第27話:見えざる網と、狩人の足音

 東京の地下深く。

 かつて地下鉄の資材搬入路として使われていた廃トンネルは、湿ったカビの匂いと、絶え間なく響く水滴の音に支配されていた。


 晴天同盟のアジトとなっているこの場所は、今の私たちにとって唯一の安息の地だった。

 コンクリート打ちっぱなしの部屋で、私は瑛司(えいじ)の寝顔を見つめていた。

 簡易ベッドに横たわる彼は、まるで眠れる森の美女ならぬ、白銀の貴公子のようだった。

 色素の抜けた髪と肌は、薄暗い部屋の中で仄(ほの)かに発光しているようにさえ見える。

 あまりに美しく、そして脆(もろ)い。


「……う、ん……」

 瑛司が寝返りを打ち、苦しげに眉を寄せた。

 私は濡らしたタオルで、彼の額の汗を拭った。

 熱はない。むしろ体温は低いままだ。

 彼の体内の「燃料」は、アイドリング状態でかろうじて生命維持をしているに過ぎない。


「……お嬢、か」

 彼が薄く目を開けた。その瞳の光も、以前より弱々しい。

「すいません。いつの間にか寝てたみたいだ」

「いいのよ。あなたはもっと休まなきゃ」


 私は努めて明るく振る舞ったが、胸の奥には鉛のような不安があった。

 ここへ逃げ込んでから二日。

 地上の情報は、葛原(くずはら)が傍受する警察無線とネットニュースだけが頼りだった。

 状況は悪化の一途を辿っている。

 政府は私たちを「国家転覆を企むテロリスト」と断定し、都内全域に検問を敷いている。


 ガチャンッ。

 鉄扉が開き、葛原が血相を変えて飛び込んできた。

 いつも冷静な彼が、珍しく焦燥の色を浮かべている。


「……おい、まずいぞ。ここがバレたかもしれん」

「バレた? まさか。ここは地下数十メートルよ。電波だって届かないのに」

「電波じゃねえ。『波長』だ」


 葛原がタブレット端末を私たちに見せた。

 そこには、アジト周辺の地下通路の見取り図が表示されていたが、複数の赤い点が、まるで蟻の行列のようにこちらへ向かって移動していた。


「奴ら――米軍の『Anti-Beast Force』は、特殊なセンサーを使ってるらしい。お前たちの体から出ている『古代インクの微弱な放射線』を逆探知してやがる」


 背筋が寒くなった。

 私たちは、存在しているだけで位置情報を発信するビーコンのようなものだったのだ。


「逃げるぞ。奴らはすでに外周の警備を突破してる。……音がしねえんだ」

「音がしない?」

「ああ。見張りに立たせていた若い衆からの連絡が途絶えた。銃声一つなく、静かに消されたんだ」


 プロの仕事だ。

 錦川(にしきがわ)の派手な怪物たちとは違う。無駄なく、確実に標的を追い詰める死神たち。


          *


 プシュッ。

 微かな音と共に、部屋の通気口から白い缶が転がり落ちてきた。

 催涙ガスではない。無臭の煙。


「ガスだ! マスクをつけろ!」

 葛原が叫び、私たちに防毒マスクを投げる。

 同時に、部屋の照明が落ちた。

 完全な闇。


 キィィィィン……。

 暗視ゴーグル特有の高周波音が聞こえる。

 鉄扉が音もなく開き、闇の中から数名の影が侵入してきた。

 全身を黒い特殊スーツで覆い、顔には四つの目が光るナイトビジョンゴーグル。手にはサプレッサー付きのサブマシンガン。

 Anti-Beast Forceだ。


『Target confirmed. (目標確認)』

 無機質な英語と共に、赤いレーザーポインターが私の胸元に走る。


「させるかよッ!」

 瑛司がベッドから飛び起き、私の前に立ちはだかる。

 彼は瞬時にシャツを脱ぎ捨てた。


「――獣神化(ビースト・モード)ッ!」


 瑛司が叫び、背中の刺青に力を込める。

 青白い光が溢れ出し、部屋の闇を切り裂く――はずだった。


 ブォンッ……ジジジジッ!


 光が一瞬輝いたかと思うと、ノイズ混じりの音と共に霧散してしまった。

 瑛司が「ぐあっ!?」と声を上げて膝をつく。


「瑛司!?」

「くそっ……変身できねえ! 力が……逆流してくる!」


 Anti-Beast Forceの一人が、手にした奇妙な装置をこちらに向けていた。

 パラボラ状の先端から、目に見えない波動が放たれている。


『Anti-Resonance Jammer active. (対共鳴ジャマー、作動)』


「ジャマー……!? 私たちの変身を阻害する装置ってこと!?」

 私は戦慄した。

 アメリカは、すでに「獣神化」への対抗策を確立していたのだ。

 インクの共鳴周波数を乱し、力を無効化する兵器。これでは、私たちはただの無力な人間だ。


 敵が動いた。

 発砲ではない。スタンバトンとネットランチャーを構え、確保にかかる。

 生け捕りにして、解剖台へ送るために。


「お嬢、逃げて……!」

 瑛司が苦痛に顔を歪めながらも、素手で敵に殴りかかる。

 だが、今の彼には人間としての膂力(りょりょく)しかない。

 強化スーツを着た兵士に軽々と受け止められ、腹部に強烈な膝蹴りを叩き込まれる。


「ガハッ……!」

 瑛司が床に崩れ落ちる。


「瑛司ッ!」

 私は駆け寄ろうとしたが、別の兵士に腕を掴まれた。

 万事休す。

 力も封じられ、数でも圧倒されている。


(……いいえ。まだ手はある)


 私は冷静になろうと努めた。

 作家の眼で、状況を観察する。

 ジャマーの効果範囲。敵の配置。そして、この部屋の構造。


 ジャマーは、変身(インクの活性化)を阻害する。

 逆に言えば、変身さえしなければ、ただの「光」として放出することは可能なはずだ。

 私の「救世観音」の力。それは本来、攻撃用ではなく、癒やしと浄化の光。


「……触らないで!」


 私は捕まれた腕を振り払うふりをして、自分の背中の刺青に意識を集中した。

 変身しようとするのではなく、ただ純粋なエネルギーの奔流として放出するイメージ。

 フラッシュバンのように。


「――目眩(めくら)ましよッ!」


 カッッッ!!!

 私の背中から、強烈な黄金色の閃光が炸裂した。

 それは暗視ゴーグルを装着していた兵士たちにとって、視神経を焼き切るほどの光量だった。


『Gaaah!! My eyes!! (目がぁぁぁっ!)』

 兵士たちが悲鳴を上げて顔を覆う。

 その隙に、私はジャマーを持っていた兵士の手元を狙い、サイドテーブルの果物ナイフを投げつけた。

 カォンッ!

 ナイフが装置に命中し、火花が散る。

 不快な電子音が止んだ。


「今よ、瑛司! やっちゃって!」


 ジャマーの効果が消えた瞬間、床に伏していた瑛司が跳ね起きた。

 その瞳に、修羅の光が戻る。


「――よくも、お嬢に触りやがったな!」


 瑛司の右腕だけが青白く発光し、巨大な鹿の脚へと変化した。

 部分獣神化。

 全身変身のような負担はなく、瞬発的な破壊力に特化した形態。


 ドゴォォォォンッ!

 瑛司の裏拳が、兵士の一人を壁まで吹き飛ばした。

 強化スーツがひしゃげ、コンクリートにヒビが入る。


「葛原さん、出口を!」

「おう! こっちだ!」


 葛原が発煙筒を焚き、通気ダクトの蓋をバールでこじ開けた。

 私たちは煙に紛れて部屋を脱出した。

 背後から銃声が聞こえるが、狭いダクトの中までは追ってこれない。


          *


 数十分後。

 私たちは、地下鉄の大江戸線・都庁前駅の構内に出た。

 まだ終電前の時間帯。

 ホームには、家路を急ぐサラリーマンや学生たちが溢れていた。

 

 私たちはボロボロの服の上に、葛原が用意していた作業員用のジャケットを羽織り、人混みに紛れ込んだ。

 白銀の髪は目立つため、フードを目深に被る。


「……ここまでくれば、奴らも派手には動けねえはずだ」

 葛原が小声で言った。

 私たちは満員電車に乗り込んだ。

 押し合いへし合いする人々の熱気。

 皮肉なことに、この「日常」こそが、今の私たちにとって最強の盾だった。


「瑛司、大丈夫?」

 私は隣に立つ瑛司の手を握った。

 彼は吊革に掴まりながら、青白い顔で頷いた。

「なんとか。……でも、あのジャマーってやつ、厄介ですね。あれがある限り、まともに戦えません」


 そうだ。

 力押しでは勝てない。

 彼らは私たちの弱点を研究し尽くしている。

 それに、私たち自身が発信する信号を探知されている以上、どこに隠れてもいずれ見つかる。


「……隠れるのはやめましょう」

 私は電車の窓に映る自分の顔を見つめた。

 疲弊し、やつれた顔。でも、目は死んでいない。


「え?」

「逃げ回っていても、体力が尽きるだけよ。……攻めるの」

「攻めるって、どこへ?」


 私は視線を上げ、車内の吊り広告を見た。

 そこには、週刊誌の見出しが躍っていた。

 『独占スクープ! 新政権と米軍の密約』


「敵はアメリカ軍だけじゃない。……彼らを引き入れた、葛城(かつらぎ)総理代行よ」

 私は瑛司の手を強く握り返した。

「私たちが生き残る唯一の方法は、私たちが『殺してはいけない存在』になること。……つまり、全世界の注目を浴びる場所に立つことよ」


 密室で殺されれば、闇に葬られる。

 だが、衆人環視の中でなら、彼らも手出しはできない。


「瑛司。……最後の賭けに出るわよ」

「望むところです。……お嬢のシナリオなら、間違いなく傑作になる」


 電車は新宿の地下深空を走り抜けていく。

 私たちは次の戦場へと向かっていた。

 それは、銃弾飛び交う戦場ではなく、カメラとマイク、そして幾重もの陰謀が渦巻く、政治とメディアの最前線だった。


 反撃の狼煙は、私たちが上げる。

 狩られる側から、狩る側へ。


(第27話 完)

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