第27話 地獄のオーナーへの拝謁

1. 「本社(ログイスク)」への帰還

 1943年3月下旬。

 ベラルーシの深い森に隠された、特務大隊の本拠地。

 そこは、通常のドイツ軍の規律(コンプライアンス)が完全に崩壊した異界だった。

 

 入り口には、パルチザンから奪った「戦利品」が不気味に飾られ、歩哨に立つ兵士たちは、泥だらけのSS制服を崩し、昼間からシュナップスを煽っている。

「……シュピース。ここは、いつ来ても吐き気がするぜ」

 ハンスが、一級鉄十字勲章が隠れるようにオーバーコートの襟を立てた。正規SS師団にいた彼にとって、この大隊は同じSSの名を冠しながらも、全く別の「卑劣な何か」だった。

「……同感だ。だが、ここは俺たちの『メイン・バンク』だ。……融資(恩赦)を引き出すためには、この悪臭にも耐えなきゃならん」

 ハインリヒは、脇に抱えた「納品書(戦果報告書)」――沼の牙の焼却を証明する航空写真と、敵指揮官の階級章を強く握りしめた。

2. 独裁者の「役員室」

 大隊本部となっている接収された屋敷。

 その最奥、重苦しい煙草の煙が立ち込める部屋に、ハインリヒは招き入れられた。

 

 部屋の中央、古びた机に足を投げ出し、片手にワインボトルを握っている男がいた。

 痩せこけ、病的なまでに鋭い瞳。顔には数々の戦傷が刻まれ、その奥に潜む「底知れない悪意」が部屋全体の空気を支配している。

 

 オスカール・ディルレヴァンガー大隊長。

 彼は、ハインリヒが差し出した報告書に目を通すこともせず、ただ不気味な笑みを浮かべた。

「……ヴェーバー曹長。……沼の牙の『煙』、ここからもよく見えたぞ。……実に、効率的な掃除だった」

「……恐縮です。……契約通り、一片の燃え残りも出さないよう尽力しました」

3. 「命の時価総額」

 ディルレヴァンガーは、椅子をきしませながら立ち上がると、ハインリヒの至近距離まで歩み寄った。

 ツンとするアルコールの臭いと、硝煙、そして何かが腐ったような匂いが鼻を突く。

『……ヴェーバー。……貴様は「計算」が得意だそうだな? ……では、この大隊にいる連中の「命の価値」を、貴様ならどう見積もる?』

 彼は窓の外で、泥酔して仲間を殴り飛ばしている懲罰兵たちを指差した。

「……市場価値(正規軍での評価)はゼロ、あるいはマイナスです。……ですが、大隊長閣下という『強力な経営者』の下では、彼らは最も安上がりで、最も替えの利く『高火力の消耗品』へと変貌します」

 ディルレヴァンガーは一瞬、目を見開いた。そして、狂気じみた笑い声を上げた。

『……ハハハハ! 消耗品か! ……気に入ったぞ、ヴェーバー。……貴様は、この泥船を「利益」に変える計算ができる唯一の男だ』

 彼は、机の上に置かれていた一枚の書類を、ハインリヒの胸元に叩きつけた。

『……約束の「恩赦」の予約票だ。……ただし、これにはまだ私の「最終的な裏書き(サイン)」が必要だ。……それを手に入れたければ、次の『特別プロジェクト』に、貴様の部隊を投資してもらうぞ』


4. 腐った「同僚」たち

 大隊本部の外に出ると、ハインリヒの鼻を突いたのは、心地よいはずの春の風ではなく、鼻を焼くような安酒の臭いと、焦げた肉の匂いだった。

 操車場の隅で、ヨハンとミュラー、そしてハインツが、自分たちの馬と荷物を守るように円陣を組んでいた。それを取り囲んでいるのは、ディルレヴァンガー大隊の中でも特に質の悪い、元・凶悪犯たちの集団だ。

「……おいおい、新入り。その馬、いい毛並みじゃねぇか。沼地じゃ馬は『金』より価値があるんだ。俺たちのシュナップスと交換しねぇか?」

 刺青だらけの腕を組んだ大男が、下卑た笑いを浮かべてヨハンの肩を掴んでいた。新兵のヨハンは、火炎放射器でパルチザンを焼いたばかりの勇気も、この「身内の狂気」の前ではすっかり萎縮してしまっている。

「……あ、あの、これは曹長の許可がないと……」

「曹長? 108高地から逃げてきたっていう、あの『事務屋』のことか? けっ、ディルレヴァンガーの親父さんに気に入られたからって、調子に乗ってんじゃねぇぞ」

5. ハンス・ゲルバーの「正規の流儀」

 男がヨハンの手綱を奪おうとしたその時、背後から冷たい金属の感触が男の首筋に押し当てられた。

「……その汚ぇ手を離せ。さもなきゃ、お前の首をこの『掃除道具』で新築し直してやるぜ」

 ハンス・ゲルバーだ。彼はMG34の銃口を男の喉仏にめり込ませ、一級鉄十字勲章が輝く胸をそらして立っていた。

「……あ、あんたは……正規SSの元曹長か」

「そうだ。俺は規律にはうるさくてな。……特に、うちの課長(シュピース)が手に入れた『資産』を、勝手に横領しようとする不届き者には、容赦しねぇ」

 ハンスの放つ、本物の戦場を潜り抜けてきた男の殺気に、刺青の男たちがじりじりと後退する。

6. ハインリヒの「社内政治」

「ハンス、銃を下げろ。……同じ会社の社員同士、仲良くしようじゃないか」

 ハインリヒが、大隊本部の階段をゆっくりと降りてきた。その手には、先ほどディルレヴァンガーから預かったばかりの「恩赦の予約票」が握られている。

「……あんたがヴェーバー曹長か」

 男たちが、警戒と嫉妬が混じった目でハインリヒを見る。

「ああ。……君たちに忠告しておこう。……この馬たちは、大隊長閣下から直接『次の任務のために保全せよ』と命じられた、いわば本社の重要備品だ。……もしこれに傷一つつけば、君たちの首は『特別損失』として処理されることになるが……それでも取引を続けたいか?」

 ハインリヒが「大隊長」の名を出した瞬間、男たちの顔色が土色に変わった。

 この部隊において、オスカール・ディルレヴァンガーの逆鱗に触れることは、死よりも恐ろしいことを彼らは知っている。

「……チッ、冗談だよ、曹長。……行こうぜ、野郎ども」

 男たちが逃げるように去っていくのを見送り、ハインリヒはヨハンたちの肩を叩いた。

「……いいか、皆。……この部隊では、敵は前にいるだけじゃない。……隣にいる奴も、後ろにいる奴も、隙あらばお前たちの命を『買い叩こう』とする。……だからこそ、俺の閻魔帳(管理)から外れるな。分かったな?」

「……はい、曹長……!」


7. 狂気の「昇進人事」

 大隊本部の階段を降りてくる連絡員の手にあったのは、古びた木箱ではなく、銀の縁取りがなされた豪奢なケースだった。

「ヴェーバー。……大隊長閣下は、貴様の『算盤(そろばん)』を高く評価された。……曹長(フェルトヴェーベル)のままでは、これから任せる『巨大な事業』には役不足だという判断だ」

 連絡員が差し出したのは、銀色の肩章。それは下士官の最高位、**准尉(特務曹長)**の証だった。

 だが、話はそれだけでは終わらない。

「さらに。……大隊長はこうも仰った。『この男に兵隊の真似事は飽きた。これからは私の片腕として、現場の“執行官(オフィツィーア)”を演じてもらおう』とな」

 連絡員の手には、もう一つの階級章――**少尉(Leutnant)**の肩章が握られていた。

 正規軍なら数ヶ月の士官学校教育が必要だが、ここはディルレヴァンガー特務大隊だ。「殺した数」と「上げた戦果」が、教育よりも優先される。

「……今日から貴様は、ディルレヴァンガー特務大隊・少尉待遇の現場執行官だ」

8. 勲章という名の「さらなる負債」

 周囲で見ていたヨハンやミュラーの胸には、すでに以前の戦功で授与された二級鉄十字勲章が、煤に汚れながらも誇らしげに光っている。

 連絡員は彼らを見渡し、今度はハインリヒに、一際重厚なケースを差し出した。

「そしてヴェーバー。沼の牙の『完全消却』を祝して、大隊長よりこれを授与する」

 開かれたケースの中にあったのは、リボンではなくピンで留めるタイプの銀の十字――**一級鉄十字勲章(EK1)**だった。

 

「……シュピース、一級かよ。……いよいよ、本物の『怪物』の仲間入りだな」

 ハンスが、曹長への復職を認められた肩章を撫でながら、苦笑いした。

「ヨハン、ミュラー、ハインツ! お前たちの二級鉄十字にも、今日から『剣付き戦功十字章』が加わる。……お前たちはもはや、ただの懲罰兵じゃない。大隊長直属の、選ばれた『エリート掃除屋』だ」

9. 閻魔帳の「役員名簿」

 ハインリヒは、自分の古い階級章を剥ぎ取り、少尉の銀色の肩章をその場でコートに縫い付けさせた。

 新兵だったヨハンたちは、自分たちの「上司」が、ついに雲の上の「士官」にまで上り詰めた姿を見て、改めて背筋を伸ばした。

「……ハンス。……少尉になったからといって、やることは変わらん」

 ハインリヒは、胸に一級鉄十字勲章を突き刺し、閻魔帳の自分自身のステータスを更新した。

• ハインリヒ・ヴェーバー: 少尉(戦時任官)。一級鉄十字勲章受章。

• 部隊評価: 特務大隊内における「最精鋭ユニット」として公認。

• 所感: 階級は上がったが、それは「より高い目標」を達成せねばならないという、ディルレヴァンガーからの呪いだ。……だが、これでもっと『大きな商売』ができる。

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