第二章:反逆の狼煙―Resistance―

第8話:禁断の同盟

 日昇(にっしょう)県の深山(しんざん)。

 樹齢数百年を超える杉の木々が鬱蒼と茂る獣道を、私たちは無言で歩き続けていた。

 足元は腐葉土と泥でぬかるみ、一歩進むごとに体力を奪っていく。


 自衛隊の追撃を振り切ってから、すでに半日が経過していた。

 辰田組が代々管理してきた、山中の「隠し井戸」と呼ばれる狩猟小屋。そこが当面の隠れ家だった。


「……瑛司。少し休んで」


 私は、前を歩く瑛司(えいじ)の背中に声をかけた。

 彼は私のトレンチコートを羽織り、背中の刺青を隠しているが、その足取りが僅かに重いことに私は気づいていた。

 先ほどの戦闘――獣神化(ビースト・モード)の反動だ。


「平気ですよ、お嬢。これしきの山歩き、ガキの頃に比べれば散歩みたいなもんです」


 瑛司は振り返り、いつものように人懐っこく笑おうとした。

 だが、その笑顔は引き攣(つ)っていた。

 何より、私の目は誤魔化せなかった。

 汗で濡れた彼の前髪。その一房(ひとふさ)が、まるで雪のように真っ白に変色しているのを。


(……命を、削ったんだ)


 胸が締め付けられる。

 あの圧倒的な力。戦車を投げ飛ばすほどの破壊力。それがタダで手に入るはずがない。

 彼は私のために、自分の寿命を前借りして戦ったのだ。


「……無理しないでと言ったでしょう」

「男が惚れた女を守るのに、無理しない奴がどこにいますか」


 彼は悪びれもせず、軽口で返してくる。

 その不器用な献身が、今は痛いほど愛おしく、そして辛かった。


          *


 山小屋に到着したのは、日が暮れる直前だった。

 電気も水道もない、荒れ果てたあばら屋だが、雨風を凌げるだけマシだ。

 生き残った組員たちは泥のように眠りにつき、見張りの交代を決める声だけが静かに響いていた。


 囲炉裏に火が入り、暖かな光が室内に広がる。

 父・剛(ごう)は、焚き火を見つめながら、渋い顔で煙管(キセル)をふかしていた。


「……どうにか逃げ延びたが、ジリ貧だな」


 父の言葉は、冷徹な現状分析だった。

「自衛隊の一個中隊を壊滅させたんだ。国は面子(メンツ)にかけても俺たちを殺しに来る。次はミサイルか、あるいはもっとヤバいもんが出てくるかもしれねえ」

「ヤバいもの……?」

「ああ。俺たちが使った『墨』の力を、奴らも研究しているはずだ。……こっちと同じような『化け物』が出てきてもおかしくねえ」


 私は背筋が寒くなるのを感じた。

 瑛司のような獣神化兵器が、もし敵として現れたら。それも、軍隊の組織力で運用されたら。

 今の私たちに勝ち目はない。


「それに、俺たちには『弾』が足りねえ」

 父は私を見た。「紗矢。お前の持っているデータは核爆弾級のネタだ。だが、山の中に隠れていては、それを世間に公表する手段がねえ」


 その通りだ。

 ネット回線は遮断され、私たちは完全に孤立している。

 真実を持っていても、それを伝えられなければ無いのと同じだ。


「どうするの、父さん」

「……毒を食らわば皿まで、だ」


 父は懐から、一枚の古ぼけた名刺を取り出した。

 そこに書かれていたのは『晴天同盟(せいてんどうめい)』という文字。

 私は息を呑んだ。

 それは、公安警察が最重要監視対象としている、国内最大級の極左過激派組織の名前だった。


「父さん、まさか……」

「俺の古巣だ。……四十年近く前、俺がまだ火炎瓶投げてた頃のな」


 父は苦笑いした。

「ヤクザになってからは縁を切っていたが、緊急時の連絡ルートだけは残してある。……今の俺たちに必要なのは、奴らの持っている『地下放送網』と、全国に潜伏している『活動家』という名の手足だ」


 極右のヤクザが、極左の過激派と手を組む。

 本来ならあり得ない、禁断の同盟。

 右と左。水と油。

 だが、今の私たちには共通の敵がいる。


「……分かったわ。やりましょう」

 私は頷いた。「国を変えるためなら、悪魔とだって手を組む。それが、私の選んだ修羅の道よ」


          *


 連絡をとってから数時間後。

 指定された合流ポイントは、山を越えた先にある、廃墟となったダムの建設予定地だった。

 月明かりの下、巨大なコンクリートの壁が墓標のようにそびえ立っている。


 私と瑛司、そして父。三人は警戒しながら広場の中央へと進んだ。

 空気が張り詰めている。

 どこから狙撃されてもおかしくない。


「……来たか。昇り龍のタツ」


 闇の中から声が響いた。

 コンクリートの影から現れたのは、十数名の男たち。

 彼らの服装はバラバラで、一見するとただの労働者や学生に見える。だが、その目には独特の光――狂信的なまでの理想への渇望が宿っていた。

 その中心に立つ男。

 白髪交じりの長髪を後ろで縛り、丸眼鏡をかけたインテリ風の初老の男。

 晴天同盟の議長、葛原(くずはら)だ。


「久しぶりだな、葛原。……四十年ぶりか?」

 父がニヤリと笑う。

 葛原は笑わなかった。氷のような視線を父、そして私と瑛司に向けた。


「落ちぶれたものだな、辰田。革命の志を捨て、権力の犬であるヤクザに成り下がった男が、今さら何の用だ。……我々は裏切り者には容赦しない」


 ジャキッ。

 葛原の背後の男たちが、一斉にアサルトライフルを構えた。

 即座に瑛司が動き、私を庇うように前に出る。刀の柄に手をかけ、殺気を放つ。


「……その銃を下ろせ。お嬢に狙いをつけるなら、全員の首を刎(は)ねるぞ」

「ほう。ヤクザ風情が、我々の『同志』を相手に勝てると思っているのか?」


 一触即発。

 張り詰めた空気が、火花を散らす。

 右と左のイデオロギーの対立。四十年分の確執。

 ここで交渉が決裂すれば、私たちは国と戦う前に、ここで彼らと殺し合うことになる。


 父が口を開こうとした。

 だが、それを手で制して、私が前に出た。


「……銃を下ろしてください。時間の無駄です」


 私の声は、夜のダムサイトによく響いた。

 葛原の目が私に向く。

「……貴様は?」

「辰田紗矢。……あなたたちが『ブルジョワ文学』と批判していた、純文学作家の端くれです」


 私は一歩も引かずに、葛原を見据えた。

「あなたたちの目的は何ですか? 暴力革命? プロレタリアート独裁? ……そんな化石みたいな理想を掲げている間に、現実はもっと先へ進んでしまいましたよ」

「何だと……?」

「今の敵は、資本家でも天皇制でもない。……この国そのものを私物化し、国民を実験動物のように扱う『錦川政権』です」


 私は懐から、内海さんから託されたSDカードを取り出し、高く掲げた。


「ここには、日昇県で起きた震災の真実が入っています。地下核実験、人工地震、そして十万人の虐殺の証拠。……あなたたちが喉から手が出るほど欲しい『真実の爆弾』です」


 葛原の表情がピクリと動いた。

「……虚勢を張るな。そんなものが……」

「虚勢かどうか、確かめてみればいいでしょう。でも、これを世に出せるのは、私という『作家』の言葉があってこそです。そして、これを守り抜けるのは……」


 私は隣の瑛司を見た。

「この『力』を持つ私たちだけです」


 瑛司が私の意図を察し、シャツの前をはだけさせた。

 雄鹿の刺青。

 瑛司が軽く気合を入れると、刺青が青白く発光し、彼の周囲の小石が重力を失って浮き上がった。

 獣神化の片鱗。その超常的な現象を目の当たりにし、晴天同盟の男たちがどよめいた。


「……なるほど。噂の『怪獣』は本物だったか」

 葛原が眼鏡の位置を直し、初めて興味深そうな笑みを浮かべた。

「いいだろう。……右も左もない。錦川という巨悪を倒すためなら、地獄の悪鬼とでも手を組むのが我々の流儀だ」


 葛原が合図を送ると、男たちは銃を下ろした。

 瑛司もゆっくりと刀から手を離す。


「取引成立だな、辰田」

「ああ。……背中は預けるぞ、葛原。寝首を掻くなよ」

「フン。貴様こそ、途中で怖気づいて逃げ出すなよ」


 父と葛原。

 かつての盟友であり、道を違えた二人の男が、四十年越しに握手を交わした。

 それは、日本の裏社会を震撼させる、最凶の同盟の誕生だった。


「歓迎しよう、辰田紗矢同志。……いや、今は『ジャンヌ・ダルク』と呼ぶべきかな」


 葛原が私に手を差し出す。

 その手は冷たかったが、確かな力強さがあった。


 こうして、私たちは「翼」を手に入れた。

 辰田組という「武力」。

 晴天同盟という「組織力」。

 そして、私が紡ぐ「真実の言葉」。


 三つの矢が揃った今、私たちは反撃の狼煙(のろし)を上げる。

 目指すは、錦川政権の打倒。

 革命の準備は整った。


 だが、私たちはまだ知らなかった。

 私たちが同盟を結んだこの時、東京では錦川が次なる一手――おぞましい「量産型獣人部隊」を解き放とうとしていることを。


(第8話 完)

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