第5話 どうやら俺のスキル、物理法則という名の『世界の汚れ』も拭き取れるらしい

「よし、行こうかフェリス。裏山へのハイキングだ」


「うむ。ハイキングという言葉の意味はよく分からぬが、主(あるじ)との狩りなら大歓迎だ」


朝食を終えた僕とフェリスは、屋敷の裏手に広がる鬱蒼とした山林へと足を踏み入れた。

フェリスは本来の姿には戻らず、人間の少女の姿のままだ。

ただし、昨夜僕がプレゼントしたシャツだけでは心許ないので、マジックバッグに残っていた予備の冒険者用ズボンを腰紐で絞って履かせている。

ブカブカの服を着た銀髪の美少女。

そのアンバランスさが、なんとも言えない愛らしさを醸し出していた。


「狩りじゃないよ。あくまで水源の確保だ」


僕は歩きながら、進行方向にある邪魔な藪や、垂れ下がった蔦を『掃除』していく。

指先を軽く振るだけで、道が開ける。

鎌も鉈もいらない。僕が通る場所だけが、まるで王宮の庭園のように整えられていくのだ。


「この村の給水設備は、山の斜面を利用した水路を使っていたみたいなんだ。でも、今は完全に干上がっている。原因を突き止めないと」


「ふむ……。水の匂いはするぞ。微かだが、湿気を含んだ風が上から吹いてくる」


フェリスがクンクンと鼻を鳴らす。

さすがは犬……じゃなかった、狼だ。


「でも、変だな。水の匂いに混じって、何かこう……土臭いというか、重たい匂いがする」


「重たい匂い?」


「ああ。空間そのものが淀んでいるような、不快な気配だ」


フェリスの野性の勘は鋭い。

僕たちは警戒しながら(と言っても、僕はいざとなれば『敵意』ごと掃除するつもりだが)、山道を登り続けた。


   ◇


一時間ほど歩いた頃だろうか。

僕たちは、山の開けた場所に出た。

そこは断崖絶壁の下に位置する、巨大な岩場だった。

かつてはここに取水施設があったのだろう。朽ち果てた石造りの水門のような跡が見える。


だが、そこには絶望的な光景が広がっていた。


「……これは、ひどいな」


僕が見上げた先。

そこには、山崩れによって発生したであろう、膨大な量の岩石が積み重なっていた。

水門は完全に埋まり、その上を大小様々な岩が、小山のように覆い尽くしている。

数トン、いや数十トンはありそうな巨岩がゴロゴロと転がり、水源への入り口を物理的に塞いでいたのだ。


「これでは水が流れてこないわけだ。パイプが詰まっているどころの話じゃない」


「主よ、これは無理だぞ」


フェリスが岩山を見上げて首を振った。


「この量の岩盤を退かすには、巨人の軍勢か、国宝級の爆裂魔法が必要だ。我の爪でも、これだけの量を砕くには数日はかかる」


確かに、普通に考えれば撤退案件だ。

重機もない異世界で、これだけの土砂崩れを処理するのは不可能に近い。

だが、僕の感想は違っていた。


「うーん……汚いなぁ」


「はい?」


「だって見てよ、あの岩の積み重なり方。全然美しくない。自然の造形というより、無秩序に散らかされたゴミの山だ。あんなのが水源を塞いでいるなんて、衛生的に我慢ならないよ」


僕は腕まくりをして、岩山に近づいた。


「主よ、正気か? まさか手で退かすつもりでは……」


「手で退かすのは無理だね。重いし」


僕は一番手前にある、馬車ほどの大きさの岩に手を触れた。

ズシリとした重量感。

ビクともしない。

この世界には『重力』という絶対の法則がある。

質量あるものは地に縛られる。

それを動かすには、相応のエネルギーが必要だ。


だが、待てよ?


僕のスキル『ゴミ掃除』の本質は、『不要なものを消す』ことだ。

もし、この岩を動かすにあたって、『重さ』という要素が『作業を阻害する不要なノイズ』だとしたら?

僕が掃除したいのは『水源を塞ぐ岩』という状況だ。

そのためには岩を退かさなければならない。

岩を退かすのを邪魔しているのは『重力』だ。


つまり――重力は『汚れ』だ。


「よし、試してみよう」


僕は岩に両手をつき、意識を集中させた。

対象は岩そのものではなく、岩にまとわりつく『重さ』という概念。

この世界を構成する物理法則の一つ。

それを、あたかもテーブルにこびりついたソースのシミのように認識する。


「対象指定、『この岩に作用する重力』および『質量による摩擦抵抗』。これらは移動の邪魔になる『汚れ』と認定」


頭の中で、カチリとスイッチが入る感覚があった。

今まで「物理的なゴミ」しか掃除してこなかったが、昨日のフェンリルの「呪い(概念的な汚れ)」の除去で確信した。

僕のスキルは、僕がゴミだと思ったものを消せる。

なら、物理法則だって消せるはずだ。


「――『法則拭き取り(ロー・クリーニング)』」


シュッ。


僕が軽く岩を押した、その瞬間だった。


フワッ……。


数トンはあるはずの巨岩が、まるで風船か何かのように、ふわりと浮き上がったのだ。

ゴゴゴ……という地響きもしない。

音もなく、重さもなく、ただの風船として空中に漂い始めた。


「なっ……!?」


フェリスが腰を抜かして尻餅をついた。

目は限界まで見開かれ、顎が外れそうだ。


「主よ……!? な、ななな、何をした!? 岩が……浮いて……!?」


「ああ、やっぱりいけたね。『重さ』を掃除したんだ。これなら簡単に片付けられる」


僕は浮遊する巨岩を、指先でちょんと弾いた。

岩はそのままフワフワと飛んでいき、邪魔にならない脇の空き地へと着地した。

重さが戻る設定にはしていないので、着地音もしない。


「よし、この調子で全部片付けよう」


僕は次々と岩に触れていく。


「はい、これも『重力除去』。これも『無重力化』。おっと、これは大きいから『摩擦ゼロ』にして滑らせよう」


次々と宙に舞う巨岩たち。

傍から見れば、重力を操る大魔法使いの所業だ。

だが、やっている本人は、散らかった部屋のクッションを片付ける感覚だった。


「主よ……アレク様……。あなたは神か? それとも重力を司る星の精霊か?」


フェリスが震える声で呟く。


「違うよ。ただの掃除屋だってば」


「掃除屋は物理法則を書き換えたりしない!!」


フェリスのツッコミをBGMに、僕は作業を進めた。

十分ほどで、あらかたの岩は片付いた。

残るは、水源の真上にある、一際巨大で硬そうな岩盤だけだ。


それは、ただの岩ではなかった。

黒光りする金属質の表面。

異様なまでの硬度を感じさせる質感。


「む……。これは『アダマンタイト・ゴーレム』の残骸か?」


フェリスが警戒して身構える。

伝説の硬度を誇る鉱物、アダマンタイト。

それが魔物化した残骸らしい。

死んでいるようだが、その硬さは健在だ。

こればかりは、いくら重さを消しても、岩盤にガッチリと食い込んでいて動かせそうにない。


「硬いな……。叩いても砕けそうにない」


「当然だ。アダマンタイトは魔法すら弾く。これを破壊できるのは、勇者の聖剣の全力開放くらいだぞ」


「ふーん……。要するに、『分子の結合が強すぎて融通が利かない』ってことだよね?」


僕は困った顔をした。

頑固な汚れだ。

換気扇の油汚れ並みにしつこそうだ。

なら、それ相応の対処をするまで。


「対象、『分子間の過剰な結合力』および『硬度という名の凝り固まり』。これらを『柔軟剤投入』の要領で緩和」


僕は黒い岩盤に手をかざす。


「――『柔軟化洗浄(ソフトナー・クリーン)』」


ブヨヨンッ。


「……は?」


フェリスの声が裏返った。


僕が触れた瞬間、世界一硬いはずのアダマンタイトが、まるで水を含んだスポンジケーキのように柔らかく変質したのだ。

僕はそれを手で掴むと、ムニムニと捏ねて、バスケットボールくらいの大きさに丸めた。


「うん、これなら運びやすい。燃えないゴミとして処理しておこう」


ポイッ。

僕は丸めた元アダマンタイトを、崖の下へと放り投げた。


「…………」


フェリスはもう何も言わなかった。

ただ、遠い目をして空を仰いでいた。

彼女の中の「世界の常識」というページが、音を立てて破り捨てられた瞬間だった。


   ◇


障害物を全て取り除くと、奥からひんやりとした風が吹き出してきた。

そして、チョロチョロという水音が聞こえてくる。


「やった! 水だ!」


岩盤の奥にあった洞窟から、澄んだ水が流れ出して……いない。


「……あれ? なんか色が変だぞ」


流れ出してきたのは、茶色く濁った泥水だった。

しかも、湯気が立っている。


「熱っ!? これ、お湯だ!」


「温泉か? だが、この濁り方……泥と硫黄、それに地下の不純物が混ざりすぎている。これでは泥浴びすらできんぞ」


フェリスが残念そうに耳を垂れる。

確かに、これでは洗濯にもお風呂にも使えない。

パイプが長年詰まっていたせいで、内部が汚れきっているのだろう。


「問題ないよ。水が出たなら、あとは『濾過』するだけだ」


僕は水路の出口に立った。

ここから村まで続く水路全体をイメージする。

流れる水そのものを、僕のスキルでリアルタイム浄化するフィルターを作るのだ。


「設置、『恒久的神聖フィルター』――じゃなかった、ただの『強力濾過結界』」


僕が水路の入り口に手をかざすと、薄い光の膜が張られた。

ドロドロの茶色いお湯がその膜を通過すると――


サラサラサラ……。


膜の向こう側からは、クリスタルのように透明で、キラキラと輝くお湯となって流れ出したのだ。

不純物は全て分子レベルで分解・消滅。

さらに、お湯の温度も「人間(と狼)が一番気持ちいいと感じる42度」に自動調整されるオマケ付きだ。


「完璧だ。これで村まで温泉が引けるよ!」


「……主よ。その結界、国宝級のアーティファクトより高性能な気がするのだが」


「気のせいだよ。さあ、水路を追いかけて村に戻ろう! 一番風呂が待ってるぞ!」


   ◇


一方その頃。

アレクを失った勇者パーティ『天剣の翼』は、撤退戦の最中だった。

場所はダンジョンの中層、『泥の回廊』。


「な、なんだこの泥はぁぁっ!!」


勇者ライオットが絶叫する。

彼らの足元は、膝まで埋まるほどの粘度の高い泥沼になっていた。

ただの泥ではない。

『マッド・スライム』が無数に融合してできた、生きた泥沼だ。


「足が! 足が抜けませんわ! ローブが汚れて重いです!」


聖女ミナが半泣きで暴れる。

彼女の純白の聖法衣は、すでに茶色いボロ雑巾のようになっている。

泥が乾燥するとセメントのように固まり、彼女の動きを封じていく。


「くそっ! 燃やせ! ガイル、魔法で焼き払え!」


「無理じゃ! マナポーションが尽きたと言ったであろう! それに、この泥は魔法耐性がある! 以前はどうやってここを突破したんじゃ!?」


大賢者ガイルが杖を振り回すが、泥を跳ね飛ばすことしかできない。


彼らは知らなかった。

以前ここを通った時、アレクが先頭を歩きながら、

「あ、靴が汚れると嫌なんで、泥の水分と粘着性を『掃除』しておきますね」

と、さらりと地面を乾燥させて固い土に変えていたことを。

彼らが「ここは歩きやすいエリアだな」と勘違いしていた道は、全てアレクによって舗装されていたのだ。


「ぐおおっ! 俺の斧が錆びて使い物にならねぇ!」


戦士ボランが泥の巨人に斧を叩きつけるが、刃が泥にめり込んだまま抜けなくなる。

アレクがいれば、斧に付着した泥を一瞬で『剥離』してくれたはずだ。

しかし今は、泥が楔となって武器を奪っていく。


「逃げるぞ! 装備を捨ててでも逃げろ!!」


ライオットがプライドをかなぐり捨てて叫ぶ。

Sランクの勇者が、泥だらけになって這いつくばり、みっともなく逃げ惑う。

その姿は、かつて彼らがアレクを「汚い」と罵った、その言葉がそのままブーメランとなって返ってきているようだった。


「ちくしょう……! なんでだ……! なんでこんな目に……!」

「アレク……! あいつが呪いをかけていったに違いありませんわ!」

「そうだ! あいつのせいで運気が下がっているんだ!」


彼らはまだ、自分たちの無力さを認められない。

全てを他人のせいにして、泥沼の中で藻掻き続けていた。


   ◇


村に戻った僕たちは、早速成果を確認した。

屋敷の浴室。

蛇口をひねると、勢いよく透明なお湯が噴き出した。

湯気が立ち上り、檜(ひのき)に似た良い香りが充満する。


「うわぁ……。広いお風呂にお湯が溜まるのを見るだけで、こんなに幸せな気分になるなんて」


僕は掃除したばかりの大浴槽にお湯が満たされていくのを、うっとりと眺めていた。

フェリスは脱衣所でソワソワしている。


「主よ、もう入っていいのか? まだか?」


「もうちょっと待って。溢れるくらいが一番贅沢なんだから」


そして数分後。

ザザァーッ!

お湯が浴槽の縁から溢れ出し、洗い場へと流れる。

準備完了だ。


「よし、入ろう!」


「うむ!!」


僕たちは服を脱ぎ捨てた(フェリスは一瞬でシャツを脱ぎ捨てた)。

混浴?

気にしてはいけない。彼女はペット(家族)だし、僕は飼い主だ。

それに、こんな広いお風呂を一人で使うのはもったいない。


チャポン。


「あぁ〜…………」

「ふあぁ〜…………」


二人同時に、魂が抜けるような声が出た。

適温のお湯が、疲れた体に染み渡る。

僕の『濾過スキル』を通したお湯は、肌触りが絹のように滑らかで、入っているだけで肌がスベスベになっていくのが分かる。


「最高だ……。生きててよかった……」


「主よ……これは危険だ……。骨が溶ける……。野生が死滅する……」


フェリスは肩までお湯に浸かり、頭の上にタオルを乗せて、とろけきった顔をしている。

水に濡れた銀髪が肌に張り付き、その肢体は妖艶そのものだが、表情があまりにも無防備すぎて邪な気持ちなど湧いてこない。


「背中、流してあげようか?」


「む? よいのか? では頼む」


フェリスが素直に背中を向ける。

僕はタオルにお湯を含ませ、彼女の背中を優しく洗った。

もちろん、ただ洗うだけではない。


「スキル発動。『毛穴の奥の汚れ』『筋肉のコリ』『蓄積疲労』を『洗い流し』」


「ひゃうっ!? あ、そこ……! あ、アレク様、指が……魔法の指が……!」


「じっとしてて。肩甲骨周りが凝ってるよ」


「はうぅ……! そこは弱点……いや、気持ち良すぎて……んあぁっ!」


お風呂場に響く、少し誤解を招きそうな声。

でもやっていることは健全な垢すり(兼整体)だ。


こうして、僕たちの辺境開拓生活は、最高の温泉と共に本格的なスタートを切った。

水が確保できれば、次は食料、そして住環境のさらなる充実だ。

僕の『掃除』スキルがあれば、この廃村を世界一の楽園にするのも夢ではない。


そんな平和なひとときを過ごしている僕たちは、まだ知らなかった。

この温泉の効能が、『ただ気持ちいい』だけではないことに。

そして、その効能に引き寄せられて、新たな『お客様』がやってくることに。


続く

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『ゴミ掃除』が役立たずと追放されたが、実は『存在抹消』級のチートだった。勇者一行がゴミで溺れているが、俺は辺境で美少女と温泉宿を経営中なので手遅れです @eringeek

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