第3話 懐かれたワンコ(フェンリル)が美少女になったので、名前をつけてモフることにした

伝説の魔獣、フェンリルを拾ってから二日が経過した。

僕の旅は、劇的に快適なものになっていた。


「風が気持ちいいな。揺れも少ないし、最高だよ」


『うむ。主(あるじ)よ、もっと掴まっていてもよいのだぞ? 振り落とされぬようにな』


僕は今、銀色の巨大な狼の背中に乗って森を疾走していた。

フェンリルの背中は広くて温かく、フカフカの毛皮は高級なクッション以上の座り心地だ。

本来なら木々が生い茂る獣道を、この巨体で進むのは困難なはずだ。

しかし、僕が進行方向にある邪魔な枝や倒木、張り出した岩などを指先ひとつで『消去』し続けているため、目の前には常に一直線のハイウェイが開通している状態だった。


「右前方、オークの群れだね。五匹くらいかな」


『ふん、雑魚どもが。我が吠え殺してくれよう』


「いいよ、汚れるから。――『掃除』」


僕が軽く手を振ると、藪の中から飛び出そうとしていたオークたちが、武器を振り上げたポーズのまま虚空へと消え失せた。

断末魔も、血飛沫もない。

ただ、世界から『オーク』という名のシミが拭き取られただけだ。


『…………』


背中の下で、フェンリルがゴクリと喉を鳴らす気配がした。


『……何度見ても、恐ろしい力だ。主のそれは魔法ではないな。魔法とは、マナを触媒にして事象を書き換える技術。だが主の行いは、事象そのものの否定だ』


「難しくてよく分からないけど、ただの掃除だよ。ほら、床の汚れを雑巾で拭くのと変わらない」


『……オークキングを雑巾がけの要領で消す人間など、古今東西聞いたことがないがな』


フェンリルは呆れたように嘆息したが、その声には以前のような畏怖よりも、深い信頼と親愛の色が混じっていた。

この二日間、僕は暇さえあればフェンリルの毛並みを『手入れ』していた。

絡まった毛をほぐし、毛穴の汚れを浮かせ、キューティクルを整える。

そのブラッシング技術(スキル併用)は、フェンリルにとって極上の快感だったらしく、今ではすっかり僕に懐いてしまっていた。


「そろそろ日も暮れるね。今日はこの辺りで休もうか」


『承知した。近くに水場がある。そこへ向かおう』


フェンリルが速度を落とし、開けた河原へと降り立つ。

夕日が川面をオレンジ色に染め、せせらぎの音が心地よく響いていた。

僕はフェンリルの背中から飛び降りると、まずは周囲の『整地』に取り掛かった。


「範囲指定、半径五十メートル。石ころ、湿気、害虫、得体の知れない菌類……まとめて『消去』」


シュンッ。

一瞬にして、ゴツゴツとした河原の一角が、磨き上げられたフローリングのように平らで清潔な空間へと変貌する。

地面の硬さも調整(クッション性の阻害要因を除去)したので、レジャーシートを敷かなくても快適に寝転がれるレベルだ。


「よし、完璧。じゃあ夕食にしようか」


僕はマジックバッグ代わりのポーチから、道中で『回収(掃除)』した食材を取り出した。

キラーホーネットの蜂蜜、ワイルドボアの肉、森で採取した香草やキノコ類。

どれもSランク級の素材ばかりだが、僕にとってはただの現地調達品だ。


「今日はボアのステーキ、蜂蜜ソース添えにするよ」


焚き火を起こし、調理を始める。

ここでも僕のスキルは火を吹く――いや、汚れを消す。

肉の筋、余分な脂、臭みの原因となる血液。それらをピンポイントで『削除』することで、最高級のフィレ肉のような状態に仕上げるのだ。

さらに、火加減のムラ(=熱伝導の汚れ)も調整し、均一に火を通す。


「はい、どうぞ。熱いから気をつけてね」


焼き上がった巨大な肉塊を、綺麗に洗った大きな岩の上に置く。

フェンリルは鼻をヒクヒクさせ、嬉しそうに尻尾を振った。


『いただきます、主よ』


ガツッ、ムシャムシャ。

豪快にかぶりついたフェンリルが、カッと目を見開いた。


『な……っ!? なんだこれは!? 美味い……! あまりにも美味すぎるぞ!?』


「下処理をちゃんとしたからね。野生のボアは臭みが強いけど、その成分だけ完全に取り除いたんだ」


『臭みがないどころの話ではない! 肉の旨味が凝縮され、口の中で溶けるようだ……! 我は三百年以上生きてきたが、これほど美味なものを食したのは初めてだ!』


フェンリルは夢中で肉に食らいついている。

その姿は伝説の魔獣というより、腹ペコの大型犬そのものだ。

僕は自分の分の肉を切り分けながら、微笑ましくその様子を眺めていた。


(喜んでもらえてよかった。勇者パーティの連中は、『味がしない』とか『人工的な味がする』とか文句ばかりだったからなぁ)


彼らの舌が肥えていたのか、それとも僕の味付けが合わなかったのか。

今となってはどうでもいいことだが、こうして素直に「美味しい」と言ってもらえるのは、料理人(兼掃除屋)として純粋に嬉しかった。


   ◇


食事が終わり、満点の星空が広がる頃。

焚き火の爆ぜる音だけが響く静寂の中で、フェンリルがふと口を開いた。


『主よ。ひとつ、相談があるのだが』


「ん? どうしたの? まだお腹空いてる?」


『いや、腹は満たされた。……その、我のこの姿についてだ』


フェンリルは前足で自分の体を示した。

四メートルを超える巨体。

森の中では威圧感抜群だし、移動手段としては最高だが、確かに日常生活には不便なサイズだ。


『主はこれから、人の住処……廃村とはいえ、建物の中で暮らすのだろう? その際、この巨体では主の傍に仕えるのに不都合があるのではないかと思ってな』


「あー、確かに。家の中に入れないのは寂しいかもね」


『であろう? そこでだ。我は古き盟約に従い、主に合わせて姿を変えることにする』


「姿を変える? 小さくなるの?」


『まあ、似たようなものだ。少し魔力を使うが……見ていてくれ』


フェンリルが立ち上がり、月に向かって遠吠えのような声を上げた。

直後、その銀色の体が眩い光に包まれる。

光の粒子が渦を巻き、巨大な獣のシルエットが、徐々に小さく、そして人の形へと収束していく。


光が晴れた時。

そこに立っていたのは、一人の少女だった。


「……えっ」


僕は思わず言葉を失った。

年齢は十五、六歳くらいだろうか。

月光を紡いだような銀色の長髪が、腰まで流れている。

瞳は燃えるような真紅。

肌は陶磁器のように白く滑らかで、整った顔立ちは人間離れした美しさを放っていた。

どこか神秘的で、それでいて野性的な妖艶さを秘めた美少女。


ただし。

頭の上にはフサフサの銀色の獣耳。

お尻の方からは、立派なモフモフの尻尾が生えている。

そして何より――


「あの……服は?」


彼女は一糸まとわぬ姿だった。

正確には、胸元や腰回りが濃い銀色の毛皮のようなもので覆われているが、それは衣服というより体毛の一部が変化したものに見える。

露出度は非常に高い。ビキニアーマーよりも際どい状態だ。


『どうだ、主よ。この姿ならば、家の中でも邪魔にならぬだろう?』


少女――フェンリルは、自分の姿を確認するように体をひねり、クルリと回ってみせた。

そのたびに豊かな銀髪と尻尾が揺れ、甘い香りが漂う。


「う、うん。邪魔にはならないけど……刺激が強すぎるというか」


僕は目のやり場に困り、とりあえず焚き火の方を見た。

心臓が少し早鐘を打っている。

いくら元が狼だと分かっていても、これだけの美少女に裸同然の姿で迫られると、健全な男子としては動揺を禁じ得ない。


『刺激? ふむ、人間のオスはこういう姿を好むと聞いたのだが。三百年前の知識ゆえ、流行が違ったか?』


「いや、流行とかじゃなくて……。まあ、とりあえず何か着ようか。僕の予備のシャツがあるから」


僕はポーチから大きめのシャツを取り出し、彼女に手渡した。

彼女は不思議そうにそれを受け取ると、見よう見まねで袖を通す。

僕のシャツは彼女には大きすぎて、いわゆる「彼シャツ」状態になった。

裾から伸びる白くしなやかな太腿が、逆に扇情的に見えてしまうのは誤算だったが。


「で、その姿になれるなら、名前が必要だね」


僕は咳払いをして話題を変えた。

フェンリルと呼び続けるのも長いし、何よりこの可憐な少女に「魔獣フェンリル」という名は厳つい。


『名前か。主がつけてくれるのか?』


彼女が目を輝かせてこちらに顔を寄せてくる。

尻尾がブンブンと振られ、地面の砂埃が舞いそうになるが、僕の結界がそれを防ぐ。


「そうだなぁ……。やっぱり呼びやすいのがいいよね」


僕は腕を組んで考えた。

ネーミングセンスには自信がない。

以前、拾った捨て猫に「毛玉」と名付けて、ミナに「最低です」と罵られた記憶がある。

でも、今回は最高の名前をつけてあげたい。


「……『シロ』とか?」


『…………』


フェンリルの動きがピタリと止まった。

期待に満ちていた瞳が、すっと細められる。


『主よ。我は白ではない。銀だ。プラチナシルバーだ』


「あ、ごめん。じゃあ『ギン』?」


『……安直すぎる。もう少しこう、捻りというか、情緒はないのか?』


「うーん……。『ワン子』」


『噛むぞ』


彼女の口から鋭い犬歯が覗いた。

冗談ではないらしい。


「冗談だよ、冗談。真面目に考えるから」


僕は彼女の美しい銀髪を見つめた。

月明かりを反射して、キラキラと輝いている。

神秘的で、高貴で、それでいてどこか温かみのある色。

フェンリルという伝説の名前。

それらを合わせて、しっくりくる響き。


「……『フェリス』はどうかな?」


『フェリス?』


「うん。フェンリルの『フェ』と、幸福とか喜びを意味する言葉を混ぜてみたんだ。君と会えて、僕は運が良かったと思ってるから」


これは半分こじつけで、半分本心だ。

追放されて孤独だった僕に、最初に寄り添ってくれた存在。

彼女との出会いは、間違いなく僕にとっての幸福(フェリシティ)だった。


彼女は口の中で「フェリス……フェリス……」と何度も反芻した。

やがて、パァッと顔を輝かせた。


『フェリス……。うむ、良い響きだ! 気に入ったぞ、主よ! いや、アレク様!』


「気に入ってくれたなら良かった。じゃあ、これからよろしくね、フェリス」


『うむ! 我が名はフェリス。アレク様の忠実なる剣であり、盾であり、そして愛玩動物だ!』


最後の一つは自分で言っていいのか分からないが、彼女は嬉しそうに僕の胸に飛び込んできた。

柔らかい感触と、獣特有の温かさが伝わってくる。

抱きしめ返すと、彼女の尻尾が背中でバシバシと当たった。痛くはないが、すごい勢いだ。


「あー、フェリス。ちょっとじっとしてて」


『ん? どうした?』


「尻尾の毛並み、変身したせいでちょっと乱れてるよ。静電気かな」


僕は彼女の背中に回り込むと、その立派な尻尾を両手で包み込んだ。

そしてスキル発動。


「対象、『毛の絡まり』『静電気』『付着した微細な埃』。――『整毛(グルーミング)』」


指先から繊細な魔力を流し込み、一本一本の毛をミクロ単位でコーティングするように撫で上げる。

指通りを良くし、艶出し効果のある『ワックス処理(皮脂バランスの調整)』も同時に行う。


『ひゃうっ!?』


フェリスが可愛らしい悲鳴を上げた。

ビクン、と体が跳ねる。


『そ、そこは……っ! あ、アレク様、そこは感じ……いや、気持ち良すぎる……っ!』


「動かないで。根元の方がまだゴワゴワしてるから」


僕は構わず、尻尾の付け根から先端までを丹念にブラッシング(手櫛)していく。

このスキルは、対象の不快感を取り除くことに特化している。

つまり、受ける側にとっては「痒い所に手が届く」以上の、脳髄が溶けるような快感が伴うらしい。


『あ、あぁ〜……っ! だめ、そんなに丁寧に……っ! ほどけちゃう……野生がほどけちゃうぅ……っ!』


フェリスはその場にへたり込み、恍惚の表情で震えていた。

頬は朱に染まり、目はとろんと潤んでいる。

口元からはだらしなく舌が覗き、完全に骨抜きにされた状態だ。


「よし、こんなもんかな。ツヤツヤになったよ」


満足して手を離すと、フェリスは地面に突っ伏したまま、ピクリとも動かなくなっていた。

時折、尻尾だけがピクピクと痙攣している。


「……フェリス? 大丈夫?」


『……ご主人様、テクニシャンすぎる……』


蚊の鳴くような声でそう呟くと、彼女は幸せそうな寝息を立て始めた。

どうやら、気持ち良すぎて気絶(寝落ち)してしまったらしい。

僕は苦笑しながら、彼女に毛布を掛けてあげた。


「おやすみ、フェリス」


夜風が少し冷たくなってきたが、僕の周りだけはスキルの自動調整で常に適温だ。

僕は新しい相棒の寝顔を見ながら、焚き火に薪をくべた。

一人ではない夜というのは、思った以上に悪くないものだ。


   ◇


一方、その頃。

勇者パーティ『天剣の翼』の野営地では、悲惨な夕食の時間が訪れていた。


「……なんだこれは。泥か?」


勇者ライオットは、皿の上に盛られた黒い塊をスプーンでつついた。

聖女ミナが作ったとされるシチューだ。


「失礼ですわね! ちゃんとレシピ通りに作りましたわよ! ただ、ちょっと火力が強すぎて焦げたのと、野菜の皮を剥くのが面倒でそのまま入れただけです!」


ミナがヒステリックに叫ぶ。

彼女は料理などしたことがない。

今までは、アレクが事前に野菜の下処理を完璧に行い、火加減も調整し、味付けまで済ませたものを「仕上げ」として彼女がかき混ぜていただけだったのだ。

それを「私の手料理」と称していたのだが、本人は本当に自分の実力だと思い込んでいたらしい。


「食えるか、こんなもん!」


戦士ボランが皿を地面に叩きつける。


「俺は腹が減ってんだよ! まともな肉を食わせろ! あと、さっきから鎧の中に虫が入ってきて痒くてたまらねぇんだよ!」


「文句を言うな! ワシだって魔力枯渇で頭が痛いんじゃ! アレクの淹れるマナ回復ティーがないと、こんなにも回復が遅いとは……」


大賢者ガイルが青い顔で呻く。

彼らの周りには、食べ残しやゴミが散乱し、それが腐敗して悪臭を放ち、さらに多くの害虫を呼び寄せていた。

かつては「Sランクに相応しい優雅なキャンプ」を誇っていた彼らの姿は見る影もない。


「くそっ……! なぜだ、なぜこんなことになった!」


ライオットが焦げたシチューを口に運び、あまりのマズさに吐き出した。


「アレク……! あいつ、どこへ行きやがった!」


それが自分たちの追い出した「ゴミ掃除屋」の重要性を認める言葉だとは気づかずに、勇者は夜の森に向かって虚しく吠えた。


   ◇


翌朝。

すっかり元気を取り戻したフェリス(肌艶が昨日より三割増し)と共に、僕は再び北を目指した。

そして正午過ぎ。

森の木々が途切れ、視界が開けた先に、目的地が見えてきた。


「あれが……魔境の廃村か」


そこは、山間の盆地にひっそりと佇む集落跡だった。

崩れかけた石造りの家々、雑草に埋もれた広場、そして枯れ果てた噴水。

予想通りの廃墟だ。

普通なら「陰気な場所」と顔をしかめるところだろう。


しかし、僕の目には違って見えた。


「すごい……! 見てよフェリス! あそこの壁の苔、剥がし甲斐がありそう! あの広場の雑草も、一気に刈り取ったら気持ちいいだろうなぁ!」


『……主よ、目が輝きすぎだ。獲物を見つけた肉食獣のような顔をしているぞ』


フェリスが若干引いているが、僕の興奮は収まらない。

ここは、僕にとっての巨大なキャンバスだ。

誰にも文句を言われず、思う存分『掃除』ができる楽園。


「よし、行こう! まずは村の入り口から大掃除だ!」


僕は腕まくりをして、廃村へと続くボロボロの石畳へと駆け出した。

ここから、僕とフェリスの、そしてやがて世界中を巻き込むことになる『最強の温泉宿』作りが始まるのだ。


続く

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