第11話:人造獣(キメラ)の進撃

 日昇(にっしょう)県の県境、国道六号線。

 かつては物流の大動脈だったこの道は今、大小様々な車両や瓦礫によって封鎖され、急造の要塞と化していた。


「来るぞ! 総員、配置につけッ!」


 父・剛(ごう)の怒号が響き渡る。

 バリケードの陰には、辰田組の組員と晴天同盟の活動家たちが、ライフルや火炎瓶を構えて待ち構えていた。

 彼らの視線の先、陽炎(かげろう)が揺らめくアスファルトの向こうから、土煙を上げて迫ってくる車列があった。

 自衛隊の深緑色の大型トラックだ。その数、およそ二十台。


「……様子がおかしいな」

 双眼鏡を覗いていた晴天同盟の葛原(くずはら)が、訝(いぶか)しげに呟いた。

「戦車や装甲車による支援がない。ただの輸送トラックだけだ。……歩兵を展開させる気か?」


 トラックの隊列は、バリケードから三百メートルほどの距離で停止した。

 エンジンが切られると、不気味な静寂があたりを包む。

 次の瞬間、荷台の幌(ほろ)が一斉に跳ね上げられた。


「な、なんだありゃ……?」

 最前線の組員が声を漏らす。


 荷台から転がり落ちるように現れたのは、制服を着た兵士ではなかった。

 薄汚れた病院着のような服を着せられた、老若男女の集団だった。

 男も女も、痩せこけた老人もいる。彼らは一様に虚ろな目をしており、首には金属製の首輪が嵌められ、手足は鎖で繋がれていた。

 その数、数百人。


「民間人……? まさか、人間の盾にする気か!?」

 私が息を呑んだ時だった。


 キィィィィィン……。


 耳障りな高周波音が、トラックのスピーカーから鳴り響いた。

 それは、彼らの首輪に対する起動信号だった。


「アッ、アアアアアアッ!!」


 数百人の悲鳴が重なり合う。

 彼らが苦悶の表情で地面を転げ回ると、背中の服が裂け、禍々しい赤黒い光が漏れ出した。

 無理やり刻まれた、機械彫りの刺青。

 その光が、彼らの肉体を内側から破壊し、作り変えていく。


 骨が砕ける音。筋肉が異常に膨張する音。皮膚が裂け、獣の毛皮が噴き出す音。

 それは、瑛司(えいじ)の「獣神化」のような神聖な変身ではなかった。

 もっと醜悪で、冒涜的な、強制進化。


「グルルルル……ッ!」


 数秒後、そこに立っていたのは人間ではなかった。

 狼のような頭部を持つ男。熊の腕を持つ老人。昆虫のような甲殻に覆われた女。

 種族としての統一感もなく、中には複数の獣の特徴が混ざり合った異形――人造獣(キメラ)もいた。

 共通しているのは、全員が理性を失い、血走った目で涎(よだれ)を垂らしていることだけだ。


「……なんてこと」

 私は口元を押さえた。

 これが、錦川のやり方か。

 国民を守るべき国が、国民を怪物に変えて、同じ国民を襲わせるというのか。


『殺セ……喰ラエ……』

 トラックのスピーカーから、催眠的な指令が流れる。

 数百体の人造獣たちが、一斉にバリケードに向かって駆け出した。

 地響きが起きる。それはまさに、地獄の蓋が開いた光景だった。


「撃てぇぇぇッ! 近づけるな!」


 剛の号令で、バリケードから一斉射撃が開始された。

 銃弾の雨が獣たちの肉体を穿つ。

 だが、止まらない。

 彼らは痛みを感じていないのか、手足を撃ち抜かれても、這いずりながら進んでくる。

 先頭の獣がバリケードに激突し、車を軽々と跳ね飛ばした。


「うわあああッ!」

 組員が悲鳴を上げて吹き飛ばされる。

 獣がその上にのしかかり、鋭い牙で喉笛に喰らいつく。鮮血が舞う。


「クソッ、キリがねえ! こいつらゾンビかよ!」

 前線が崩壊しかけたその時、私の隣で瑛司が動いた。


「……下がってろ、お前ら」


 低く、冷たい声。

 瑛司がシャツを脱ぎ捨てる。

 その背中には、以前よりも増えた白髪交じりの髪がかかっていたが、雄鹿の刺青は変わらず強く輝いていた。


「――獣神化(ビースト・モード)ッ!」


 青白い閃光。

 光の中から、五メートル級の巨鹿が顕現した。

 瑛司はバリケードを飛び越え、獣の群れの中へと着地した。

 その衝撃波だけで、十数体の人造獣が吹き飛ぶ。


『グオォォォォッ!!』


 瑛司の咆哮が、戦場の空気を震わせた。

 王者の威圧。

 だが、理性を失った人造獣たちには、恐怖という感情さえなかった。

 彼らは瑛司の巨体に群がり始めた。

 足に噛みつき、背中に爪を立て、まるで巨像にたかる蟻のように襲いかかる。


「瑛司!」


 私はバリケードを乗り越え、戦場へと走った。

 瑛司が首を振り、群がる獣たちを振り払う。

 その隙に、私は瑛司の背中へと飛び乗った。


 背中から見る光景は、地獄絵図だった。

 眼下に蠢(うごめ)く無数の怪物たち。

 私が弓を構えると、背中の救世観音が熱く脈動した。


(……聞こえる)


 観音の力が鋭敏になった私の聴覚に、肉声ではない「心の声」が飛び込んできた。


『痛い、痛いよぉ』

『お母さん、助けて』

『殺してくれ、もう楽にしてくれ』


 それは、怪物の姿に変えられた彼らの、魂の叫びだった。

 彼らの中に、まだ人間としての意識が残っている。

 肉体の主導権を奪われ、終わらない激痛の中で、彼らは泣いていたのだ。


「っ……!」

 弓を引く手が震えた。

 撃てるの?

 彼らは被害者だ。もしかしたら、昨日まで普通に暮らしていた市民かもしれない。

 それを、私の矢で殺すの?


「……お嬢」

 瑛司の声が、脳内に直接響いた。苦しげな声だった。

「迷わないでください。……彼らを救う方法は、もう『終わらせてやる』ことしかありません」


 瑛司の巨体が、敵の爪で切り裂かれる。

 青白い光の血液が飛散する。

 彼もまた、傷ついている。

 私が躊躇(ためら)えば、瑛司が死ぬ。仲間たちが殺される。


(……錦川。あなたはどこまで腐っているの)


 私は奥歯が砕けるほど噛み締めた。

 怒りが、悲しみを凌駕する。

 この悪行を止めるには、元凶を断つしかない。そのためには、今は修羅になるしかない。


「……ごめんなさい。せめて、安らかに」


 私は涙を拭わず、弦を引き絞った。

 狙うのは急所のみ。苦しませず、一撃で魂を解放するために。


「――浄化(パージ)ッ!」


 放たれた光の矢が、扇状に拡散した。

 それは雨のように降り注ぎ、群がる人造獣たちの額を正確に貫いていく。

 ドサリ、ドサリと倒れ伏す獣たち。

 その死に顔からは、苦悶の表情が消え、どこか安堵したような色が浮かんでいた。


 私たちは戦い続けた。

 三百、四百。

 終わりの見えない殺戮。

 瑛司の光が明滅し始める。体力の限界が近い。

 それでも敵の増援トラックは次々と現れ、新たな「悲鳴」を吐き出していく。


「キリがねえぞ! 撤退だ! 第二防衛ラインまで下がるぞ!」


 後方から葛原の叫び声が聞こえた。

 弾薬が尽きかけている。これ以上の交戦は全滅を意味する。


「瑛司、戻って! 下がるわよ!」

『……御意』


 瑛司は最後の力を振り絞り、巨大な角で地面を抉(えぐ)り取った。

 土砂崩れを起こし、敵の進路を塞ぐ。

 その隙に、私たちは背を向けて走った。


 勝利なき撤退。

 背後からは、まだ数百の獣たちの咆哮が聞こえていた。


 山中の拠点に戻った時、私たちは誰も口を利けなかった。

 瑛司は変身を解くと同時に昏倒し、そのまま医務室へ運ばれた。

 彼の髪は、今や半分近くが白く染まっていた。


 私は震える手で、泥と返り血に汚れた自分の顔を洗った。

 水が赤く染まる。

 鏡に映る私の目は、深く窪み、暗い光を宿していた。


 これは戦争だ。

 英雄ごっこではない。

 敵は、私たちの心(モラル)を壊し、瑛司の命(ライフ)を削り取るために、国民の命を薪(まき)として燃やしている。


「……許さない」


 私は鏡の中の自分に誓った。

 もう、慈悲だけで救える段階は過ぎた。

 悪魔を殺すためには、私自身がそれ以上の悪魔になる必要があるのかもしれない。


 背中の観音が、熱く、痛く疼いていた。

 それはまるで、これから流れる血の量を嘆いているかのように。


(第11話 完)

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