第6話 小さな日常と、少し近づく距離
それから、二日ほどが過ぎた。
ギルドで受けた依頼は、ゴブリンの討伐や荷運びの護衛みたいな、地味なものばかりだったけれど――それでも、確かに「生きていける」手応えがあった。
革装束と円盾は役に立った。
それほど強く変わったわけじゃない。
ただ、攻撃のかわし方、短剣の入れ方、体の動かし方を、少しずつ覚えていった気がする。
そしてもう一つ。
最近、広場へ行く回数が増えた。
理由をつけるなら、依頼の掲示板の帰り道で近いから。
……でも本当は、そこに行けば、また彼女に会えるかもしれないと思っていた。
◆
その日も、昼前の広場は賑わっていた。
露店の呼び込み、子どもの笑い声、焼き肉の香り。
異世界の「日常」が、ちゃんとそこにある。
「……時人様」
聞き覚えのある澄んだ声。
振り向くと、リアがいた。
メイド服のままなのに、広場のざわめきの中でも彼女だけは少し違う空気をまとって見える。銀髪と猫耳が、陽射しを受けて淡く光っていた。
「……リア。来てたんだ」
「お買い物の途中です。侯爵邸の、細々したものを……」
そう言いながら、リアは小さな籠を抱えている。
中には布に包まれた品や、香草らしい束が覗いていた。
「……それ、抱えたまま歩くの大変じゃないか?」
できるだけ、さりげなく言う。
リアは一瞬だけ目を瞬かせ――すぐに、いつもの丁寧な微笑みに戻った。
「大丈夫です。いつも、こういう仕事なので」
さらりとした声。
だけど、その“いつも”が胸のどこかをちくりと刺した。
「そっか。……じゃあ、せめて、荷物持つよ。少しだけでも」
「い、いえ……そんな……」
断りかけたリアの尻尾が、遠慮がちに揺れる。
迷っているのが分かって、俺は笑った。
「俺、今日は依頼も終わったし。……手伝わせて」
リアは小さく頷いた。
「……ありがとうございます、時人様」
◆
二人で歩く広場は、少しだけ景色が違って見えた。
露店の果物。花の香り。子どもが追いかける木の輪。
リアは必要なものを一つずつ選びながらも、時々こちらを気にして視線を戻す。
「時人様は……広場、よくいらっしゃいますね」
「え?」
「この前も、今日も。……偶然でしょうか」
言い方が妙に真面目で、俺は少し慌ててしまう。
「たまたまだよ。掲示板の帰り道だし」
リアはくすっと笑った。
「そういうことに、しておきます」
冗談めいた声。
だけど、からかうというより――どこか嬉しそうで、俺の方が落ち着かなくなる。
◆
そんな時だった。
通りの端から、馬車が勢いよく駆けてきた。
人混みのすぐ脇を、わざとでもしているみたいに。
水たまり。
気づいた瞬間には遅くて、馬の蹄が地面を叩いた。
――ばしゃっ。
跳ね上がった泥が、リアの白いエプロンに容赦なく飛び散る。
「……っ」
一瞬、言葉が出なかった。
白地に広がる、茶色の汚れ。
胸の奥が、ひどく嫌な音を立てた。
(……戻せ)
息を吸う。
「《時戻し》……2秒」
◆◆ 時間が2秒巻き戻る ◆◆
短いノイズ。
頭の奥がきしむように痛み、鼻の奥が少し熱くなる。
――戻った。
次の瞬間、俺はリアの腕をそっと引いた。
「こっち」
「え……?」
半歩ずれた瞬間、泥は俺のブーツの先にだけ跳ねた。
エプロンは、白いままだ。
馬車は何事もなかったように通り過ぎていく。
「……今の、危なかったですね」
リアが驚いた顔で俺を見る。
「……汚れなくて、よかったよ」
リアは足元とエプロンを見下ろしてから、ふっと息を吐いた。
「本当ですね……」
それから、じっと俺を見て――小さく笑う。
「時人様って……不思議ですね。まるで未来が分かっているみたいです」
「いや、分かってないって」
俺は照れ隠しに肩をすくめる。
「たまたま、運がよかっただけ」
リアは口元を押さえて、くすくすと笑った。
「……では、その“たまたま”に、少しだけ頼らせていただきます」
「頼られすぎると、鼻血が出るけどな」
「……え?」
「冗談。冗談だから」
リアは一拍遅れて、ぷっと吹き出した。
猫耳がふるふると震える。
(……こうして並んで歩くのが、当たり前みたいになってきてる)
◆
通りの角で、店先の木箱がぐらりと傾き、
中に積まれていた果物がぽろぽろと地面に転がった。
彼女の籠の縁に、尻尾の先がちょんと当たった。
籠の中の小さな果実が一つ、ころん、と落ちる。
リアが固まる。
(……今の、本人も予想してなかったな)
その「小さな失敗」が、妙に人間らしくて、俺は笑いそうになるのを堪えた。
「拾うの手伝うよ」
「……す、すみません……」
リアは頬をほんのり赤くして、しゃがみ込む。
「尻尾が……」
「うん、見た。かわいい失敗だった」
「か、かわ――っ!?」
リアが顔を上げて固まったので、俺は慌てて咳払いした。
「いや、その……ほら、誰も怪我しなかったし。ね」
リアは困ったように目を伏せ、尻尾がしゅんと沈む。
……かと思ったら、次の瞬間、尻尾がむずむずと揺れている。
笑いを我慢しているらしい。
「時人様……いじわるです」
「ごめん。ちょっとだけ」
二人で果物を拾い集め、店主に返す。
店主は何度も頭を下げた。
「助かったよ! ……嬢ちゃんも、ありがとうな」
リアが丁寧に一礼する。
その仕草が、いつもの「侯爵邸のメイド」そのものなのに――さっきの尻尾の失敗が脳裏に残って、俺は少しだけ笑ってしまった。
◆
しばらく歩いた頃、甲高い声が響く。
通りの向こうで、猫人族の小さな男の子が、母親に手を引かれて歩いていた。
手には、青い風船。陽に透けて、空の色みたいに淡い。
男の子が嬉しそうに手を振った、その瞬間。
――するり。
指の間から、風船の紐が抜けた。
「あっ……!」
風船がふわりと上がっていく。
男の子の顔が、みるみるしょんぼりに変わった。
(……3秒なら)
俺は小さく息を吸う。
「《時戻し》……3秒」
◆◆ 時間が3秒巻き戻る ◆◆
鋭い痛み。
喉が詰まり、視界が白く揺れる。
――戻った。
風船が指を抜ける、その瞬間。
俺は自然に手を伸ばして、紐を掴んだ。
「ほら」
「……え?」
しゃがんで、風船を渡す。
「気を付けてね」
「……うん! ありがと!」
男の子はぱっと笑って、今度は両手でしっかり紐を握ったまま、母親の元へ戻っていく。
その横で、リアがにっこりと笑った。
「時人様……やっぱり、未来が分かっているみたいです」
「だから違うって」
俺は苦笑して答えた。
「……たまたまだよ」
「カンがいいだけ」
リアはくすっと笑った。
「そういうことに、しておきます」
その声は、冗談めいていたけれど――
どこか、確信に近い響きもあった。
俺はそれ以上、何も言えなかった。
◆
買い物を終え、リアは籠を抱え直す。
「ここからは、私一人でも……大丈夫です」
「ほんとに?」
「はい。……ただ」
少し迷ってから、リアは顔を上げた。
「また……広場で、お会いできたら嬉しいです」
胸の奥が、ふっと軽くなる。
「うん。俺も、嬉しい」
リアはほっとしたように微笑み、丁寧に一礼した。
「では……時人様。また」
銀髪が揺れ、猫耳がぴくりと動く。
その背中を見送りながら、俺は小さく息を吐いた。
首元の錠前付きの首輪が、ちらりと見える。
――やっぱり、気になる。
でも今日は、踏み込まない。
こういう日が、少しずつ増えていけばいいと思った。
そんな穏やかな感覚を胸に、
その日は静かに終わった。
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