第19話:言論の城、崩落

 東京の空を、光の鹿が駆ける。

 瑛司(えいじ)はビルの屋上を跳躍し、追撃してくる黒い兵士たち(タイプⅡ)を翻弄していた。

 眼下には、皇居を中心とした千代田区のビル街が広がっている。

 その一角に、ひときわ高く、威圧的にそびえ立つ黒いビルがあった。


 『純文振興社』本社ビル。

 かつて私が純文学作家としてデビューし、そして「売国奴」のレッテルを貼られて追放された場所。

 今は屋上に巨大なパラボラアンテナを設置し、東京全域への電波妨害(ジャミング)と、政府プロパガンダの発信拠点となっていた。


「……見つけたわ」

 私は瑛司の背中で、そのビルを睨み据えた。

 あそこが、今の東京を覆う「嘘」の発生源だ。


「瑛司。あのビルへ降りて。……つけなきゃいけない落とし前があるの」

『御意。……俺も、あそこには一度文句を言いに行きたかったんです』


 瑛司が方向転換する。

 追ってくるタイプⅡたちがワイヤーを伸ばすが、瑛司は空中で体を捻り、角から衝撃波を放って迎撃した。

 私たちは重力に逆らうように落下し、純文振興社の正面エントランスへと突撃した。


 ズドォォォォンッ!!


 瑛司の着地と同時に、厚さ数センチの強化ガラスが粉々に砕け散った。

 悲鳴を上げて逃げ惑う社員たち。

 ロビーにいた警備兵たちが発砲してくるが、獣神化した瑛司の光の毛皮には傷一つつけられない。


「道を開けろォッ!」


 後方から、トラックで追いついてきた父・剛(ごう)と、晴天同盟の部隊が雪崩れ込んでくる。

 ロビーは一瞬にして戦場と化した。

 だが、今の私たちには勢いがある。

 ヤクザのドスと、活動家の火炎瓶。右と左の怒りが混ざり合い、エリート意識に凝り固まった出版社の防衛網を食い破っていく。


「紗矢! ここは俺たちに任せて、お前は上へ行け!」

 父が警備兵を投げ飛ばしながら叫ぶ。

「あの社長に、引導を渡してやれ!」


「ええ、行ってくる!」


 私は瑛司の背中から飛び降りた。

 瑛司もまた、光を解いて人間の姿に戻る。

 彼はフラつきながらも私の隣に立ち、白銀の髪をかき上げた。


「……社長室は最上階でしたね。エレベーターは止められてるでしょうから、階段で行きますか?」

「いいえ。……正面から堂々と行くわ」


 私はロビーの中央にあるエレベーターホールへ向かった。

 電子ロックされているが、私は懐から一枚のカードキーを取り出した。

 かつてここを追放された時、叩きつけるのを忘れていた社員証だ。

 退職手続きなどしていない。私はまだ、ここの社員という扱いになっているはずだ。


 ピッ。

 電子音が鳴り、エレベーターの扉が開いた。

 皮肉なものだ。彼らは私をゴミのように捨てたつもりで、セキュリティの抹消すら忘れていたのだ。


          *


 最上階、社長室。

 重厚なマホガニーの扉を、瑛司が蹴り破った。


 部屋の中には、変わらぬ風景があった。

 壁一面の本棚。高級な革張りのソファ。そして、皇居を見下ろす窓際に立つ男。

 神谷(かみや)岳(がく)。

 彼は暴徒の乱入にも動じず、ワイングラスを片手にゆっくりと振り返った。


「……やあ、辰田くん。久しぶりだね」

 その薄ら笑いは、半年前に私を見下した時と何一つ変わっていなかった。

「随分と派手な帰社じゃないか。退職届でも出しに来たのかな?」


「いいえ。……あなたの解任動議を出しに来たのよ」

 私は一歩前に出た。

 瑛司が油断なく周囲を警戒している。部屋の隅には数人のSPがいたが、瑛司の殺気に当てられて動けずにいた。


「解任? 誰が私を解任するんだね? 株主か? それとも錦川総理か?」

 神谷は鼻で笑い、デスクの上のスイッチを押した。

 壁の巨大モニターに、ビル周辺の映像が映し出される。

 そこには、私たちを包囲しようとする機動隊と、それを阻止しようと集まり始めた一般市民の姿があった。


「見たまえ。愚かな大衆が騒いでいる。……君があの薄汚い電波ジャックで扇動したおかげで、東京は大混乱だ」

 神谷は侮蔑を込めて言った。

「言葉とはね、選ばれた人間が管理し、正しく与えるものなんだよ。君のように感情に任せて撒き散らす言葉は、ただの騒音だ」


「……管理された言葉? それが、あの嘘だらけのニュースのこと?」

 私は怒りを抑え、静かに問うた。

「被災地を見捨て、国民を実験台にし、それを隠蔽するためのプロパガンダ。……それがあなたの言う『文学』なの?」


「文学だよ」

 神谷は即答した。「国家という巨大な物語を成立させるためには、多少の犠牲や虚構は必要な演出だ。……君の父親のような社会のダニや、役に立たない貧困層を『リサイクル』して、強い国を作る。なんと美しい構成じゃないか」


 瑛司が殺気立って踏み出そうとする。

 私はそれを手で制した。

 ここで彼を殴り殺すのは簡単だ。だが、それでは足りない。

 この男の「言葉」を、公衆の面前で殺さなければ意味がない。


「……葛原さん、聞こえる?」

 私は胸元の隠しマイクに囁いた。

『ああ。回線は繋がっている。……この部屋の映像と音声、東京中のビジョンにジャックして流すぞ』


 私は神谷に向き直った。

「神谷社長。あなたは作家を舐めているわ」


「何?」

「あなたは言葉を『支配の道具』だと思っている。でも、言葉は『種』よ。人の心に落ちて、芽を出し、根を張る。……あなたが撒いた嘘の種は、もう腐り落ちている」


 私は懐から、一冊の本を取り出した。

 かつて私がこの出版社から出し、すぐに絶版にされたデビュー作だ。

 私はその本を、神谷の足元に投げ捨てた。


「拾いなさい」

「……なんだと?」

「拾って、読みなさい。……そこには、あなたが切り捨てた『社会のダニ』たちの、生きるための叫びが書いてある。あなたが無視し続けた現実が書いてある」


 神谷は顔を真っ赤にして激昂した。

「ふざけるな! 誰に向かって口を利いている! 私はこの国のメディア王だぞ! お前のようなテロリストの戯言など……!」


「テロリストはどっちよッ!」


 私の怒号が、社長室の空気を震わせた。

 同時に、葛原の操作によって、東京中の街頭ビジョン、スマホ、パソコンの画面に、今のこの光景が映し出された。

 神谷の醜く歪んだ顔。そして、私の告発。


「国民の皆さん、見ていますか! この男が、あなたたちの目と耳を塞いでいた元凶です! 彼は国民を『演出のための犠牲』だと言いました。……私たちは道具じゃない! 人間です!」


 モニターの中の神谷が、狼狽して周囲を見回す。

 彼のスマホが鳴り止まない。部下からの悲鳴のような報告だろう。


「な、何をした……!? 放送を止めろ! すぐに止めろ!」

「もう遅いわ。……あなたの言葉の城は、もう崩れ落ちた」


 私は瑛司に合図を送った。

「瑛司。……このビルの屋上にあるアンテナ、目障りだわ」

「御意。……へし折ってきます」


 瑛司が窓ガラスを蹴破り、外へと飛び出した。

 彼は落下するのではなく、壁面を駆け上がり、屋上へと向かった。

 数秒後。

 ズズズズズ……という地響きと共に、天井が悲鳴を上げた。


 ドガァァァァンッ!!


 屋上から、巨大なパラボラアンテナの残骸が、窓の外を落下していった。

 情報統制の要(かなめ)が、物理的に破壊されたのだ。


「あ、ああ……私の会社が……私の権威が……」

 神谷は膝から崩れ落ちた。

 彼はもう、ただの初老の男だった。金も権力も、言葉の力さえも失った、空っぽの抜け殻。


 私は彼を見下ろし、冷たく言い放った。

「あなたはもう、二度と言葉を扱う資格はない。……一生、沈黙の中で自分の罪と向き合いなさい」


 ロビーから、怒号が近づいてきた。

 父たちが制圧を完了し、上がってきたのだ。

 いや、それだけではない。

 ビルの外からは、数千、数万の群衆のシュプレヒコールが聞こえてきた。

 『神谷を出せ』『真実を教えろ』。

 かつて彼が「愚かな大衆」と見下していた人々が、今や彼を断罪するために押し寄せている。


「連れて行って」

 私が指示すると、父たちが神谷の両脇を抱え、引きずっていった。

 彼は抵抗する気力もなく、亡霊のような顔で連行されていった。


 部屋には私と、窓から戻ってきた瑛司だけが残された。

 瑛司は息を切らせ、壁に手をついていた。

 その白銀の髪が、汗で濡れている。


「……終わりましたね、お嬢」

「ええ。……でも、これは前座よ」


 私は窓の外を見た。

 皇居の向こう側、国会議事堂の方角から、どす黒い雲が湧き上がっているのが見えた。

 あそこに、錦川がいる。

 そして、「地下神殿」への入り口がある。


「神谷は倒した。でも、この国の病巣の根源はまだ残ってる」

「行きましょう。……俺の体も、まだ動きます」


 瑛司が拳を握りしめる。

 彼の手のひらから、青白い光の粒がこぼれ落ちていた。生命力の漏出が止まらない。

 残された時間は、本当に少ない。


「……ええ。次が最後よ」


 私は瑛司の手を取り、廃墟となった社長室を後にした。

 言論の城は落ちた。

 次は、権力の魔城を落とす番だ。

 革命の詩(うた)は、いよいよクライマックスへと突入する。


(第19話 完)

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