序章 第二話

 郊外の古びた小さな産婦人科──。


 外来入り口には署の刑事が二人立ち、病院関係者以外を中に入れないようにしていた。もっとも、院内には産婆である老女しかいなかった。


 手を揉みながら年老いた女が、冷たい病室に入ってくる。女はマッチを擦り、石油ストーブに火を点ける。


「あぁ、寒いね……。あんたは、久々の患者だよ」

「……じゃあ、他に入院している人はいないんですか?」

 錆びれたベッドに身体を預けながら、多恵が尋ねる。


「こんなボロ病院に誰が入院するんだよ」

「私、ひとり……」

「今どき、どこの病院だって冷暖房ぐらいあるよ。こんなストーブでしのいでいるの、うちぐらいじゃないかい。警察もどうかしてるよ。よくうちの病院に運んだもんだね」


 多恵は薄い毛布を胸元まで引き寄せた。冷えとは別の震えが、腹の奥でゆっくり広がっていく。その震えが寒さによるものなのか、お腹に宿る命への不安なのか。あるいは、心に揺らぐ“ある決意”の恐れなのか──多恵には、もう判別がつかなかった。


「……表に、刑事がいるんですか?」

「あぁ、あんたが逃げないように見張ってるよ。こんな身籠で逃げれるはずがないのにね」


 老女は呆れたように笑うと、窓の外を眺めながら呟いた。


「あの高台に見える建物を見てごらん……」


 多恵はゆっくり起き上がると、老女が指す方向に目を向けた。遠くに見えるその建物は、天空にそびえ立ち光り輝いていた。


「……あれは?」

「すごいだろ? ホテルじゃないよ、病院だよ」

「あれが、病院……」

 多恵はため息を漏らす。


「なんでも、立派な特別室があるらしく、今そこに、華山財閥の松子夫人が臨月で入院してるそうだよ」

「松子……華山財閥……!?」

「あぁ、そうさ──お前さん、松子夫人のこと、知ってるのかい?」

「えぇ……とっても、よく知っているわ……」


 彼女は震える声でつぶやいた。


「華山松子……」


 その名前を口にするだけで、身体の奥底から湧き上がる黒い怒涛が、彼女を飲み込む。心臓が激しく鼓動を打ち、今にも破裂しそうな圧力が身体を支配する。次第に血の気が引き、多恵の顔が蒼ざめていく。


「どうしたんだい? 気分でも悪くなったのかい?」

「ちょっと目まいが……」

「あぁ、それはよくないねぇ……顔色が悪いよ。起こしちまって悪かったね。さっ、横になりな……」

 老女は、多恵の背中をそっと支えると、ゆっくりとベッドに寝かせた。


「……松子夫人は、ちょうど、お前さんと同じくらいの年齢じゃないかね」

「同じ女でも、えらい違いね……。かたや豪華な病院での出産。私はこんな小さな病院で子供を産むんですもの……」

 多恵は、深いため息をついた。


「何を言ってるんだい。場所は違えど、女が子を産むってことに変わりはないよ。陣痛がおこり、産道を通って赤ん坊が産まれてくる……みんな同じだよ」 


 老女は諭すように言うと、「夕食は六時でいいね?」そう言葉を残し、部屋を出て行った。


 多恵は、怒りと悔しさで身体を震わせると、白いシーツを力いっぱい握った。そして、彼女は改めて感じた。決して同じではないと……。


 財閥の家に生まれた子は、未来永劫、その子孫まで、勝利の旗を振ることができる。しかし、多恵のような貧しい女が産んだ子は、彼女自身のように、惨めな人生を送る運命にあるのだ。


「この子を、私と同じような人生を送らせるわけにはいかない……。私は、この子のためにやらなければならない。それが、私の復讐でもあるから……」


 多恵は涙を流しながら、お腹にそっと手をやり優しく触れた。




 それから、二日後の夜──。


「痛っ……」


 多恵は、お腹を押さえ激しい痛みに耐えながら、彼女はベッドから必死で起き上がる。


「もう、後戻りはできない……」


 彼女は部屋に置かれた石油ストーブに手を伸ばし、スイッチを回し点火させた。燃え始めた炎を見つめると、多恵は意を決して、ストーブを力一杯蹴飛ばした。古い病室は瞬く間に炎が広がり、病室は赤い灼熱に包まれる。


 熱風が顔を撫で、木材が焼け焦げる匂いが鼻を突く。多恵は、その光景を見つめると、過去の苦しみや悲しみが頭を過っていく。同時に、虚しい錆びた感情が浄化されるかのような気持ちになった。激しい炎が、廊下や壁を容赦なく飲み込み、病院は赤黒く燃える、地獄と化した。


「火事だ! 火事だぞっ!! ──」


 サイレンの音が町中に鳴り響き渡る。辺りの群衆は騒然となり、恐怖に震えていた。ドス黒い煙と火柱が立ち、火の粉が空に舞い上がる中を、咳き込みながら不安定な足取りの多恵が外へと出てきた。


「赤ちゃんが生まれる……助けて……」

「おぉ、妊婦さんだ! 大丈夫か!?」


 群衆の一人が、彼女に声を掛ける。

 

 多恵は声が掠れるなか、お腹を押さえ必死で訴えた。

「誰か……誰か、私を病院へ……病院へ連れていって……」


 彼女は、高台にそびえ立つ天空の城を指し、力強く叫んだ。


「あの病院へ連れて行ってください‼」




──汝は、神の祝福を受けた聖なる存在。汝の子は、天狗が与えた贈り物。


 その名を……、その名を……。




 刻は経ち、それから二十一年が過ぎ去った。

 この日は、彼の誕生日である。名は、惣一郎──華山惣一郎。



つづく


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2026年1月12日 20:00 毎週 月・水・金 20:00

天狗の華 大和真矢 @mya0107

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