第2話 雨宿りのカフェ

「おや、いらっしゃい」


 レニーが勢いよく扉を開く。

 同時に店の奥から低くゆったりとした声がかけられた。

 レニーにしてみれば、雨宿りのために駆け込んだ店なので、いきなり声をかけられるとは思っていなかったから、思わず相手を凝視していた。


「ずぶ濡れじゃないか、お嬢さん。」


 レニーの視線の先で初老の男が目を見開いていた。


「コートをそこに掛けて、こちらに来なさい」


 男は穏やかな口調で入り口横のハンガーを指さすと、自分は店の奥へと引っ込んでしまった。

 その態度に接客の意思もないのかと、レニーは少し苛立ちを覚えた。

 もっともレニーも雨宿りだけが目的で、店で買い物などは考えていなかったのだが。

 ともかく、レニーは雨に濡れそぼったコートを脱ぎにかかる。

 水分を十二分に吸ったコートは内側まで濡れており、コートとシャツが吸い付いており脱ぐのに一苦労だった。

 それでも、どうにかコートを脱ぎ、ハンガーに吊るし終えたところで、男は再び店に姿を見せる。

 白髪化した豊かな髪とヒゲの中で男は穏やかな笑みを浮かべ、レニーに向けて手を差し出した。


「っ!」


 反射的に顔を覆うレニー。その顔は必要以上に驚きに歪んでいる。


「怖がらなくてもいいよ」


 男も手を下ろし、慌てた口調で弁明する。

 その顔は先ほどの優しさは残したまま眉尻を下げており、レニーを心底心配しているのが分かる。


「す、すみません。驚かせてしまって……」


 男の顔を見て自分が早とちりしていたことに気が付き、レニーは素早く頭を下げる。


「こっちこそ、わるかったね」


 男は細い目をさらに細め、さらに穏やかな表情を見せる。


「とにかく、濡れた服じゃ風邪を引いてしまうからこれに着替えなさい」


 改めて持ち上げた男は腕に白い質素なシャツと紺地のスラックスを掴んでいた。


「僕の奥さんの物だけど、着なさいな」


 恐る恐る近づいたレニーはそれらを受け取る。

 柔らかい手触りから質のいい物であることが分かる。

 だが、受け取ったところで顔を少し赤らめ、困ったようにレニーはうつむけた。


「ああ、着替えならその奥に試着室があるから、そこを使いなさい」


 男はそう言うと店の奥を指す。

 そこには何台かの胴体だけのマネキンつまりトルソーが並んでおり、その先に小さな扉が見える。


「以前はブティックも兼ねていたんでね、その時の名残だよ」


 そう言う男の手元で何かがこすれる小さな音がした。

 見れば手には火のついたマッチを持っており、空いた手でアルコールランプを手繰り寄せている。

 近くにはサイフォンが置かれており、彼の意識はそれらに集中していた。


「あ、ありがとう……、ございます……」


 消え去りそうな声で礼を述べたレニーは、小走りに更衣室へと走りドアを空けた。


 ***


 しばらくして、再び更衣室のドアが開き、レニーが姿をみせた。


「ああ、良かった。それは僕のカミさんの服なんだけどサイズは合っていたみたいだね」


 その姿を見た男は安堵するように肩を下ろすと手元に用意したカップへと淹れたてのコーヒーを注ぎだした。

 渡された衣服は小柄で細身のレニーには少し大きかったのだが十分に許容できる差であり、むしろそれまでの野暮ったい厚手の服に比べれば、よほど彼女に合った服装だった。


「濡れた服はそこらへんのトルソーに掛けて、こっちへいらっしゃい」


 男はカップをカウンターの前へと出しながらそう言うと、レニーを招いた。

 その言葉に従い、衣服を掛けるとカウンターへと向かい、男の前にある椅子へと手を伸ばす。

 足の高い椅子へ座ることはレニーには一苦労だったが、なんとか座ると男は改めて淹れたてのコーヒーを勧めてきた。


「これは僕からの奢り、雨の日に街へと来たお客さんへのサービス」


 ニッコリと笑いながら自らも別に用意したコーヒーを口につける。

 軽く口に含むと匂いを味を楽しむかのように細い目を閉じる。


「なんで、こんなに親切にしてくれるんですか?」


 コーヒーカップを両手で囲み、カップの中を見ながらレニーはポツリと聞いた。


「それは、カミさんとの約束だからかな?」


 そう言う男は照れくさそうに頭をかきながら、やや上を見た。

 まるで何かを懐かしむような表情で男は話し始めた。


 ここは元々、彼の妻がブティック兼カフェとして始めたこと。

 彼自身は会社勤めだったので店を任せきりだったこと。


 そして……。


「僕も定年で会社を辞めた時、この店を手伝おうと思っていたんだ。でもある日、カミさんは重い病にかかっていたことが分かったんだ。」


 それまで淡々としていた男の口ぶりが急に変わる。


「色々と手を尽くしたけど彼女は助からなかった。だからせめてこの店だけでも継いでいこうと考えたわけだ」


 語る男の視線はいつしか、店の奥に置かれた1つの写真立てに向けられていた。

 そこには今より若く幾分か痩せている男と、やや細身の女性が写っていた。


「じゃあ、奥さんがなくなる時に約束を?」


 そう言うとレニーがカップに口をつける。

 生まれて初めて飲むブラックコーヒーは苦い以外になかったが、その後に柔らかな香りと僅かな甘みが口の中に広がった。


「いいや、だよ」


 男は当然とばかりに返してきた。


「じゃあやっぱり有るんですね?」


 男の言葉にレニーがカウンターから身を乗り出す。

 その目は真剣そのものであり、求めていた答えが見えたとばかり輝いている。


「『再会の魔法』は実在するよ」


 男はティーカップを手に持ちながら静かに答える。


「この街には、雨上がりの時にだけ別れた人と再会できる魔法がかかっているんだ」


 男の言葉にレニーは確信を得た。

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