第2話 最弱のスキルと、最初の一歩

城門の外に放り出されて、

俺はしばらく、その場に立ち尽くしていた。


背中に当たる石壁は冷たく、

足裏から伝わる地面の感触だけが、やけに現実的だった。


頭が痛む。

殴られたせいか、それとも――〈時戻し〉の余韻か。

たぶん、両方だ。


(……異世界に来て、追放。いきなりこれかよ)


乾いた笑いすら、喉の奥で引っかかって出てこなかった。


けれど、いつまでもこうしているわけにはいかない。

俺は小さく息を吐き、ゆっくりと立ち上がった。



昼の街は、驚くほど活気に満ちていた。


商人の呼び声。

行き交う人々の笑顔。

子どもたちが石畳を駆け回り、軽やかな足音を響かせている。


さっきまで王に怒鳴られていたのが、嘘みたいだった。


店先には見たことのない果物、異国風の布飾り。

猫耳や犬耳を持つ人々――獣人族らしき姿も、当たり前のように混じっている。


王と兵士に冷たく突き放された直後だというのに、

この景色だけは、胸を高鳴らせた。


「……すげぇ。本当に、異世界なんだな」


思わず、口から零れた。



(とりあえず、今日寝る場所と食べ物だな)


財布代わりの小袋を開く。

中には、城から追放される際に投げられた銅貨が数枚だけ。


(……ギリギリ生きられる、か)


働き口を探すしかない。

そう考えた、その時だった。


「た、助けてくれぇえ!!」


広場に、悲鳴が響いた。


視線を向けると、広場の真ん中で男が尻餅をつき、

青ざめた顔で、何かを指さしている。


黒い霧のようなものが集まり、凝縮し――

やがて、地面から滲み出るように形を成した。


三つ目の魔物。


「な、なんだあれ!?」

「衛兵は!?」

「早く逃げろ!!」


それは、人の形をわずかに残した“異形”だった。


墓土のように乾いた、禍々しい灰色の皮膚。

ひび割れた表面の下で筋肉が脈打ち、

肩を超える太い腕には、節ばった骨が浮き上がっている。


鳥を思わせる鋭いくちばし。

金属を擦るような、不快な鳴き声。


――そして何より異様なのは、その顔の“眼”だった。


額に一つ、左右に二つ。

縦に並んだ三つの眼が、それぞれ独立してぎょろりと蠢く。

上の眼は遠くを射抜き、左右の眼は周囲の恐怖を舐め回すように探っていた。


腐臭とも、鉄錆ともつかない刺激臭。

まるで、呪いが形を得た存在。


そして――

魔物の視線の先にいたのは、小さな少女だった。


「おいおい……マジかよ……ッ!」


助けなきゃ。

そう思った瞬間、足が止まった。


電車のときと、同じだ。

間に合わないかもしれない。

その一瞬の躊躇が、身体を固く縛りつける。


魔物が腕を振り上げ――


次の瞬間、俺は駆け出していた。


「やめろぉッ!!」


だが、わずかな遅れは致命的だった。


少女へ届くより早く、

魔物の腕が俺を捉え、腹に衝撃が叩き込まれる。


「ぐっ……ッ!!」


巨岩にぶつかったみたいな痛み。

石畳に叩きつけられ、肺の空気が一気に押し出された。


視界の端で、少女が泣き叫ぶ。


魔物の三つの眼が、俺を見下ろしていた。


――死ぬ。


そう思った、その瞬間。

脳内で、カチリと何かが逆回転するような感覚が走った。


戻れ。

戻れ……!!


◆◆ 時間が1秒巻き戻る ◆◆


気づけば、魔物が腕を振り上げる直前だった。


胸が締め付けられるように苦しく、

頭の奥が、ぎしぎしと軋む。


(一秒でも、これかよ……!)


今度は迷わない。

少女を抱え込むように横へ飛ぶ――が、肩をかすめた。


「ぐっ……まだ、避けきれない!」


不完全。

遅い。

読みが甘い。


――なら、もう一度だ。


頭蓋の内側を金槌で叩かれるような痛みに耐え、

意識の底から、力を引きずり上げる。


「戻れ……ッ!」


視界が揺れ、鼻血が石畳に落ちて弾けた。

鐘を乱打するようなノイズが、脳を裂く。


◆◆ 時間が2秒巻き戻る ◆◆


――それでも。


今だけは、見える。


少女の位置。

砂埃の軌跡。

影の角度。

肩の沈み。


全部、わかる。


少女を抱きかかえ、横へ滑り込む。

振り下ろされる爪を、紙一重で避けた。


「今だ――ッ!」


短剣を引き抜き、

中央の眼へ、全力で突き立てる。


「ぉおおおおああああッ!!」


刃が灰色の皮膚を割り、肉を裂く。

三つの眼が見開かれ、魔物が嘶き――

巨体が崩れ落ちた。石畳が震える。


膝が笑い、その場に座り込む。


息が上がる。

頭痛と鼻血――まだ、耐えられる。


それ以上に、胸の奥が震えるほどの達成感があった。


「やった……本当に、時戻しで……!」


避難していた人々が戻り、どよめきが広がる。


「す……すごい!」

「怪我はないかい、兄ちゃん!」


少女も、泣きながら礼を言った。


――しかし。


「……獣人のガキが狙われたって? 物騒な世の中だな」

「まあ、人間じゃなくて良かったって顔してる奴もいたがな」


そんな声が、ひそひそと混じる。

冗談めいた調子だったが、どこか本気の色も含んでいた。


胸の奥が、わずかにざらついた。


寒気が背を撫でた、その時。

肩を叩く手が、現実へ引き戻す。


「兄ちゃん、やるじゃねぇか! 冒険者になる気はねぇか?」


大柄な男が笑い、ギルドへ案内してくれた。



冒険者ギルドは、活気と酒の匂いに満ちていた。


戦果を見たギルド長が俺の実力を認め、

登録はあっさりと完了する。


――ランクZ。最底辺。

でも、ここが始まりだ。


討伐証明として魔物の残滓を提出し、報酬は銀貨10枚。

これで、数日は生きられる。


暖かいスープとパンを奢られ、

心の凍えが、ゆっくりと溶けていく。


(……俺でも、できる)


〈時戻し〉があれば。


外へ出ると、夕刻。

空は赤く染まり、街が影を伸ばしていた。


安宿の看板を見つけ、扉を叩く。


「一泊、お願いします」


藁のベッドは硬い。

でも、布団は温かい。


線路の警報と、魔物の咆哮が頭をよぎる――

けれど今日は、微笑んだまま眠れた。


(次は、もっと上手くやれる。何度でも)


――最弱のスキルでも、未来は変えられる。


そう信じて、

時人の異世界での歩みが、ここから始まった。


──────

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