第ニ章 シロビレタタケ

2-1 初マタギ

 里が厚い雪に埋もれる厳寒期を過ごし、山にとどろく雪崩の音が少し落ち着いた弥生の頃、金五郎の生活に変化が訪れた。

 コマタギ―――すなわち、『マタギ見習い』として、狩猟隊レッチュウに迎え入れられることが決まったのである。

 志々間の男児は、数え十三でコマタギになるのが通例である。体力的にも精神的にも過酷な春山の猟に耐え、数十日間の集団生活でも困らないだけの分別がつくのがそれくらいだと考えられているからだ。

 しかし、金五郎は特別体の成長が早かったため、予定より二年早くコマタギになることが決まった。また、金五郎に負けず劣らず体格がいい玄馬も、同じくレッチュウ入りすることになった。


「ほれ、ほれ。見れ、これ。おらが一等でがえべァ!」


 手習い所の一角には、子どもたちが背比べに使っている傷だらけの壁があるのだが、一番高いところに引かれた線は、今や金五郎のもの。その次が玄馬のものになっている。

 それを指さして見せた時の、孫七の悔しそうな顔といったらなかった。



 山入り前日の夜、金五郎は翌日身につける装束や携行品の一つ一つを、板間に並べて点検した。

 姉が縫ってくれた、麻の山衣裳みじか山袴やまばかま

 吹雪よけの前掛け。

 綿の手甲脚絆。

 マタギ犬の毛皮―――背中から尻にかけてを覆える大きさのもの。

 羚羊あおししの毛皮で作った、手袋テックリケヤシ足袋ヌックルミ

 編み笠アマブタ金かんじきゴス

 そして、腰に帯びる山刀ナガサ―――これは、マタギの魂とも呼ばれるものだ。

 明日、これらを身につけて華々しく出立するのを想像すると、自然と口元が緩んで、体がむずむずしてくる。


「姉ちゃ、おら達が山入りしてる間は、決して豆ばってはなんねぞ」


 得意げに言ったのは、マタギの家に代々伝わる決まり事の一つだ。

 マタギが山入りをしている最中、留守居の家人たちは、豆を炒ってはならないとされている。理由は、豆がはぜる音が山に響き、雪崩を起こすからだと言われている。こういったことに馴染みが無い者なら、何を馬鹿なと一蹴しそうな話だが、実際、過去に豆を炒った女の夫が、山で雪崩に遭い命を落としたという話もあるから、馬鹿にはできない。

 他にも、「かくれんぼ遊びをしてはならない」、「仰向けで寝てはならない」、「親戚や近所の祝い事に出席してはならない」など、細々とした決まりごとはたくさんある。


 そんな決まりごとなど先刻承知の姉は、針仕事をしながら「へぇへぇ」とおざなりに返事をする。

 しかし、金五郎のおしゃべりは止まらない。


「そんでな、髪は寝起きみでにぼさぼさにしてな、化粧もしではなんねんだぞ。里の女衆がめかしこんでだら、山神様が嫉妬するんでな」

「へぇへぇ。そんたなごど、とうに知っでらがら、心配するでねよ」

「あとあと、おらと父っちゃの枕は神棚に備えて……」

「えい加減、はえぐ寝ねば、起ぎられねぐなるぞ」


 

 出発は早朝。山の入り口にある、山神社に集合することになっている。

 早々と準備を終えた金五郎は、待ちきれずに、玄馬親子を迎えに行くことにした。

 伝統のマタギ装束に身を包んだ玄馬の姿は、まるで初陣に赴く若武者のように様になっていた。

 腰に提げた山刀は新調した物らしく、真新しい杉材の鞘は艶やかで、爽やかな香気を漂わせている。

 見送りに出ていた玄馬の母が、金五郎の分も切り火を切ってくれた。


「金五郎さん、ご立派ね。勇ましいこと。どうぞ、玄馬のこと、よろしくお願いしますね」


 玄馬の母・キリヱは、迫力のある美人だ。息子とよく似た整った顔立ちで、凛とした立ち居振る舞いは優雅で気品がある。

 今日は夫が山入りする日だから、化粧をしておらず、長い髪を結わずに下ろしているが、白粉なしとは思えないほどなめらかな白い肌をしている。

 言葉に訛りがないのは、かつて都から流れてきた高貴なる血を引いているから……などという噂もあるが、さようなこと、金五郎の知る所ではない。

 ただただ、「玄馬の母っちゃは、今日も美人だべ」と見惚れるだけである。


 この日は年明け初めての春熊狩りなので、初マタギである金五郎たちを含めて、二十人ほどのマタギが集まっていた。数日間山に泊まり込み、大人数で熊を囲い込んで仕留める、巻狩りを行うのである。

 山神社で潔斎をしてから、シカリである鉄五郎を先頭に、ぞろぞろと山に入った。


 金五郎は、いよいよ鉄砲を撃たせてもらえるのかとわくわくしていたのだが、無論そう甘いものではなかった。

 新入りの主な仕事は荷運び。鉄砲の代わりに渡された背負子しょいこを担ぎ、先輩マタギたちがずんずん進んでいく後ろを、せっせとついていく。

 山中の殺生小屋についてからは、雑用に次ぐ雑用だ。薪を集め、飯を炊き、配膳をし、散々にこき使われる。

 おまけに、山でも守るべき作法がたんとあり、それを破ると「穢れをそそぐため」と言って、いちいち水垢離を取らされた。

 例えば、うっかり鼻歌でも歌えば、「雪崩が起こる。水垢離だ!」。

 道具を肩に担げば、「肩越して物担げば、獲物も峰越えで逃げる。水垢離だ!」。

 めしに汁をかけても「水垢離だ!」……

 午前の内に三度禁を犯した金五郎は、そのたび酷寒の川に入って水垢離をとり、体中が真っ赤に腫れ上がった。

 これではまるで、下働きと水垢離をするためにレッチュウ入りしたようなものだ。


「実際そうだべな」


 皆が使った椀を洗って片付けながら、玄馬は涼しい顔で頷いた。彼だけはまだ一度も水垢離の刑を受けていないのだ。


「こないだ、権六さんや、芳治さんどごさ、相次いで赤子が生まれただろ。産火を出した家のマタギはしばらく猟に出られねんで、人手が足りねんだよ。俺だつみでな半人前コマタギでも、いなぇよりはマシなんだべ」


 てっきり、父が自分に期待を寄せてくれたのかと思っていた金五郎は、あまりに身も蓋もない言い方に、がっかりした。

 少し離れたところでは、同じくこの春レッチュウ入りした孫七たちが、げんなりした顔で掃除をしている。彼らもまた凍れる山水を繰り返し浴び、体力を吸い取られた後であった。


「金熊。そう気を落とすでね。これは好機だぞ」


 玄馬は頬に飛んだ水しぶきを手の甲で拭うと、ニッと笑顔を見せた。


「数え十一でレッチュウ入りでぎる者など、そう多くはね。手柄ば立てて、孫七達の鼻ば明かしてやろうぜ」


 そして、その意気を試される機会は、存外早く巡ってくるのだった。



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