三上恒一の場合 ③

「母さん、そろそろ帰ろう。……ねぇ母さん」

 目を閉じて、五秒の深呼吸のあと母さんに声をかける。返事が返ってこないのはいつも通りだった。

「母さん」

 ぼーっと墓石を眺める、丸まった背中。傷んだ髪をそのままに適当に結んで、目元にはシワがよっている。

「母さん……!」

 なんで俺は、この人に気を使ってばかりなのだろうか。成長とともに理解した母の理不尽さ。けれど、反抗すれば必ず帰ってくるヒステリック。

 墓参りだってこんなに頻繁に来るのは嫌だけど、この家で平穏に過ごすには必要なのだ。それが俺と父の中のルール。

 祖父が死んでから数年。母さんはよりいっそう俺の苦手なタイプになっていた。

「母さん!」

「っ、あ、ごめんね、恒一……ぼーっとしてたみたい。そろそろ帰ろうか」

「うん」

 ようやく動き出した母さんについて行くように歩き出す。母さんの前を歩くと、たまに置いて帰ってしまうことがあるからだ。

「……あれ、家の前に誰かいる……?」

 母さんの背中越しに見えた人影。それは確かに俺の家の前に立っていた。

「あ、おばさん?」

 それは澪おばさんだった。

 相変わらず、優しげで不思議な雰囲気をまとって、彼女はそこに立っていた。

「あんた……何しに来たのよ!」

 突然、母さんが耳障りな声を出す。

「姉さん。また、お父さんのお墓参りに?」

「ええそうよ、何が悪いの?あんたと違って、私はお父さんを大事に思っているのよ!」

「母さん、そういう言い方は……」

 思わず口を挟んだのは失敗だった。

「うるさいっ!あんたに何がわかるのよ!」

「恒一くんは関係ないでしょう」

「あんたは黙ってなさい澪!あんたがあの日したこと、忘れてないでしょう」

「……あれは関係ないでしょう」

「嘘よ!嘘よ嘘、嘘なのよ!」

 突然母さんが頭を抱えうずくまる。咄嗟に俺は母さんの元によって背中をさする。そんな自分に自己嫌悪した。

「あの日、あの日澪は……澪はお父さんに……花と旅行券……早めの誕生日プレゼントって……花と、旅行券を……」

 ブツブツと呟く母にぞっとした。それってつまり、おばさんはおじいちゃんに……。

 母のつぶやきは止まらない。




「おばさん、話があるんだ。いい?」

「えぇ、いいわよ、恒一くん」

 あれから、仕事を終えた父さんが帰ってきて母さんをなだめてくれた。ようやく落ち着いて今は二人で奥の部屋にいる。

 俺たちはリビングに向かい合っていて、いつもと空気の違うリビングは心地のよい肌寒さをまとっていた。

「おじいちゃんの、死因って」

「本当に、心臓麻痺よ。それは間違いない。……恒一くん、今年から高校生でしょう。色々考えちゃうのはわかるわ」

「……それじゃあ、なんで母さんは……その」

「私がお父さんに花と旅行券をプレゼントしたのも本当。だけど、それが原因なら、それを見た瞬間に死んでるはずでしょう」

「そう、だね」

 おばさんの目を見つめる。彼女は手を膝の上に乗せたまま微笑んでいた。……俺は、彼女を信じることにした。

「あと、もう一つ。……母さんとおばさんは、一体何があってこうなったの?」

 それは、ずっと気づいていて、ずっと聞けなかったことだった。

「……なんていうかねぇ、そういうものなのよ。昔から姉さんは私を目の敵にしていたし、私は姉さんが苦手だった」

「目の敵に……」

「姉さんはきっと、お父さんに愛されたかったのよ」

「お父さん……おじいちゃんに?」

「うん。……お父さんはね、不器用だった。子供を愛するのが下手だったのよ」

 おばさんが頬をかきながら言う。

「でも、それとおばさんになんの関係があるの?おじいちゃんは別に、誰に対しても同じような対応してたじゃん」

「……分からない。ただ、もしかすると、私が父の愛に執着していなかったことが、姉さんは許せなかったのかもしれない」

「……そっか」

 不器用で子供を愛すのが下手だったおじいちゃん。そんなおじいちゃんから愛されたかった母さん。そして、その愛に興味がなかったおばさん。

 ロボットみたいなおじいちゃんは死んでしまった。それならばその愛をどうやって受け取ればいいのだろうか。法律に抗い寿命で死んだことを受け入れられない母さんが、開放される日は、来ないのかもしれない。

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