第3話:禁じられた取材

 週刊誌『真相』の編集部は、神田の雑居ビルの地下にあった。

 紫煙が充満し、腐ったコーヒーと古紙の臭いが染みついたその場所は、およそ「報道の自由」などという高尚な言葉とは無縁の、欲望の掃き溜めだった。


「おい辰田(たつた)。次はこれに行ってこい」


 デスクの男が、吸い殻の山ができている灰皿にタバコを押し付けながら、一枚の企画書を私に放った。

 ペラペラの紙には、『日昇(にっしょう)県・震災の亡霊!? 人工地震を叫ぶ狂気の元研究員』という、三流ゴシップ誌丸出しの見出しが躍っていた。


「……なんですか、これ」

「お前、親父さんが日昇のヤクザなんだろ? 土地勘あるよな。現地の仮設住宅に、震災は国の陰謀だとかわめいてるボケ老人がいるらしい。そいつの妄言を面白おかしく書いてこい。『被災者の悲しみが生んだオカルト』って切り口でな」


 鼻で笑うデスクに対し、私は無言で企画書を掴んだ。

 怒りを通り越して、呆れる。

 人が死に、故郷が失われた悲劇さえも、この雑誌にとっては消費するための娯楽に過ぎないのだ。

 だが、今の私には仕事を拒否する権利はない。


「……分かりました。行ってきます」


 私は取材鞄を肩に掛け、逃げるように編集部を後にした。

 この時の私は、まだ心のどこかで軽んじていたのだ。

 それが単なるゴシップ記事の取材であり、適当に話を合わせて帰ってくればいいだけの、消化試合だと。


          *


 レンタカーを走らせること三時間。

 常磐道を北上し、日昇県に入ると、車窓の景色は一変した。

 復興五輪だなんだと東京では騒がれているが、現実は残酷なほど静止していた。

 道路脇に積み上げられた黒いフレコンバッグの山。除染土の仮置き場だ。

 草木が生い茂り、主を失った家々が朽ちていくゴーストタウン。

 かつて父が、そして幼い頃の瑛司(えいじ)と私が駆け回った美しい海岸線は、無機質な巨大防潮堤によって視界を遮断されていた。


 取材対象の男、内海(うつみ)という元地質学者は、帰還困難区域のギリギリ手前に位置する、人気のないプレハブ小屋に隠れるように住んでいた。


「……『真相』の記者か。帰れ。どうせ私のことをキチガイ扱いして、笑いものにする気だろう」


 ドアの隙間から顔を出した内海は、酷く怯えていた。白髪は伸び放題で、眼窩(がんか)が窪んだ瞳は神経質に左右に動いている。

 私はドアの隙間に足を挟み、努めて冷静に言った。


「記事にするかどうかは、話を聞いてから決めます。……私の実家は、この近くの辰田組です。この土地で何が起きたのか、本当のことを知りたいんです」


 辰田組。その名を出した瞬間、内海の目にわずかに理性の光が戻った。

「……昇り龍のタツさんの娘さんか。そうか、あのご仁は除染作業で最後まで住民を助けていたな……」


 内海は震える手でチェーンロックを外し、私を招き入れた。

 室内は異様な光景だった。

 窓はすべて目張りされ、部屋中に地質のデータチャートや地図、そして手書きのメモが狂気的な密度で貼り付けられている。


「いいか、記者さん。これは妄想じゃない。科学だ」


 内海は一枚の波形データをテーブルに叩きつけた。

「あの日、観測された地震波のP波とS波だ。自然地震なら、初期微動のあとに主要動が来る。だが、この波形を見ろ。最初からドカンと一発、爆発のような揺れが起きている」

「これは……」

「核実験だ」


 内海の声が低く、重く響いた。

「日昇原発の地下深く、硬い岩盤層の下に、秘密裏に掘削された実験施設がある。政府は……いや、錦川(にしきがわ)の野郎は、そこで新型水爆の起爆実験を行ったんだ。地殻変動に偽装してな」


 背筋に冷たいものが走った。

 陰謀論としてよく聞く話だ。ネット掲示板にはそんな噂が溢れている。だが、目の前の男の目は、狂人のそれではなく、真実を知ってしまった者の絶望に満ちていた。


「実験は失敗した。想定以上のエネルギーがプレートを刺激し、あの大津波を引き起こした。……十万人の命を奪ったのは、自然災害じゃない。国家による未必の故意による虐殺だ」


 内海は、分厚いファイルと一つのSDカードを私に押し付けた。

「これが証拠だ。地下施設の設計図、資材の搬入記録、そして実験当日の地震波の未修正データ。……あんたの父親は立派な極道だった。その娘なら、あるいはこれを世に出せるかもしれないと思ったが……」


 その時だった。


 パァンッ。


 乾いた音がして、内海の額に小さな穴が開いた。

 背後の窓ガラスに、赤い飛沫(しぶき)が扇状に広がる。

 内海は驚いたような表情で私を見つめ、声もなく崩れ落ちた。


「え……?」


 思考が停止する。

 目の前で、人が死んだ。

 頭から血を流して。

 窓ガラスの目張りの向こうから、何者かが狙撃したのだ。


「――確保だ。データを持っているぞ」


 外から、押し殺した男の声が聞こえた。

 砂利を踏む複数の足音。ザッ、ザッ、ザッ。

 プロの足音だ。迷いがない。


(殺される)


 本能が警鐘を鳴らす。

 これは取材じゃない。戦争だ。

 私は震える手でSDカードとファイルを鷲掴みにし、反射的に部屋の奥へと走った。勝手口があるはずだ。

 表のドアが蹴り破られる音と同時に、私は勝手口から外へ飛び出した。


 外は冷たい雨が降り始めていた。

 夕闇が迫るゴーストタウン。

 廃墟となった民家のブロック塀を乗り越え、泥に足を取られながら走る。

 呼吸が苦しい。心臓が早鐘を打つ。


「いたぞ! 女だ! 逃がすな!」


 背後から男たちの声。

 私は停めてあったレンタカーには向かわなかった。そこは真っ先に待ち伏せされているはずだ。

 地の利は私にある。私はこの町で育った。

 子供の頃、瑛司とかくれんぼをした路地裏。秘密基地にしていた廃工場。


 私は用水路に飛び込み、泥水に半身を浸しながら身を潜めた。

 頭上を、黒いスーツを着た男たちが駆け抜けていく。手にはサプレッサー付きの拳銃が握られているのが見えた。

 公安か、あるいは別働隊か。どちらにせよ、国の犬だ。


(怖い……ッ)


 歯の根が合わない。

 涙が溢れてくる。

 私はただの作家だ。フィクションの世界でなら、どんな悪党とも戦えた。

 でも、これは現実だ。撃たれれば死ぬ。痛い。怖い。

 内海さんの、虚ろな目を思い出す。


(でも……これを捨てて逃げれば、私は)


 懐に入れたSDカードの硬い感触。

 これを捨てれば、命だけは助かるかもしれない。

 でも、そうすれば、私は本当の意味で「言葉」を失うことになる。

 十万人の死の真相を握り潰し、自分だけ生き延びる作家に、何の物語が書けるというのか。


「……ふざけないでよ」


 恐怖の底から、小さな怒りの火種が生まれた。

 私の小説を否定した神谷の顔。

 売国奴と罵ったネットの声。

 そして、故郷を見捨てた国の冷たさ。


 私は泥だらけの顔を上げた。

 もう、東京には戻れない。マンションも、編集部も、私の居場所はもうどこにもない。

 帰る場所は、一つしかない。


 ――父さんのところへ。


 私は用水路を這い進み、かつて瑛司が「抜け道」として使っていた森の方角へと向かった。

 泥水が、まるで洗礼のように私の純文学作家としての「皮」を洗い流していく。

 私はもう、ただの作家ではない。

 国家指名手配犯であり、真実(バクダン)を抱えた逃亡者だ。


 雨音に紛れて、私は森の中へと消えた。

 目指すは、ここから十キロ先にある辰田組の屋敷。

 そこにしか、私が生き残る道はない。


 闇の中を走りながら、私は無意識に幼馴染の名前を呼んでいた。

 助けて、とは言わない。

 ただ、会いたい。

 私の知る限り、世界で一番強くて、優しい男に。


「待ってて、瑛司……」


 私の人生を賭けた、最長で最悪の夜が始まろうとしていた。


(第3話 完)

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