第21話:魔議事堂、奈落への階段

 重厚な鉄扉を潜り抜けた先、国会議事堂の中央広間は、墓所のような静寂に包まれていた。

 外の喧騒が嘘のように遮断されている。

 足元には深紅の絨毯が敷き詰められ、壁は大理石で覆われている。高い天井にはステンドグラスが嵌め込まれ、差し込む光が床に複雑な幾何学模様を描いていた。


 かつて私がテレビ中継で見ていた、日本の民主主義の象徴。

 だが、今の私には、ここが巨大な怪物の胃袋の中にしか見えなかった。

 空気そのものが重く、澱(よど)んでいる。鼻をつくのは、カビ臭さと、微かな獣の悪臭。


「……静かですね」

 瑛司(えいじ)が呟いた。

 彼はすでに人間の姿に戻っていた。最後の獣神化(ビースト・モード)を温存するためだ。

 その代わり、右手には父から託された白鞘(しらさや)の短刀を逆手に握りしめている。

 上半身は裸のままで、白銀の髪が汗で張り付いている。肩で息をするたびに、背中の「雄鹿」の刺青が明滅し、彼の生命力を削り取っていくのが分かった。


「ええ。……罠よ」

 私は弓――光の矢を形成するための媒体として構えている虚空の手――を下ろさずに、周囲を警戒した。

 広間の四隅には、板垣退助や大隈重信といった憲政の功労者たちの銅像が立っている。

 だが、その台座の陰や、回廊の柱の裏から、粘着質な視線を感じる。


 その時。

 広間の中央、本来なら四つ目の台座(空席になっている場所)がある空間に、立体映像(ホログラム)が浮かび上がった。

 喪服のような黒いスーツを着た、錦川治城(はるき)の姿だった。


『よく来たね、辰田紗矢君。そして鹿角瑛司君』


 錦川は、まるで来賓を迎えるような穏やかな笑みを浮かべていた。

『君たちの活躍はここから見ていたよ。まさか、あの死体兵団を突破してくるとはね。……愛の力というのは、科学の計算を超えるらしい』


「……御託はいいわ」

 私はホログラムを睨みつけた。

「どこにいるの。姿を見せなさい」


『焦ることはない。私はこの真下……日本の深層で君たちを待っている』

 錦川が足元を指差した。

『知っているかね? この議事堂が、何の上に建てられているか。……ここはね、古代の「地下神殿」を封印するための蓋(ふた)なんだよ。明治の元勲たちは、その力を隠すために、あえてここに政治の中枢を置いたのだ』


「……それがどうしたって言うの」

『私はその封印を解く。神殿の力を使えば、日本は再び世界の覇権を握ることができる。……アメリカの核の傘に怯えることも、経済で中国に媚びることもない。真の独立国家として蘇るのだ』


 錦川の目が、狂気的な光を帯びて歪んだ。

『そのためには、君たちの持っている「適合者の命」が必要なんだ。さあ、降りてきたまえ。……ただし、私の番犬たちを倒せればの話だがね』


 フッ、とホログラムが消滅した。

 同時に、広間の照明が一斉に落ちた。

 非常灯の赤い光だけが、血のように赤く明滅する。


 キィィィィン……。

 耳障りな駆動音と共に、広間の四方から影が躍り出た。

 四体。

 それは、これまでの人造獣(キメラ)とは明らかに違う、洗練された殺意の塊だった。


 全身を漆黒の強化スーツで包み、四本の腕を持つ異形。

 それぞれの手に、高周波ブレードやマシンガンを持っている。

 顔には表情がなく、ただ赤いセンサーアイだけが光っている。


「タイプⅢ・阿修羅(アスラ)。……錦川の近衛兵(プラエトリアン)か」

 瑛司が短刀を構え、私の前に立つ。

「お嬢、下がっていてください。……ここは俺が捌(さば)きます」

「でも、あなたはもう……!」

「大丈夫です。獣にならなくても、ヤクザの喧嘩殺法なら負けませんよ」


 瑛司が地面を蹴った。

 白銀の残像を残し、先頭の阿修羅へと肉薄する。

 敵の四本の腕が一斉に襲いかかる。ブレードの斬撃と銃弾の嵐。

 だが、瑛司はそれを紙一重で回避した。

 

 彼の動きは、人間離れしていた。

 背中の刺青から漏れ出す光が、彼の身体能力を極限までブーストしているのだ。

 瑛司は敵の懐に潜り込み、短刀を一閃させた。


 ザンッ!

 阿修羅の右腕が二本、まとめて切り落とされる。

 断面から火花が散る。中身は機械だ。


「硬えな……! 中身まで鉄屑かよ!」

 瑛司が舌打ちをする。

 残りの三体が包囲網を縮めてくる。

 私は瑛司の死角をカバーすべく、弓を引いた。


「させないッ!」


 ヒュンッ!

 放たれた光の矢が、背後から瑛司に迫っていた阿修羅の頭部を貫く。

 ドォォン!

 頭部を破壊された阿修羅が、火花を散らして沈黙する。


「ナイスです、お嬢!」

 瑛司が笑い、さらに加速する。

 彼は壁を蹴り、天井のシャンデリアに飛び移ると、そこから落下エネルギーを利用して二体目の阿修羅に斬りかかった。


「――辰田流・兜割りッ!」


 ガギィィィン!

 短刀が阿修羅の肩口に食い込み、そのまま袈裟懸けに両断する。

 組長から受け継いだ剣技と、異能の身体能力の融合。

 だが、着地の瞬間、瑛司がグラリとよろめいた。


「ぐっ……、はぁ、はぁ……」

 彼が口元を押さえる。指の隙間から、青白い光の血が滴り落ちる。

 やはり、限界が近い。

 人間の姿で戦っていても、刺青を使っている以上、生命力の消耗は止まらないのだ。


 残る二体の阿修羅が、好機と見て襲いかかる。

 高周波ブレードが、瑛司の首を狙う。


「瑛司ッ!」


 私は叫び、駆け出そうとした。

 だが、それより早く、瑛司の背中の雄鹿がカッと輝いた。


「舐めんじゃ、ねえぞォッ!」


 瑛司の左腕だけが一瞬、獣神化して巨大な鹿の脚へと変化した。

 部分変身。

 丸太のような腕が、迫りくるブレードを弾き飛ばし、そのまま阿修羅の胴体にラリアットのように叩き込まれる。


 バゴォォォォンッ!

 重戦車ごとなぎ倒すような衝撃。

 二体の阿修羅は、ボールのように吹き飛び、壁に激突して鉄屑となった。


 静寂が戻る。

 瑛司は左腕を人間のものに戻すと、膝をついて激しく咳き込んだ。

 床に広がる青い血だまり。

 私は彼に駆け寄り、抱き起こした。

 体が氷のように冷たい。


「……へへ、まだ……踊れますよ」

 彼は強がって笑うが、その瞳の焦点は定まっていなかった。

「あと一回。……変身したら、俺は……」

「言わないで」

 私は彼の口を自分の手で塞いだ。

「今は、先へ進むことだけを考えて」


          *


 敵を全滅させると、広間の中央で重い地響きが起こった。

 床の大理石がスライドし、巨大な開口部が現れた。

 そこには、底の見えない闇へと続く、螺旋階段があった。

 冷たく湿った空気が吹き上がってくる。それは、数千年の時を経て解き放たれた、黄泉の国の息吹のようだった。


「……あそこね」

 私は瑛司の肩を借りて立ち上がった。

「行きましょう。錦川の待つ、地獄の底へ」


 私たちは螺旋階段を降り始めた。

 階段は果てしなく続いていた。

 壁面には、見たこともない古代の文様が刻まれている。

 降りるごとに、空気の密度が増し、肌にまとわりつくような圧迫感を感じる。


 途中、何度か小さな揺れを感じた。

 地上での戦闘――父たちが死体兵団を食い止めている振動だろうか。それとも、地下神殿のエネルギーが暴走を始めているのか。


「……お嬢」

 瑛司が、ふと足を止めた。

 螺旋階段の踊り場で、彼は私の方を向き、真剣な眼差しで見つめてきた。


「もし、俺が我を忘れて……八岐(ヤマタ)の時みたいに暴走したら……」

 彼は自分の短刀の柄を撫でた。

「その時は、お嬢の手で俺を殺してください」

「……え?」

「俺は、お嬢を守るために獣になる。……でも、もしその獣がお嬢を傷つけるようなことになったら、それは俺にとって死ぬより辛いことです」


 彼の白銀の髪が、地下の薄明かりの中で揺れる。

「約束してください。……俺を、怪物として死なせないでください」


 残酷な願い。

 愛する人を、自分の手で殺せというのか。

 でも、彼の瞳は揺るぎなかった。それが彼の誇りであり、私への最後の愛なのだと訴えていた。


 私は震える唇を噛み締め、頷いた。

「……分かった。約束する」

 私は彼の手を取り、自分の頬に寄せた。

「でも、そうならないように、私があなたを繋ぎ止める。……私の魂ごと、あなたと同調して」


 瑛司は安堵したように微笑み、私の涙を親指で拭った。

「信じてますよ、私の観音様」


          *


 さらに降りること数十分。

 ついに階段が終わり、巨大な空間へと出た。


 そこは、東京の地下深くに隠された、もう一つの世界だった。

 天井の高さは百メートル以上あるだろうか。

 広大な空洞の中央に、黒曜石で作られた巨大なピラミッド状の祭壇――「地下神殿」が鎮座していた。

 神殿の周囲には、溶岩のような赤い光が脈打ち、無数のパイプやケーブルが接続されている。古代の遺跡と現代の科学を、無理やり融合させた醜悪な光景。


 その祭壇の頂上に、小さな人影があった。

 錦川治城だ。

 彼は両手を広げ、私たちを見下ろしていた。


「ようこそ、原初の神殿へ」

 錦川の声が、拡声器を通さずとも空間全体に響き渡った。

「待っていたよ。君たちのその美しく輝く命を」


 ゴゴゴゴゴ……。

 神殿の周囲から、黒い霧が噴き出す。

 その霧の中から、ゆらりと巨大な影が現れた。

 一つではない。二つ、三つ……。

 それは、過去の失敗作たちを融合させ、錦川自身の「王の刺青」の力で使役する、最後の守護者たちだった。


「さあ、最後の儀式を始めようか。……日本が生まれ変わるための、聖なる生贄となれ」


 瑛司が短刀を抜き、私を見た。

 その顔に、もう迷いはなかった。


「行きますよ、お嬢。……これが、俺たちのラストダンスだ」


 私たちは手を繋ぎ、神殿へと続く一本道へと踏み出した。

 決戦の幕が上がる。

 革命の詩は、ここで終わりを迎えるのか、それとも新たな歴史を紡ぐのか。

 全ては、この地下の闇の中で決まる。


(第21話 完)

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