三上恒一の場合 ②

 高校一年生の春。初めての授業は丸一日かかった。

「……は?」

「今から、資料を配る。目を通す前に説明するから、勝手に資料を開かないように」

 予定表には今日は一日かけて高校生活について、だとか校内の教師やら施設の説明をするだとか書いてあったはずだ。

 だけど、配られた資料には「幸福均衡維持法」と無機質な文字で書いてある。そしてこれから俺たちは、とある法律について説明されるらしい。

「ではまず、資料の三ページ目……」

 担任の声が聞こえる。だけどそれを理解するのに、俺は想像以上に時間を要した。きっと、こうなるから丸一日かけて説明するのだろう。淡々と説明する担任の表情はなんだか幼少期に見た祖父の顔と似ていて目をそらす。

 ペラペラと資料をめくりながら俺は現実と向き合っていた。

 つまるところ、この世界は「幸せになったら死んでしまう世界」らしい。

 事の始まりは何十年も昔。人類において幸福という感情が重要視されるようになった。そこで導入されたのが幸福均衡維持法という法律だった。

 俺たちは生まれた瞬間に脳にチップを埋め込まれ、その瞬間から幸福度の計測が始まる。そして、ある一定の幸福度を迎えた瞬間チップは自爆。強いてはその人間の死を誘発する。

 それによって俺たちは死ぬ瞬間に人生最大の幸福を感じ、最上級の喜びの中死ぬことができる、らしい。

「……誰もそんなの望んでねぇよ」

 幸せになったら死ぬ、か。それなら俺はあと数年は死なないだろうな。

 俺を含め周りの空気はしんと静まっていて、隣のクラスの教師の声すら聞こえてくるほどだった。じっとクラスを見渡すと、資料を握りしめガタガタ震えてるやつもいれば、ヘラヘラと笑いを浮かべているやつ、無表情で前だけを見つめているやつ、と反応の仕方は様々だ。ただ、大半の人間が困惑しているのが伝わって来た。

「最後に、資料の二十三ページだが、ここには……」

 俺は担任のセリフを遮るように机に突っ伏した。気づいた時には教室にざわつきが戻っていて、クラスメートが未だ困惑した表情のまま帰り支度をしていた。それに合わせて俺も荷物をまとめ学校を出た。

 まっすぐ家に帰る気に離れなかったけれど、学校が終わる時間を母さんは知っている。俺は憂鬱な気分のまま家に向かうことを選んだ。

 なんだかあの授業の後だと世界が変わって見えた。道行く人達の頭の中にはいつ爆発するか分からない爆弾が入っていて、それは俺も同じ。子供と手を繋いで歩いているにこやかな母親も、コンビニでだるそうに接客をしている店員も、道端で世間話をしているおばさんたちも、みんなその事を知っていて普通に生活をしている。顔色ひとつ変えずに、恐怖を少しも出さずに、ただ生活を。

 そこでふと思い出す、祖父の存在。あの人は、なんでロボットみたいなんだったっけ。

 感情が、ないみたいだった。それってつまり、あの人はあの人なりに生きようとしていたのだろうか。

「おじいちゃんは、不器用な人だから」

 おばさんの言葉。あれって、おじいちゃんは不器用で感情を殺すことでしか生きる術がなかったから、なのかもしれない。

「……なーんてな」

 そんなの、確認の取りようがない。不完全な説だ。

 気がつけばもう家の前で、俺は深呼吸をしてから玄関のドアを開けた。

「……ただいま……」

 玄関では挨拶はかえってこなかった。

「母さん、ただいま」

 リビングに入ると母さんの背中があった。

「あぁ、恒一。おかえり」

 おじいちゃんが死ぬまで母さんはパートをしていたけれど、おじいちゃんが死んでから母さんは専業主婦になった。

「ねぇ、恒一。今日はお墓参りに行くわよ」

「え?……あぁ、うん。分かったよ」

 そして、墓参りが生活の一部になった。

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