第2話
アザレアの人生において、電気ケトルに縋って泣きわめいたのは、
これが初めてのことであった――というのは言うまでもない。
「うわあ何で何で! 何で伝説の傭兵がお湯沸かしてるんすか! 熱゛ッ!」
『気をつけろ、俺の体内温度は100度を超えている。オーバー』
「オーバーじゃないですって! どうしようどうしようどうしよう……!」
パニクりながら、彼女は事務所の中を右往左往している。
『……何か、問題が起きているようだが。俺でよければ話を聞くが』
そんな様子を見かねたかのように、電気ケトルが喋り出した。
「アンタのせいで……いや私のせいか……ともかくヤバいんですって……!」
『どういうことだ? 指示通り、お湯は沸かしてある』
「違うんですって……アンタはそういうことのために作られたわけじゃ」
そう言うと、電気ケトルのインジケーターがチカチカと点滅。
何かを思考している間は、ここに青いランプがチラつくらしい。
『……なるほど。確かに、俺にアサインされた初期プロトコルと、現在の状況は些か乖離しているようだ。推定……もしやプログラムのインストール先を間違えたか?』
「う゛っ、言わないでください。いますごくメンタルやられてるんで」
『解析……どうやら俺を再インストールすることは不可能らしい。オーバー』
「言わないでってばァーーー!」
電気ケトルに泣きじゃくり、電気ケトルに向かって怒鳴りつける。
普通の人間がやらないような奇行を、アザレアは連発していた。
「どうしようどうしよう……もう終わりだ……」
『終わりというのは、穏やかではないな。何を悲観している?』
素朴な疑問を投げかけるケトルに、キッと鋭い視線を返す。
「アンタ、自分の価値を分かってないんですか……?」
『正直なところ、まったく把握できていないのが実情だ』
「ぐぬぬ。アンタは斜陽の軍需産業が、よーやく捻りだした最新鋭機体の支援AIで、替えが利かない一点ものなんです! 社運が掛かってて、金もかかってる!」
『なるほど把握した。つまり、お前はそんな大事なものを調理家電に入れたのか』
「だーーーっ!」
言葉にぶん殴られたかのように、アザレアはひっくり返る。
事務所の床に転げたまま、彼女がぐすぐすと啜り泣いた。
「うっ、うっ……ただでさえ借金まみれなのにィ……これ以上負債がたまったら……。う゛ーっ……実験体はイヤだ……下層に売り飛ばされるのもイヤぁ……」
『失望……生前の俺が、命を賭して守った未来がこれか。……ふぅむ』
溜め息のように湯気を吐いて、そのケトルは静かに訊ねた。
『お前、名前は何という』
「ぐすっ……名前ですか? アザレア・レイランドですけど……」
『アザレア、安心しろ。俺にはまだ、戦闘支援は実行可能だ』
「へっ……?」
『要するに、俺がリアルタイムで適格な判断を飛ばせばいい。口頭でな』
その言葉に、アザレアの目はきらきらと光を取り戻しかけた。
「な、なるほど……。それなら少なくとも第二評価試験はパスできるかも……いや! もうそれしかない、それしか! あの、お名前は何でしたっけっ……!?」
その言葉に、ケトルは静かに応えを返す。
『パイロット行動支援システム――“ズメイ”だ。よろしく頼む、オーバー』
◇
空母の甲板に翼をつけたような航空ユニットに、バイジンは載せられていた。
現場の人間が「担架」と呼ぶATU(アジャスト・トランスポート・ユニット)。
それは機体の推進剤を消費せず、戦場までの距離を運ぶための乗り物である。
四つん這いで固定装置を掴むバイジンのコクピットの中では、
パイロットスーツ姿のアザレアがうずくまって、どんよりと膝を抱えていた。
「終わった……」
『安心しろ。“チューン・ゴーストとの戦い”には慣れている』
ガムテープで固定した電気ケトルが、コンソールの上で喋っている。
電子的な接続は一切されていない。
彼にできるのは、湯を沸かすことと喋ることだけだった。
「戦うのは私なんデスケド……」
『それはそうだが。オーバー』
「……あ゛ー! ほんっっと、ありえないですって!」
開発班長が告げた第二評価試験の内容は、実戦――。
シティ外縁におけるチューン・ゴースト討伐。
いまは都市のドームを抜けて、彼らの勢力圏を目指しているところだった。
「大事な実験機をいきなりの実戦、しかもメガ級ゴースト相手に差し出すって!」
不満を垂れ流しながら、アザレアは班長の言葉を思い出す。
“俺たちとしても不服なんだが、この程度の雑用もこなせないプロトタイプに用はない……って、上の連中が言うもんでなぁ”
「いや覚悟決まりすぎでしょ、上層部!」
『なんというか……クレバーな判断だ』
「追い詰められすぎておかくなっただけでしょ!」
神経接続で視界に重ね掛けされた外の景色が、移り変わっていく。
人の造った都市、荒れ果てた無人の大地、それから――。
基板のような文様が刻まれた、異様な六角柱の結晶体が表出した地帯へ。
チューン・ゴーストのナノマシンに、物質を置換された自然環境だ。
「観測班の情報が正しければ、この辺りにいるはずですが……降りますよっ!」
『了解した、オーバー』
コンソールのボタンのいくつかを切り替え、彼女は操縦グリップを引いた。
“担架”のうえで這っていたバイジンが機体を起こし、ふわりと後ろへ揺れる。
そのまま宙返りして、降下を開始する。
背部のウイングバインダーが開き、ジェット噴流を吐く。
ゆっくり……と降下速度を減速させながら、バイジンは地表をとらえた。
着地。情報の結晶とも呼べるきらきらした破片が、どっと巻き上がった。
『相も変わらず、おぞましい光景だ』
「そうですかね? 綺麗ですけど」
『……人間が、アレになる瞬間を見るまではな』
そうこうしていると、音紋センサーが周囲の動きをキャッチした。
後方六時方向の――距離80、深度3、サイズはメガ級。
「おでましですよ……っ!」
フットペダルと操縦グリップを操り、アザレアは機体を急速旋回させた。
本来、神経接続型のインターフェースを持つGFにおいて、
これらはあくまでも補助的な操作システムとして定義されている。
だが、支援AIがないことと、そしてバイジンの過剰までの感度。
これらのことを踏まえれば、むしろ手足で命じたほうが操りやすい。
――というのが、伝説の傭兵“ズメイ”による最初のアドバイスだった。
『武装のスペックを説明してくれ』
「ふつーのビーム・カービン銃です。フィラメント装弾数は12本」
『了解した。構えておけ――』
腹の底から突き上げるような衝撃と共に、正面方向で地表がどんと爆ぜた。
地中から顔を出したのは、銀色のボディに、
透けた琥珀色の装甲を纏った怪物だった。
これこそがチューン・ゴースト。百年以上にも及ぶ、人類種の天敵。
観測班の情報に違いはない。7m大のメガ級ゴースト。
ちょうどバイジンの腰の高さほどの大きさの個体である。
“アリクイ”の姿に似ている、と、アザレアは旧いアーカイブで見た。
あの生き物のような愛嬌はないが、口吻が細長いところが似ている。
『いいか、戦いは最小で最大の効果を出すことをだけを考えろ』
「……と言いますと?」
『ヤツの身体を構成するナノマシンを、効率的に削ぎ落としていけ』
「え゛っ! 急所を狙うのがセオリーでは? ……ヤバッ!」
ズメイに訊ねると同時、メガ級ゴーストが突撃を仕掛けてきた。
バイジンを飛翔させ、その質量が機体に激突することを回避する。
「はぁ……はぁ……。どうなんですか、ズメイさん……」
『……こんな未来でも、その勘違いは続いているのか』
「勘違いですと? 目を狙うのが基本のキなんじゃ……」
目、というのは、ゴーストが頭部の中枢に据える青色の光点である。
実態は、そのナノマシン群に取り込まれた旧世代のAIユニット。
アザレアは教習所で、これがゴーストのコアだと教え込まれていた。
『確かに、あれがコアだという認識には間違いはない。が、それはヤツらの体内には無数に存在している。目として使っているのは、その最も大きいコアに過ぎない』
「じゃあ、たまに急所を潰してやっても動き続けるのって……」
『体内にコアが残っているからだ。コアの損傷は、機能代償で賄うことができる』
顔を曇らせたアザレアに、電気ケトルは力強く言い放った。
『安心しろ、アザレア・レイランド。俺が本物のゴースト狩りを教えてやる』
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