第五章:英雄の逃亡―BetrayalandEscape―
第25話:灰色の平和と、新たな火種
錦川(にしきがわ)政権の崩壊から一週間が過ぎた。
東京は、奇妙な熱狂と虚脱感の中にあった。
街頭ビジョンからは、連日のように「民主化」を叫ぶニュースが流れている。
地下神殿の存在が公になり、これまで隠蔽されてきた数々の不正――人工地震、人体実験、言論弾圧――が白日の下に晒された。
国民は怒り、そして歓喜した。
街には新しい時代の到来を祝うパレードが行われ、瓦礫の撤去作業には多くのボランティアが汗を流している。
一見すれば、ハッピーエンドの光景だ。
だが、その光の裏側で、ドス黒い影がすでに蠢(うごめ)き始めていた。
*
私は、都内の総合病院の特別病室にいた。
晴天同盟が手配した隠れ家ではなく、臨時政府が用意した「VIPルーム」だ。
待遇は劇的に良くなった。ふかふかのベッド、栄養管理された食事、そして一流の医師団。
しかし、部屋のドアの前には、常に数名の警官が立哨(りっしょう)していた。
「護衛」という名目だが、実質的な「軟禁」であることは明白だった。
「……窮屈なもんですね」
隣のベッドで、瑛司(えいじ)が窓の外を見ながら呟いた。
彼の白銀の髪は、朝日に透けて美しく輝いている。だが、その肌の白さは病的なもので、点滴の管が痛々しく腕に刺さっていた。
「体調はどう?」
「悪くはないです。ただ……力が抜けていく感じがします。あの神殿での戦いで、タンクの底まで使い切っちまったみたいだ」
瑛司は自嘲気味に笑い、自分の手のひらを見つめた。
握力は、もう以前の半分もないかもしれない。
私たち二人は、英雄として扱われている。
だが同時に、医学界や政府にとっては「未知の生物兵器のサンプル」でもあった。
私たちの体内で共生している古代インクと生命力の融合反応。それは、喉から手が出るほど欲しい軍事技術なのだ。
コンコン。
ノックの音と共に、病室のドアが開いた。
入ってきたのは、仕立ての良いグレーのスーツを着た初老の男だった。
白髪を丁寧に撫でつけ、柔和な笑みを浮かべているが、その目は笑っていない。
「おはようございます、辰田紗矢さん。そして鹿角瑛司さん。……お加減はいかがかな」
葛城(かつらぎ)信(しん)。
旧野党の重鎮であり、錦川政権崩壊後の混乱を収拾するために発足した「臨時内閣」の首相代行だ。
彼は錦川の圧政時代、表立って反対もせず、かといって賛成もせず、巧みに立ち回って生き延びてきた古狸(ふるだぬき)だ。
「……おかげさまで。何の御用ですか、総理代行」
私はペンを置き、彼を睨み据えた。
葛城は慇懃(いんぎん)に頭を下げ、部下に命じて大きなフルーツバスケットをテーブルに置かせた。
「いやいや、君たち『革命の英雄』に感謝を伝えたくてね。君たちの勇気ある行動がなければ、日本は今も暗黒の中だった。国民を代表して礼を言いますよ」
「用件を言ってください」
瑛司が低い声で遮った。「俺たちは、腹の探り合いをするほど暇じゃないんでね」
葛城は苦笑し、眉を下げた。
「……君たちは、少し純粋すぎる。だが、単刀直入に言おう。……君たちが率いている『辰田組』と『晴天同盟』の武装解除、および解散をお願いしたい」
予想通りの言葉だった。
共通の敵がいなくなれば、私たちはただの「非合法武装集団」でしかない。
「私たちは、すでに武装を解除しつつあります。父も亡くなり、組員たちは日昇(にっしょう)県の復興作業に戻っています」
「それだけでは不十分なんだよ」
葛城は溜息をついた。
「国際社会……特にアメリカが懸念しているのだよ。日本国内に、高度な戦闘能力を持つ私兵集団が存在することをね。……それに、何より問題なのは君たちだ」
葛城の視線が、私と瑛司の白銀の髪に向けられた。
「『獣神化』……だったね。その超常的な力は、核兵器に匹敵する脅威だと認識されている。アメリカ国務省からは、君たち二人の身柄を『国際的な監視下』に置くよう強く要請がきている」
「監視下って……要するに、アメリカの研究施設にモルモットとして引き渡せってことか?」
瑛司が激昂し、ベッドから身を乗り出した。
「ふざけんな! 俺たちは実験動物になるために戦ったんじゃねえ!」
「落ち着きたまえ」
葛城は動じなかった。「これは日本を守るための政治的判断だ。錦川が残した『地下神殿』の後始末、そして疲弊した経済の立て直しには、アメリカの支援が不可欠なんだ。……君たち二人が犠牲になることで、一億人の国民が救われるとしたら、安いものだろう?」
ゾクリ、と背筋が凍った。
その論理は、錦川が語っていた「大義のための犠牲」と何が違うというのか。
結局、トップの首がすげ替わっただけで、この国のシステム――弱者を切り捨てて保身を図る構造――は何一つ変わっていないのだ。
「……お断りします」
私はきっぱりと言った。
「私たちは、誰かの生贄になるつもりはありません。私の命も、瑛司の命も、私たち自身のものです」
「……そう言うと思ったよ」
葛城は残念そうに首を振った。
「辰田さん。君は優秀な作家だが、政治という物語においては素人だ。……英雄というのはね、死んで初めて完成するものなんだよ。生き残ってしまった英雄は、後の為政者にとって邪魔な障害物でしかない」
葛城が指を鳴らすと、病室の空気が変わった。
廊下にいた警官たちの気配が変わる。
さらに、窓の外――病院の中庭に、黒塗りの車が数台到着しているのが見えた。降りてきたのは、日本の警察ではない。屈強な外国人たち――米軍の特殊部隊か、CIAのエージェントだ。
「この病院は、すでに日米合同の管理下にある。……君たちに拒否権はないんだよ」
葛城の目が、冷酷な光を帯びた。
私たちは包囲されていた。
錦川という「悪」を倒した直後に、「国家」という名の巨大なシステムに牙を剥かれたのだ。
「瑛司」
私は短く呼んだ。
「ああ。……分かってますよ、お嬢」
瑛司が点滴を引き抜き、ベッドから降りた。
ふらつく足取りだが、その目には再び修羅の火が灯っていた。
「俺たちの喧嘩は、まだ終わっちゃいねえみたいだ」
「抵抗はやめたまえ。今の君たちの体で何ができる?」
葛城が嘲笑う。「獣神化すれば、君たちの寿命は尽きる。……ここで犬死にする気か?」
「犬死にかどうかは、やってみなくちゃ分からねえな」
瑛司が、サイドテーブルに置いてあったフルーツナイフを手に取った。
果物を剥くための小さな刃。
だが、彼が構えると、それは名刀のような輝きを放った。
「お嬢。……書くネタが増えましたね」
「ええ。……『革命のあとがき』にしては、少し波乱万丈すぎるけど」
私は葛城を睨みつけた。
「覚えておきなさい、総理代行。……私たちは一度、地獄を見てきた人間よ。あなたの脅しなんて、錦川の狂気に比べれば安い芝居にしか見えないわ」
その時だった。
ドォォォォンッ!
病院の玄関方向で、爆発音が響いた。
非常ベルが鳴り響き、スプリンクラーが作動する。
「な、なんだ!?」
葛城が狼狽して窓に駆け寄る。
中庭に、一台のダンプカーが突っ込み、米軍の車両を薙ぎ払っていた。
ダンプカーの荷台には、見覚えのある旗が翻っていた。
深紅の地に、太陽のマーク。『晴天同盟』の旗だ。
『こちら葛原! 迎えに来たぞ、英雄サマたち!』
スマホ――葛城が置き忘れた最新機種を私が素早く奪い取ると、そこから懐かしい怒鳴り声が聞こえてきた。
『まったく、政治家って奴はどいつもこいつも恩知らずだ! 英雄を売り渡そうなんざ、百年早えよ!』
葛原たちが、助けに来てくれたのだ。
彼らは知っていたのだ。革命の後にこそ、最も汚い粛清が始まることを。
「……行くわよ、瑛司!」
「御意!」
瑛司がドアを蹴り破る。
廊下にいた警官たちが銃を構えるが、瑛司の鬼気迫る形相に気圧されて道を開ける。
私たちは走り出した。
安全なベッドも、英雄の称号もいらない。
私たちは、自由であるために、再び泥沼の逃亡劇へと身を投じる。
(第25話 完)
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