち続けた。ついに発砲し、仕留めた時には、体がすっかり雪に埋まっていたという。

 控えめな「ショウブ」の声を聞き、集まった仲間たちは、雪の塊にしか見えないものが泰助の声でしゃべるのを聞いて、腰を抜かしそうになったのだという。

 ついたあだ名が「雪達磨ゆきだるま」。……妖怪かどうかは怪しい所だが、本人は特に嫌とも言わないので、そのまま受け入れられている。


「こうして見ると、レッチュウってビックリどってんするような人間ばかりだなー」


 雑用の合間、大人たちに聞こえない声で金五郎が呟くと、玄馬はこそりと囁き返した。


「一人忘れでるぞ」

「えっ」

「シカリだよ。なして一番すげぇ人ば忘れるんだよ」

「そんたにすげぇんだか、お父は」


 少なくとも、山に来てからは、みんなに号令をかけたり命令をしたりするところしか見ていない。

 今一つピンと来ないでいると、玄馬は「馬鹿」と怒ったように言って、ずいと身を乗り出して来た。


「『鎮魔しずまの鉄砲』、『千里眼』、『五頭一射ごとうひとうち』……渾名を挙げればキリがねぇが、とにかく百発百中の火縄の名手だ。単発の火縄銃で、並の射手が一頭つ間に、五頭を仕留めるっていう早撃ちの腕前。その上、一度も獲物ば撃ち損じたことがねぇって天才だぞ。おまけに志々間の歴史じゃ最年少でシカリば継いだ人だ。滅多なこと言ってみれ。シカリば信奉する諸先輩方にぶん殴られるぞ」

「わがった、わがった。気ぃつけるって」


 ややもすると自ら殴りかかって来そうな玄馬を抑えつつ、金五郎は内心ため息をついた。

 全く、とんでもない人の息子に生まれてしまったものである。


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