最終話(第34話):終わらない詩、白銀の旅路

 あれから、三年が過ぎた。

 イクエーター共和国の海は、今日も変わらずエメラルドグリーンに輝いている。

 だが、その美しい海の向こう側から届く風には、以前とは違う匂いが混じっていた。それは、変革の匂いだ。


 海岸沿いに建つ、白い漆喰の小さな家。

 そのテラスで、私は最後のページにペンを走らせていた。

 南国の強い日差しで、私の肌は少し小麦色に焼けたけれど、肩にかかる髪は変わらず雪のように白いままだ。


 机の上に積み上げられた原稿用紙の束。

 タイトルは、『極道作家の革命詩(レクイエム)』。

 日本で起きたあの日々のすべて――父・剛(ごう)の生き様、錦川(にしきがわ)政権の狂気、そして私たちが流した血と涙の記録だ。


「……ふぅ」


 私はペンを置き、大きく伸びをした。

 書き終えた。

 父さんへの鎮魂歌であり、私たち自身の贖罪の書。

 これを書き上げるまでは死ねないと思っていたが、いざ終わってみると、不思議と虚脱感はなかった。むしろ、憑き物が落ちたような清々しさがあった。


「お疲れ様です、お嬢」


 テラスの入り口から、瑛司(えいじ)が現れた。

 彼は大きな段ボール箱を抱えていた。

 三年の月日は、彼をさらに精悍な男にしていた。白銀の髪は短く刈り込まれ、南国の太陽に灼かれた肌と鮮やかなコントラストを描いている。

 そして、常に黒い革手袋で覆われた左腕。そこには、私たちを生かすための異能が、今も静かに眠っている。


「ちょうど終わったところよ。……それは?」

「葛原(くずはら)さんからの定期便です。日本のカップ麺と、……待ちに待った『初版』ですよ」


 瑛司が段ボールを開封する。

 中から現れたのは、装丁されたばかりの真新しい本だった。

 表紙には、燃え上がる国会議事堂と、深紅の龍、そして二頭の白鹿のシルエットが描かれている。


 これは、私が以前書き上げ、地下ルートで日本に送った原稿の前半部分――『第一部・日本脱出編』の書籍化だ。

 もちろん、正規の出版社からではない。晴天同盟が立ち上げた地下出版レーベルからの発行だ。


「……日本じゃ、これが飛ぶように売れてるそうですよ」

 瑛司が嬉しそうに一冊を手に取り、私に渡してくれた。

「政府は発禁処分にしたがってるが、ネットで拡散されすぎて手が出せないらしい。……若者たちの間じゃ、バイブル扱いだとか」


 私は本の重みを掌で感じた。

 言葉は、死ななかった。

 私たちが国を捨てて逃げた後も、私が紡いだ言葉は日本に残り、人々の心の中で革命を続けていたのだ。


          *


 その日の夕暮れ。

 私たちは浜辺を歩いた。

 寄せては返す波音が、心地よいリズムを刻んでいる。


「葛原さんの手紙によると、日昇(にっしょう)県の復興も進んでるそうです」

 瑛司が言った。

「親父が自爆した地下神殿の跡地には、慰霊碑が建ったらしい。……『昇り龍の碑』って名前で、毎日誰かが花を供えてるって」


「そう……。父さん、喜んでるかな」

「喜んでますよ。『俺の墓の前で湿っぽいツラすんな、宴会しろ』って言ってるのが聞こえます」


 私たちは笑い合った。

 三年前、私たちは余命幾ばくもないと言われていた。

 獣神化の代償。生命力の枯渇。

 だが、私たちはまだ生きている。

 私の血と、古代のインクが瑛司の体内で奇跡的なバランスを保ち、新たな循環システムを作り出したからだ。

 もちろん、普通の人間よりは短命かもしれない。

 それでも、私たちは「今」を生きている。


「……ねえ、瑛司」

 私は立ち止まり、水平線に沈む夕日を見つめた。

「この本、書き終わっちゃったわ」

「ええ」

「作家としては、一仕事終えた気分。……でも、テロリストとしては?」


 瑛司は私の意図を察して、ニヤリと笑った。

 彼はポケットから、クシャクシャになった一枚の紙を取り出した。

 それは、現地の新聞の切り抜きだった。


「隣国の軍事政権が、少数民族を虐殺しているという記事です。……国境の村じゃ、子供たちが兵士として連れ去られている」


 瑛司のオッドアイ――右の白銀と左の深紅が、鋭い光を宿す。

「葛原さんが言ってた『バナナの美味い平和な国』ってのは、どうやら退屈とは無縁らしいですね」


「……行くんでしょう?」

「お嬢が望むなら。……俺の黒い腕も、最近ウズウズして仕方がないんです」


 私たちは、平和な隠居生活には向いていなかった。

 誰かの悲鳴が聞こえる限り、私たちはペンを置き、牙を研ぐ。

 それが「極道作家」と「白銀の獣」の生き方だからだ。


          *


 翌朝。

 私たちは白い家を引き払い、ジープに荷物を積み込んだ。

 荷物は少ない。

 タイプライターと、数冊のノート。父の形見の短刀。そして、数日分の水と食料。


「ありがとう、ホセ。元気でね」

 見送りに来てくれた宿の主人、ホセと握手を交わす。

「行くのかい、セニョリータ。……あんたたちが来てから、この街のゴロツキがいなくなって静かだったんだがな」

「ごめんね。もっと騒がしい場所が、私たちを呼んでるの」


 私は助手席に乗り込み、瑛司がエンジンをかけた。

 乾いた砂埃を上げて、ジープが走り出す。

 目指すは国境の北。紛争地帯の只中へ。


 風が、私たちの白銀の髪をなびかせる。


 私は膝の上に新しいノートを広げた。

 昨日書き終えた『革命詩』は、過去の物語。

 ここから始まるのは、未来への物語だ。


「タイトルは決まりましたか、お嬢」

 ハンドルを握る瑛司が尋ねる。


 私はペンを取り、真っ白な一ページ目に書き込んだ。


 『漂流する牙、吠えるペン』


「……また、物騒なタイトルですね」

「いいじゃない。私たちの旅にはお似合いよ」


 私たちは笑い、アクセルを踏み込んだ。


 世界は残酷で、理不尽で、嘘に満ちている。

 でも、だからこそ、物語は生まれる。

 私たちが流す血がインクとなり、私たちが振るう暴力が言葉となる。


 さあ、行こう。

 次の地獄へ。次の希望へ。


 かつて日本を救った二人の「怪物」は、今や国境なき伝説となって、荒野の彼方へと消えていった。

 その背中には、見えないけれど確かに輝く、龍と鹿と観音の刺青が刻まれている。


 極道作家の革命は、終わらない。

 私たちが愛し合い、戦い続ける限り、永遠に。


(最終話 完)

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「君の小説は国益に反する」と追放されたが、私の本業は極道の娘です。背中の刺青(観音様)が覚醒したので、言論弾圧する独裁政権を物理的に破壊することにしました ハニーシロップ @honeysyrup

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