第26話 業火の最終監査

1. 狂気の「清掃効率」

 ナパームの混じった火炎は、単なる火ではない。それは壁に吸い付き、服にこびりつき、水をかけても消えることのない「死の粘土」だ。

 拠点の中心部にあるパルチザンの兵舎は、一瞬にして巨大な松明と化した。

「……ハァ、ハァ……シュピース! 見てくれ、面白いように燃えるぜ!」

 ヨハンが、狂気と恐怖の混じった顔で叫ぶ。彼の背負う燃料タンクのポンプが、心臓の鼓動のように不気味な音を立てていた。

「浮つくな、ヨハン! ノズルを低く保て。……『在庫』を外へ逃がすなと言ったはずだ!」

 ハインリヒはMP40を構え、燃え盛る丸太の隙間から這い出そうとする「白い影」を冷徹に撃ち抜いた。

 彼にとって、これはもはや戦闘ではない。契約に基づいた**「廃棄物の完全処理」**だ。一片の燃え残し(生き残り)も、後で本社の監査(ディルレヴァンガー)から突っ込まれる「瑕疵(欠陥)」になりかねない。

2. ハンス・ゲルバーの「猟犬の仕事」

 拠点の左右、唯一の退路である木道。

 そこではハンスが、MG34の三脚を泥に深く突き刺し、逃げ惑うパルチザンたちを待ち構えていた。

「……正規軍の連中がなぜここで全滅したか、ようやく分かったぜ。……あいつらは、敵を『人間』だと思ってやがったんだ」

 ハンスが冷たく言い放ち、引き金を引いた。

 

 ダダダダダダダ!!

 炎から逃れてきたパルチザンたちが、木道の上で次々と泥の海へと崩れ落ちていく。

 ハンスの射撃は、かつてのSS曹長時代の「規律」とは異なり、ディルレヴァンガー部隊特有の「容赦のなさ」に染まっていた。

 一人倒すたびに、一級鉄十字勲章が返り血で汚れ、炎に照らされて赤く光る。

「シュピース! 右翼の『在庫整理』は完了だ! あとは真ん中の『大物』だけだぜ!」

3. 「沼の牙」の断末魔

 拠点の最奥、指揮所と思われる石造りの建物だけが、まだ炎に耐えていた。

 そこからは、絶望的な抵抗の銃声が断続的に響いている。

「……オットー伍長、クナンプ。……あの建物を『最終処理』する。……爆薬を準備しろ」

 ハインリヒは、熱風で顔を焼きながら閻魔帳を捲った。

 そこには、ディルレヴァンガー大隊長との「契約完了」まで、あと一工程(一建物)であると記されている。

「……いいか、皆。……これこそが、俺たちが世界に提供する『サービス』だ。……正規軍が拒んだ汚れ、俺たちが全て焼き尽くしてやる」

 新兵だったヨハンも、敗残兵だったハインツも、今やその瞳に「ディルレヴァンガーの狂気」を宿していた。

 彼らは自分たちの「罪(借金)」を、他者の「命」という対価で返済しようとしていた。


4. 最終決済の「応接室」

 石造りの指揮所は、周囲の木造兵舎が崩れ落ちる熱波の中で、墓標のようにそびえ立っていた。

 ハインリヒは煤で黒くなったMP40の銃身を下げ、燃え盛る扉の前に立った。

「……クナンプ、爆薬は?」

「……セット完了です、課長。……あの中の『備品』ごと、木っ端微塵にしてやりますよ」

「待て。……最後は、我々の『流儀』でやる」

 ハインリヒは爆薬の導火線を止めさせ、代わりにヨハンを前へ出した。火炎放射器のタンクは、もう底を突きかけている。

「ヨハン、残りの燃料を全部あの窓に叩き込め。……中身を『燻製』にするんだ」

 ゴォォォォォッ!!

 細くなった炎の舌が、窓から室内に滑り込む。絶叫が響き、やがて、重い扉が内側から撥ね飛ばされた。

 飛び出してきたのは、服に火がついた数人のパルチザン、そして――血と泥にまみれながらも、まだ鋭い眼光を失っていない中年の男だった。

5. リーダーへの「最終通告」

 男はパルチザン第13旅団の指揮官だ。彼は地面をのたうち回りながら火を消すと、ハインリヒの足元で呪詛を吐いた。

「……悪魔め……。ディルレヴァンガーの犬が……。お前たちに、神の慈悲など……」

「……あいにく、神とは契約していなくてね」

 ハインリヒは冷徹に、男の目の前に閻魔帳を突き出した。

「君の旅団は、たった一晩で『完全破産』した。……正規軍なら君を捕虜にして、情報の『下取り』を考えただろうが……我々は違う」

 ハインリヒは、横に立つハンスに顎で合図を送った。

 ハンスは無造作に、男の喉元にナイフを突きつけた。

「……我々のオーナー(ディルレヴァンガー)が求めているのは、情報じゃない。……『完璧な更地』という結果だけだ。……君という『端数』が残っていると、私の帳簿が合わなくなる」

「……殺せ……。……仲間たちのところへ……」

「……いや。……君には、最後に自分の『事業』が灰になるのを見届けてもらう。……それが、この無理な商談に付き合わされた我々への、せめてもの『利息』だ」

6. 燃え尽きた「市場」

 ハインリヒは男を放置し、炎上する村全体をゆっくりと見渡した。

 かつて「沼の牙」と呼ばれた難攻不落の要塞は、今やただの黒い炭と、重苦しい煙の柱へと変わっていた。

「……ヨハン、ミュラー。……掃除は終わりだ。……道具をまとめろ。……これより、本社へ『納品完了』の報告を入れる」

 ヨハンは、自分の手がまだ熱を帯びていることに気づき、震える手でノズルを置いた。

 彼らが手に入れたのは、勝利の栄光ではない。

 ディルレヴァンガーという名の、血塗られた「キャリア」の第一歩だった。

「……シュピース。……これで俺たちの『借金』、少しは減ったのかね?」

 ハンスが、返り血を拭き取りながら尋ねた。

「……ああ。……だが、ディルレヴァンガーとの契約を一度結べば、その『利子』は一生ついて回る。……俺たちはもう、ただの兵士には戻れないぞ」

 ハインリヒは閻魔帳に、赤字で大きく**【決済完了】**と記した。

 1943年、春。泥濘のベラルーシに、一つの「市場」が完全に消滅した。

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