第13話:地獄の生産ライン

 日昇(にっしょう)臨海工業地帯。

 かつては日本の高度経済成長を支えた鉄と油の街は、今や死の沈黙に支配されていた。

 海から吹き付ける湿った風には、潮の香りに混じって、何か別の――鉄錆と腐敗した肉のような、生理的な嫌悪感を催す臭気が混じっていた。


 午前四時。

 黎明の薄明かりの中、私たちを乗せたトラックの隊列は、工業地帯のメインゲート手前でエンジンを止めた。


「……ここが、地獄の一丁目か」


 助手席で父・剛(ごう)が低く呟いた。

 目の前にそびえ立つのは、広大な敷地を囲む高さ五メートルの有刺鉄線付きコンクリート壁。そして、要所要所に設置された監視塔からは、赤いサーチライトが不気味に眼下を舐め回している。

 第四プラント。通称「ファーム」。

 外見はただの化学工場だが、その煙突から吐き出される紫がかった煙が、ここがまともな場所ではないことを雄弁に物語っていた。


「作戦通りに行くぞ」

 父が無線機に向かって短く告げる。

「正面ゲートは囮(おとり)だ。晴天同盟の部隊が派手に騒いで注意を引きつける。その隙に、俺たち本隊と『鹿』が側面から壁をぶち破って突入する」


『了解』

 無線から葛原(くずはら)の冷静な声が返ってきた。

『死ぬなよ、ヤクザ共』

「へっ、そっちこそな」


          *


 ズドォォォォンッ!!

 

 轟音と共に、正面ゲート付近で爆炎が上がった。

 晴天同盟が仕掛けたトラック爆弾だ。

 警報サイレンが鳴り響き、監視塔のサーチライトが一斉に正面ゲートへと集中する。機関銃の射撃音が夜気を切り裂く。


「今だッ! 突っ込めぇッ!」


 父の号令と共に、私たちの乗るトラックがアクセル全開で急発進した。

 目指すは、警備が手薄になった工場の東側外壁。

 荷台には、辰田組の精鋭たちと、そして私と瑛司(えいじ)が乗っている。


「瑛司、準備はいい?」

 私はトレンチコートを脱ぎ捨てた。

 朝の冷気が肌を刺すが、背中の「救世観音」はすでに熱く脈打ち、私の体温を上昇させていた。

「いつでも」

 瑛司もシャツを脱ぎ、私に背を向けて座り込んだ。

 その背中には、以前よりも神々しさを増した「雄鹿」の刺青。そして、白く染まった髪が風に揺れている。


 私は瑛司の背中に手を当てた。

 今までのように、ただ乗るだけではない。

 私は額を彼の背中に押し付け、意識を深く沈めていった。


(私の命を、あなたに。あなたの痛みを、私に)


 魂の同調(シンクロ)。

 私の「癒やし」の力を、瑛司の生命力回路に直結させるイメージ。

 ドクンッ!

 心臓が早鐘を打つ。

 瑛司の体内で燃え盛る命の炎の熱さと、その燃料が尽きかけている焦燥感が、私の脳内に直接流れ込んでくる。

 熱い。痛い。苦しい。

 これが、彼が一人で耐えてきた感覚なのか。


「……お嬢、無茶だ。これじゃお嬢まで……!」

「黙って受け入れなさい! ……私たちは二人で一つなんでしょう!?」


 私が叫ぶと、瑛司の迷いが消えた。

 二つの魂が溶け合い、黄金色の光と青白い光が混ざり合っていく。


「――獣神化(ビースト・モード)・連理(れんり)ッ!」


 光の爆発。

 トラックの荷台から、巨大な光の塊が飛び出した。


『グオォォォォォォッ!!』


 現れたのは、これまでの姿とは一線を画す巨鹿だった。

 体高はさらに増し、全身を覆う青白い毛並みの上から、黄金色の装飾――まるで観音の衣のような光の帯が鎧のように纏(まと)わりついている。

 角もまた、黄金色に輝き、神聖なオーラを放っていた。


 瑛司(巨鹿)はそのままの勢いで、工場のコンクリート壁へと突進した。

 ドガァァァァァンッ!

 分厚い壁が、発泡スチロールのように粉砕される。

 私たちは土煙を巻き上げながら、工場の敷地内へと侵入した。


          *


 敷地内は、異様な光景だった。

 迷路のように張り巡らされたパイプライン。あちこちから噴き出す蒸気。

 そして、私たちを待ち構えていたのは、数百体の「失敗作」たちだった。


「ア゛ア゛ア゛……」

「コロ……シテ……」


 獣になりそこねた人間たち。

 腕だけが肥大化した者、頭部が崩れ落ちた者。不完全な人造獣(キメラ)たちが、工場の庭を埋め尽くしていた。

 彼らは私たちを見ると、苦痛に歪んだ顔で襲いかかってきた。


「……行くわよ、瑛司」

『ああ……!』


 言葉はいらなかった。思考が直結している。

 瑛司が前脚を叩きつけると同時に、私は弓を引く。

 私の視界は、瑛司の視界と共有されていた。三百六十度、死角はない。


 ――全方位射撃。


 私が放った光の矢は、空中で蓮華(れんげ)の花が開くように拡散し、周囲の敵を一掃した。

 その矢は物理的な破壊力よりも、「浄化」の力が極限まで高められていた。

 射抜かれた失敗作たちは、光に包まれて砂のように崩れ去っていく。

 苦痛からの解放。


「道が開いた! 突っ込めぇ!」

 父・剛の声と共に、辰田組のトラックが私たちの後ろから雪崩れ込んでくる。

 組員たちは涙を流しながらも、躊躇なく引き金を引いていた。

 彼らもまた、覚悟を決めているのだ。


 私たちは工場の心臓部、巨大なドーム型の建屋へと突入した。

 瑛司が巨大な角で鉄扉をこじ開ける。

 内部の光景を目にした瞬間、私の背筋が凍りついた。


「……なんてことを」


 そこは、巨大な屠殺場(とさつじょう)だった。

 天井の高い空間に、無数のベルトコンベアが張り巡らされている。

 フックに吊るされて運ばれていくのは、家畜ではない。

 人間だ。

 麻酔で眠らされた人々が、まるでモノのように運ばれ、巨大な機械のアームによって刺青を刻まれ、謎の液体が入ったタンクへと放り込まれていく。


 タンクの中で、人々は痙攣し、肉体が変異し、獣へと作り変えられていく。

 成功した個体は「出荷」レーンへ。

 失敗して死んだ個体は、廃棄口へと無造作に捨てられていく。


「ふざけやがって……! 人間をなんだと思ってやがる!」

 父が激昂し、近くの制御盤を日本刀で叩き斬った。

 火花が散り、コンベアの一部が停止する。


 その時。

 工場内のスピーカーから、聞き覚えのある嘲笑が響いた。


『ようこそ、ネズミの諸君。……いや、今は「鹿」と呼ぶべきかな』


 工場の奥、司令室と思われるガラス張りの部屋に、一人の男が立っていた。

 白衣を着た、神経質そうな男。以前、『真相』の取材で見かけたことがある。政府御用達の科学者、伴内(ばんない)だ。


『素晴らしいだろう? ここは人類進化の最前線だ。不要な下層市民を、国を守る強靭な兵士へとリサイクルする。これこそ究極のSDGsだと思わんかね?』


「……貴様ッ!」

 私が弓を構えようとした瞬間、伴内がパチンと指を鳴らした。


『最高傑作を見せてやろう。……出ろ、「八岐(ヤマタ)」』


 工場の床が割れ、地下から巨大なエレベーターがせり上がってきた。

 拘束具が外され、現れたのは、これまでの人造獣とは次元の違う怪物だった。


 体高八メートル。

 胴体は鎧のような甲殻に覆われた大蛇。

 だが、その首からは、八つの異なる獣の頭が生えていた。

 狼、虎、熊、鰐(わに)……。

 それぞれが独立した意思を持ち、凶暴な咆哮を上げている。


『人造獣・八岐大蛇(ヤマタノオロチ)モデル。八人の適合者の肉体を融合させ、一つの心臓で駆動させた、私の自信作だ』


 グオォォォォッ!!

 八つの頭が一斉に吠え、私たちに向けて殺気を放つ。

 そのプレッシャーは凄まじく、瑛司の巨体がわずかに後ずさった。


「ビビってんじゃねえぞ、瑛司!」

 父が叫ぶ。

「デカい図体になりやがって、根性まで蛇に負けたか!」


『……負けるかよッ!』


 瑛司の心から、恐怖をねじ伏せるような闘志が伝わってくる。

 そうだ。私たちはもう、後戻りできない。

 この悪趣味な工場を灰にするまでは。


「行くわよ、瑛司! 一点突破!」

『御意ッ!』


 瑛司が床を蹴り、光の弾丸となって突進する。

 対する八岐も、八つの頭を鎌首のように持ち上げ、迎撃態勢をとる。


 ドガァァァァァンッ!

 

 光の鹿と、闇の多頭蛇が激突した。

 衝撃波で工場の窓ガラスがすべて吹き飛び、タンクが破裂して培養液が溢れ出す。

 大怪獣バトル。

 だが、これは映画ではない。

 瑛司がダメージを受ければ、その痛みは私にもダイレクトに伝わる。


 ガブッ!

 八岐の一つの頭――虎の頭が、瑛司の左肩に噛みついた。

「うぐっ……!」

 私の左肩に、肉を食いちぎられるような激痛が走る。

 視界が白滅しかけるが、私は歯を食いしばって耐えた。


(これくらい……瑛司が耐えてきた痛みに比べれば!)


「離れろォォォッ!」

 私が至近距離から弓を放つ。

 光の矢が虎の頭の眼球を貫き、爆発させる。

 八岐が悲鳴を上げてのけぞる。


 その隙を逃さず、瑛司が角を振り上げ、敵の胴体へと突き上げる。

 一進一退の攻防。

 だが、相手は八つの頭を持つ不死身の怪物。一つを潰しても、残りの七つが襲いかかってくる。


「くそっ、再生能力まであるのか!」

 潰したはずの虎の頭が、ボコボコと肉を盛り上げて再生し始めている。

 伴内の高笑いが響く。

『無駄だ無駄だ! 八岐の生命力は無限に近い! 貴様らのちっぽけな命など、すぐに燃え尽きるぞ!』


 瑛司の呼吸が荒くなる。

 シンクロしている私にも分かる。彼の生命力の残量が、急速に減っていく警告(アラート)が。

 長期戦は不可能だ。

 一撃で。

 再生する暇も与えない、最大火力の一撃で核(コア)を潰すしかない。


「……瑛司。聞こえる?」

『ああ……お嬢の考え、分かります』


 私たちの意識が一つになる。

 狙うのは、八つの首の付け根。心臓部。


「父さん! あいつの動きを止めて!」

 私が叫ぶと、父はニヤリと笑った。


「任せとけ! おい野郎ども、ダイナマイトの用意だ! あの蛇野郎の足元を崩せ!」


 辰田組の男たちが、工場の柱や床に爆薬を仕掛け、一斉に起爆させた。

 ズズズンッ!

 足場が崩れ、八岐がバランスを崩して大きく体勢を崩す。


「今だッ!」


 瑛司が全身の光を角に集中させる。

 私もまた、背中の観音の力を限界まで引き絞り、一本の巨大な矢を形成する。

 黄金の角と、黄金の矢。

 二つの力が重なり合い、太陽のような輝きを放つ。


「――合体奥義・鹿王(ろくおう)光臨破ッ!」


 瑛司が突撃し、角で八岐の胸板を貫く。

 同時に、私がゼロ距離から光の矢を心臓部へと撃ち込む。


 カッッッ!!!


 工場内が真っ白な光に包まれた。

 断末魔の叫びさえかき消す、浄化の奔流。

 光が収まった時、そこには灰となって崩れ落ちる八岐の残骸と、肩で息をする私たちだけが残っていた。


 司令室のガラスが割れ、伴内が腰を抜かして震えているのが見えた。

 私たちは勝った。

 だが、その代償は大きかった。


 獣神化が解け、人間の姿に戻った瑛司が、糸が切れたように私の腕の中に倒れ込んだ。

 その髪は、今や八割が白く染まっていた。

 そして、同調していた私の黒髪にも――一筋の白いものが混じっていた。


(第13話 完)

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