第3話:汚染除去プロトコル(あるいは、聖女の受難)
「ここが俺の拠点(ベース)、『セクター・アルファ』だ」
森を抜け、岩肌が露出した崖下まで案内すると、俺は足を止めた。
エリスはキョトンとした顔で、何もない岩壁を見上げている。
「あの……ただの崖に見えますが?」
「甘いな。敵(ホード)の目は欺けても、俺の目は欺けん」
俺は岩の隙間に隠されたレバー――本来はダンジョンの隠し扉ギミックを錬金術で改修したもの――を操作した。
ゴゴゴゴ……と重低音を響かせ、岩壁の一部がスライドして開く。
その奥には、薄暗い通路が続いていた。
「わぁ……! 隠蔽魔法(コンシール)ですか? 入り口を物理的に隠すなんて、古のドワーフの技術みたい……」
「入るぞ。足元に気をつけろ。赤いラインから外れると、上から岩が降ってくる仕掛け(トラップ)になっている」
「えっ」
エリスが慌てて足元を見ると、地面に微かに赤い染料で線が引いてあった。
俺は彼女を先導し、通路を進む。
天井にはコウモリの脂を加工した手製ランプが等間隔で灯り、不気味なほど静かだ。
「よし、第一防衛ライン突破。次は『除染エリア』だ」
居住区の手前にある小部屋で、俺は立ち止まった。
ここを通らずに奥へ行くことは許されない。
俺は壁に設置されたタンク――巨大なスライムの胃袋を加工したもの――のコックに手をかける。
「エリス、目を閉じろ。息を止めるんだ」
「は、はい? 何かの儀式ですか?」
「そんなところだ。……散布開始(スプレー)!」
俺は勢いよくコックを開いた。
天井に設置されたシャワーヘッド(蓮の実の魔改造品)から、霧状の液体が猛烈な勢いで噴射される。
ブシュアアアアアッ!
「きゃあああああっ!? つ、冷たい! 匂いがきつい!?」
「我慢しろ! アシッド・スライムの体液を限界まで蒸留した、純度96%のエタノールだ! これで外部から持ち込んだウイルスを殺菌する!」
俺自身も霧を浴びながら、入念に身体を回転させる。
エリスは突然の暴挙に涙目になりながら、ビショ濡れのローブを押さえている。
「な、ななな、何をするんですか勇者様ぁっ! 私、お嫁に行けなくなっちゃう……!」
「安心しろ。揮発性は高いからすぐに乾く。それに、感染してゾンビになるよりはマシだろう?」
1分間の徹底的な消毒(洗浄)を終え、俺はコックを閉めた。
ツンとするアルコール臭が充満しているが、俺にとっては安全の香りだ。
「……うぅ、信じられません。これ、すごく高価な『清めの聖水』の匂いがしますけど、使い方が乱暴すぎます……」
「聖水? ああ、消毒液の別名か。いいネーミングだ」
俺は納得し、奥の重厚な鉄扉を開けた。
そこには、俺が3日かけて整備した居住スペースが広がっている。
石造りの床は平らに均され、部屋の隅にはダンボール(木の皮をプレス加工して作った代用品)に入った備蓄食料が山積みになっている。
壁には、自作したクロスボウの予備や、様々な形状のスコップ、バールのようなものが整然と掛けられている。
「すごい……」
エリスが濡れた髪を拭きながら、感嘆の声を漏らした。
「なんて整然とした武器庫……。それに、この空気。外界から遮断されているのに、澱んでいない」
「換気ダクトには木炭フィルターを噛ませてあるからな。空気感染対策も万全だ」
俺は部屋の中央にあるテーブルを指差した。
「座れ。栄養補給(ミール)にするぞ」
差し出したのは、干し肉と乾燥野菜を固めた特製ブロック、そして水筒だ。
味気ないが、カロリーと塩分摂取には最適化されている。
「いただきます……」
エリスは恐る恐る干し肉を齧り、目を丸くした。
「おいしい! これ、最高級の保存食ですね? スパイスが効いていて、魔力が回復していくのがわかります」
「長期保存用に塩漬けと燻製を繰り返しただけだ。気に入ったなら、備蓄(ストック)はあと5年分ある」
食事をしながら、俺は本題に入ることにした。
情報の収集(インテリジェンス)だ。
「さて、エリス。外の状況(ステータス)を報告しろ。感染拡大はどこまで進んでいる?」
エリスは真剣な表情になり、居住まいを正した。
「はい。……魔王軍の侵攻は、予想以上に早いです。北の砦は先週、陥落しました」
「北の防衛線が突破されたか。……感染爆発(パンデミック)のスピードが上がっているな」
俺は手帳を取り出し、メモを取る。
『北エリア:汚染区域(レッドゾーン)認定』。
「王都の騎士団も必死に抵抗していますが、アンデッドの軍勢は疲れを知らず、数を増やすばかりで……」
「だろうな。倒したそばから味方が感染して敵に回る。ネズミ算式だ」
「それに、魔王の配下には『四天王』と呼ばれる強力な幹部がいます。疫病を撒き散らす『腐敗の王』や、死体を操る『ネクロマンサー』……」
俺の手がピタリと止まった。
疫病。死体操作。
完全に一致した。
「確定だな。この災害の原因は、自然発生したウイルスじゃない。人為的な生物兵器テロ、あるいは特定個体(ペイシェント・ゼロ)による意図的な散布だ」
俺は立ち上がり、壁に掛けた『対物ライフル風クロスボウ(スコープ付き)』を撫でた。
敵の正体が見えれば、対策も立てられる。
「エリス、君を保護したのは正解だった。貴重な情報提供者(インフォーマー)だ」
「えっ、あ、ありがとうございます……?(ペイシェント・ゼロ……? 古代語かしら。やはりこの方は、全てを見通しているのね)」
俺は拳を握りしめ、宣言した。
「いいだろう。俺のシェルター計画を『フェーズ2』へ移行する。ただの引きこもり(サバイバル)から、積極的防衛(アクティブ・ディフェンス)への転換だ」
まずは、この周辺の森を更地にし、対戦車用のバリケードを築く必要があるな。
俺のやる気に満ちた顔を見て、エリスは頬を染めて胸の前で手を組んだ。
「はい! 私もお手伝いします、勇者様! 共に世界を救いましょう!」
救う? 世界?
大きく出たな。俺はただ、自分の平穏な老後を守りたいだけなんだが。
まあいい。利害は一致している。
「まずは裏山の木を全部切り倒して、杭(パイル)を作るぞ。ノルマは千本だ」
「せ、千本ですか……!?」
こうして、俺と聖女の奇妙な同居生活――もとい、過酷な要塞建設の日々が始まったのだった。
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