幸福均衡維持法
@Arasenosanzui
三上恒一の場合 ①
その日は、朝から大騒ぎだった。
「恒一……恒一、起きなさい。恒一……!」
切羽詰まったママの声に叩き起されて目覚まし時計を見ると、いつも起きる時間よりずっと早い時間で、僕は半分目を閉じたまま口を開く。
「なぁに、どうしたのママ」
「ほら、パパが車の準備してくれてるから、早く行くわよ」
「え、車?なんで?今日学校の日だよ」
「……今日は学校お休みよ」
「おやすみ?」
「そう。ほら、車で説明するから、とりあえず早く着替えて」
「わ、わかった……」
だんだん目が覚めてきて、ママがすごく焦っていて怖い顔をしていることに気づいた僕は、素直にママに従うことにした。
僕は、こういう時にママに従わない方が大変だって知っていた。
「あのね恒一、よく聞いて。おじいちゃんが……おじいちゃんがね、死んじゃったのよ」
車に乗せられてすぐ、僕はどこに向かっているのか気がついた。だって、よく通る道だったから。
「おじいちゃんが……?」
「そう」
その時のママの声は震えていて、きっと泣くのを我慢しているんだって思った。
それから、ママはまた怖い顔をして黙ってしまったし、僕も聞きたいことも話したいこともなくて車の中はずっと静かだった。
そうして、いつもよりずっと長く感じる車の時間が終わって、ようやくおじいちゃんの家に着いた。ママが小さくただいまって言って家に入って僕とパパがそれについて行く。どんよりとした空気のリビングにはおばあちゃんだけじゃなくて普段は会えない親戚の人達もいた。
それからすぐに大人だけの話が始まってしまって、僕は部屋の隅っこでじっとするしか無くなった。しばらくぼーっとしていると、ようやく話が終わったのか、目元を赤くしたママが近づいてくる。
「恒一、ちょっと遅れちゃったけど、あなたもおじいちゃんに挨拶してあげて」
「え、挨拶……?」
「そうよ。あっちのお布団で、おじいちゃん寝てるから」
「わかった……」
挨拶なんて言われても、何をすればいいのかわからない。僕にとってのおじいちゃんは、ただママにここに連れてこられた時にここにいる人、でしかなかったから。
昔から何度もここに来ているけれど、僕はおじいちゃんが笑っているところも、泣いているところも、怒っているところも見たことがなかった。何を話しても素っ気なくて、僕はだんだんおじいちゃんとお話することもなくなっていた。何を考えているのか分からないおじいちゃんは、僕にとってはロボットみたいな存在だったのだ。
だから、挨拶なんてすることない。でもママは挨拶して欲しいって言う。仕方がないから、僕はおじいちゃんの布団に近づくと手を合わせて五秒くらい深呼吸をした。
「……挨拶、終わったよ」
「そう。……あのね、ママたちまだこれからお話しなくちゃいけないことたくさんあるの。だから、隣のお部屋で、澪おばさんと一緒に待っててくれる?」
「澪おばさんと……?うん、わかった」
「それじゃあ行こうか、恒一くん」
おばさんに手を引かれて部屋を出る。隣の部屋は少し肌寒くて、それが少し落ち着いた。
「ねぇおばさん、おじいちゃんは、どうして死んじゃったの?」
「心臓麻痺だってお医者さんが言ってたわ」
「ふーん……」
澪おばさんは、ママの妹だ。つまりおじいちゃんの娘ってことになる。なのに大人たちの話し合いに参加しなくてもいいのかな、って思うけど僕は知っている。ママもおばあちゃんも、おばさんが嫌いなんだ。
僕が生まれてから実家に帰ってくるようになったって悪口を言っているのも、おばさんが手伝おうとする度に止めるくせにあとから文句を言っていることも、全部。僕は知っちゃった。
「おばさんは、おじいちゃんが死んじゃって悲しい?」
「うーん、そりゃあね、育ててくれて親だもの。恒一くんは……あんまり悲しくなさそう、ね?」
「うん……だって、よく分からないんだもん。おじいちゃんって、多分僕みたいな子供、嫌いでしょ?」
おばさんはいつだって優しくて不思議な人だ。温かい顔をするのに冷たくて、変な感じ。見つめられると思ったことが全部こぼれちゃって、もっと変な感じ。だけど、だから僕は、おばさんといる時の方がママといる時よりも心地が良かった。
「そう、ねぇ……おじいちゃんは、不器用な人だから、恒一くんはそう思ったのかもね」
困ったように笑うおばさん。頬をかく仕草は、嘘をつく時のママとそっくりだった。
「じゃあ、おばさんはママみたいに泣かないの?」
おばさんのほっぺたはママみたいに真っ赤になっていなかった。それが僕と同じで安心していたのかもしれない。
「……姉さんは、昔からよく泣く人だったからね。私は……覚悟してたから」
おばさんが苦笑いで答えた瞬間、ママの声が隣の部屋から聞こえた。それは僕が嫌いなママの声にそっくりで、僕がビクリと反応すると、おばさんが大丈夫?と声をかけながらこちらに手を伸ばす。
その手が、僕の頭を撫でるためだったのか、背中をさするためだったのかはわからなかった。
遠くから、おばあちゃんの声が聞こえる。なんて言ってるのかわからなかったけど、おばさんがそれに返事をして立ち上がる。
「ごめんね、恒一くん。おばさん向こうの部屋に呼ばれちゃったみたい。……一人で、この部屋で待てる?」
「あ、う、うん……平気だよ」
「偉いね、恒一くんは」
それだけ言って、おばさんが部屋から出ていく。一人の部屋はただ冷たいだけだった。
その日の部屋の冷たさは、僕の中にずっと残っている。
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