第四章:地下神殿の決戦―FalloftheKing―
第20話:霞が関、死の回廊
神谷(かみや)の失脚と純文振興社の陥落は、東京という巨大なダムに穿(うが)たれた風穴だった。
抑圧されていた市民の感情が、決壊した水流のように溢れ出していた。
千代田区の路上は、すでに警察の統制を失っていた。
機動隊のジュラルミンの盾の前に、数万人の群衆が押し寄せている。彼らは武器を持っていない。ただ、スマホを掲げ、私たちの配信した真実の映像を突きつけ、道を空けろと叫んでいた。
「……変わったな、東京も」
父・剛(ごう)が、トラックの助手席で感慨深げに呟いた。
私たちの車列は、群衆が切り開いてくれた「モーゼの海」のような道を通り抜け、官庁街・霞が関へと進入していた。
「昔は、俺たちみたいなのがデモをしても、白い目で見られるだけだった。……だが今は、サラリーマンも学生も、一緒になって声を上げてやがる」
「ええ。……彼らはもう、観客じゃない。当事者になったのよ」
私はハンドルを握りながら答えた。
前方に見える国会議事堂。その白亜のピラミッド型の屋根が、今日はどす黒い靄(もや)に包まれているように見えた。
あそこが、心臓部。
錦川治城(はるき)が待つ、魔都の最深部だ。
*
財務省、外務省、警察庁。
日本の中枢機関が立ち並ぶ霞が関のメインストリートは、異様な静寂に包まれていた。
群衆の侵入を阻むために、バリケードと有刺鉄線が幾重にも張り巡らされている。
だが、そこに立っているのは、警察官でも自衛官でもなかった。
「……なんだ、あいつらは」
父が目を細める。
バリケードの向こうに整列していたのは、全身を包帯のような白い布で巻かれ、拘束具を付けられた異形の集団だった。
その数、およそ五百。
彼らは微動だにせず、ただ虚ろな目でこちらを見つめていた。その隙間から覗く肌は土気色で、すでに生者の気配がない。
ズズズ……。
国会議事堂の方角から、腹に響くような重低音が鳴り響いた。
それは開戦の合図だった。
『排除セヨ……排除セヨ……』
機械的な音声が響くと同時に、包帯姿の集団が一斉に拘束具を引きちぎった。
バリッ! ベリベリッ!
布の下から現れたのは、腐敗しかけた肉と機械が融合した、悪夢のような姿だった。
人造獣(キメラ)の成れの果て。
死んだ実験体の脳髄を機械で無理やり動かしている、正真正銘の「死体兵団(ネクロ・コープス)」だ。
「死んでもこき使おうってか……! 錦川ァァァッ!」
父が激昂し、トラックの窓から身を乗り出して機関銃を撃ち放った。
ダダダダダッ!
銃弾が先頭の個体を粉砕するが、彼らは痛みを感じない。半身を吹き飛ばされても、残った腕で這いずりながら向かってくる。
さらに、建物の影からは、黒い強化外骨格の「タイプⅡ」部隊が現れ、屋上からはスナイパーが狙撃してくる。
四面楚歌。
霞が関は、文字通り「死の回廊」と化していた。
「突破するぞ! 止まったら死ぬ!」
晴天同盟のトラックが火炎瓶を投擲し、炎の壁を作る。
だが、死体兵団は炎の中を平然と突き進んでくる。彼らの肉が焼ける嫌な臭いが、辺り一面に充満する。
「……お嬢、行きます」
荷台に乗っていた瑛司(えいじ)が立ち上がった。
彼はもう、シャツを着ていなかった。
露わになった上半身は、以前のような逞しさよりも、硝子細工のような儚さを帯びていた。白銀の髪が風になびき、肌は透けるように白い。
背中の「雄鹿」の刺青だけが、命の残滓(ざんし)を燃やすように輝いている。
「瑛司……ダメよ、まだここでは!」
「ここで道を開かなきゃ、議事堂まで辿り着けません。……それに」
彼は私を見て、優しく微笑んだ。
「俺の体は、自分が一番よく分かってます。……あと二回。それが限界です。ここで一回使い、最後の一回で錦川を仕留める。……計算通りですよ」
計算通りなんかじゃない。
それは、彼が自分の死期を完全に受け入れているということだ。
止める言葉が見つからなかった。止めてしまえば、私たちはここで死体兵団の波に飲まれて終わる。
「……お願い、死なないで」
「御意」
瑛司がトラックから飛び降りた。
彼が地面に足をつけた瞬間、アスファルトが凍りついたように白く染まった。
「――獣神化(ビースト・モード)・白銀(プラチナ)ッ!」
カッッッ!!!
閃光が炸裂する。
現れたのは、これまでの青白い鹿ではなかった。
全身が白銀の毛皮に覆われ、角がダイヤモンドのように輝く、神聖なる「白鹿(はくろく)」。
その姿は、生き物というよりは、実体化した精霊(スピリット)に近かった。
『ォォォォォォン……』
その鳴き声は、鈴の音のように澄んでいた。
白鹿となった瑛司が一歩踏み出すと、周囲の死体兵団が動きを止めた。彼の放つ聖なるオーラに、穢(けが)れた死者たちが怯んだのだ。
「乗れ、紗矢! 一気に駆け抜けるぞ!」
父がトラックのアクセルを踏み込む。
私はトラックの屋根に上がり、そこから瑛司の背中へと飛び移った。
冷たい。
彼の背中は、以前のような熱を持っていなかった。ひんやりとした霊気が、私の体を包み込む。
命の炎が、静かな青い炎へと変わってしまった証拠。
「行くわよ、瑛司! 邪魔するものは全部吹き飛ばして!」
瑛司が跳躍した。
その速度は、以前とは比べ物にならなかった。
残像すら残さない神速。
死体兵団の群れの中を、白銀の閃光が駆け抜ける。
触れた敵は、衝撃で吹き飛ぶのではなく、光の粒子となって浄化され、崩れ落ちていく。
「な、なんだあの力は……!?」
タイプⅡの兵士たちが慌ててロケットランチャーを構える。
だが、瑛司はその弾頭を角で受け止め、光のエネルギーに変えて弾き返した。
ズドォォンッ!
爆風の中を、私たちは無傷で突破する。
人鹿一体となった私たちは、物理法則を超えた存在になっていた。
*
霞が関を突破し、ついに国会議事堂の正門前に到達した。
巨大な鉄の門扉が、威圧的に立ちはだかっている。
その向こうには、黒い霧に包まれた議事堂と、おびただしい数の近衛兵(エリート人造獣)が待ち構えているはずだ。
瑛司の呼吸が乱れているのが、背中越しに伝わってくる。
この形態(フォーム)は、強力だが消耗も激しい。
ここで門を破り、中に入れば、もう後戻りはできない。そして、瑛司の力も尽きるかもしれない。
「……おい、止まれ!」
後続のトラックから、父が飛び降りてきた。
晴天同盟の葛原たちも続く。彼らのトラックはボロボロで、弾痕だらけだった。
「親父? どうしたんですか」
瑛司が動きを止める。
父は、白鹿となった瑛司の足元に歩み寄り、その鼻先を愛おしそうに撫でた。
「……立派になったな、瑛司。神様の使いみてえだ」
そして、私の顔を見上げた。
「紗矢。……ここから先は、お前たち二人で行け」
「え……?」
「後ろを見てみろ」
父が指差す方向、霞が関の通りからは、先ほど突破したはずの死体兵団が、再び起き上がり、津波のように押し寄せてきていた。
さらに、空からは軍の増援ヘリが編隊を組んで接近している。
「奴らをここで食い止めなきゃ、お前らが地下に入った瞬間に背中を撃たれる。……誰かがここで『蓋』をしなきゃならねえ」
「そ、そんな! だったら一緒に……!」
「無理だ」
葛原が口を挟んだ。「我々の装備と体力では、地下の決戦にはついていけん。足手まといになるだけだ。……ここは年寄りの出番だ」
葛原は笑い、アサルトライフルの弾倉を交換した。
晴天同盟の活動家たちも、辰田組の組員たちも、覚悟を決めた顔でバリケードを築き始めている。
「……嫌よ。父さん、置いていかないで!」
私は叫んだ。嫌な予感がした。これが、今生の別れになるという予感が。
父はニカッと笑い、背中の着物を脱ぎ捨てた。
昇り龍の刺青が、午後の日差しを浴びて輝く。
「馬鹿野郎。置いていくんじゃねえ。……お前たちの背中を押すんだよ」
父はドスを抜き、死体兵団の群れに向かって切っ先を向けた。
「辰田組ィッ! 晴天同盟ェッ! ここが俺たちの死に場所だ! 一歩も通すんじゃねえぞ! お嬢と若頭が、錦川の首を取るまでの時間稼ぎだ! 命の限り暴れ回れェッ!」
「「「オオオオオォォォッ!!!」」」
野太い喚声。
父たちは、迫りくる死の波に向かって突撃していった。
それは、あまりに無謀で、あまりに勇ましい、男たちの背中だった。
「……お嬢。行きましょう」
瑛司の声が震えていた。
「親父たちの覚悟を、無駄にしちゃいけない」
私は涙を拭った。
振り返らない。振り返れば、足が止まってしまう。
父さん。葛原さん。みんな。
必ず、勝つから。
「……瑛司、門を破って!」
『御意ッ!!』
瑛司が嘶(いなな)き、全身全霊の力を込めて正門へと突進した。
ドガァァァァァァンッ!!
厚さ数十センチの鋼鉄の門が、紙屑のように吹き飛ぶ。
私たちは議事堂の敷地内へと侵入した。
背後では、激しい銃声と怒号が響き続けていた。
それは、私たちを送る鎮魂歌(レクイエム)のように聞こえた。
前方には、議事堂本館。
その巨大な玄関ホールが、黒い口を開けて待っていた。
地下神殿への入り口。
魔王・錦川との最終決戦の地。
私たちは光の矢となって、闇の中へと飛び込んだ。
(第20話 完)
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