第25話 汚れ仕事の「独占契約」
1. 狂気の「CEO」からの呼び出し
鉄道拠点の操車場は、昨夜までの硝煙が嘘のように、冷たく重い霧に包まれていた。
ハインリヒは、憲兵からせしめた「本物のコーヒー」の最後の一口を飲み干し、空になったカップを泥だらけの木箱に置いた。
その時、拠点の空気を切り裂くように、黒いSSのエンブレムを付けた一台のキューベルワーゲンが猛スピードで滑り込んできた。
「……シュピース。あいつら、うちの『本社』の回し者だぜ」
ハンス・ゲルバーが、MG34のボルトを引いて警戒を強める。彼がこれほどまでに神経を尖らせるのは、相手が正規軍でもパルチザンでもなく、自分たちの「身内」――SS特務大隊ディルレヴァンガーの幹部だからだ。
車から降りてきた連絡員は、ハインリヒの前に一台の移動式野戦電話(Ff 33)を叩きつけた。
「……ヴェーバー曹長。大隊長(ディルレヴァンガー)閣下がお呼びだ。直接お話しになるそうだぞ」
ハンスの顔から、人間らしい色が失われた。
かつてSS正規師団で「砂漠の豹」とまで呼ばれた男をこれほど怯えさせる名。俺は静かに受話器を手に取った。
2. 受話器越しの「市場監査」
受話器を耳に当てた瞬間、耳を刺すようなノイズの向こうから、酷いアルコール依存と戦傷で焼けたような、掠れた冷酷な声が響いた。
『……ヴェーバーか。……「計算のできる曹長」が、我が大隊にもいたとは驚きだ。……鉄道拠点での立ち回りは、私の耳にも届いているぞ』
オスカール・ディルレヴァンガー。
性的犯罪や精神疾患、そして敗残兵をかき集め、対パルチザン戦という名の「虐殺」をビジネスとして成立させた、この地獄の部隊の独裁者だ。
「……恐縮です、大隊長。私はただ、現場の『資産』が失われないよう、適切な管理(マネジメント)を行ったに過ぎません」
『……ハハハ! 管理だと? 面白いことを言う。……いいか、ヴェーバー。……貴様らが守った鉄道拠点は、我が大隊の「時価総額(評価)」に直結する。……ならば、次の「取引」も、相応の結果を出してもらわねばならん。……断れば、貴様ら全員を、その泥の中に「埋め戻す」。……いいな?』
ディルレヴァンガーの声には、論理的な説得など存在しない。あるのは、絶対的な「服従」か、「死(廃棄)」かという二択だけだ。
3. ハインリヒの「カウンター・オファー」
普通の兵士なら、ここで直立不動になり「イエス・サー」と叫ぶだろう。だが、俺は営業課長だ。どれほど狂った相手であっても、一方的な不利益を甘んじて受けるつもりはない。
「……大隊長。……その『次の取引』、是非とも私に独占契約(独占指揮権)をさせてください。……ただし、私の部隊(チーム)には、それ相応の『投資』をいただきたい」
『……ほう。……死神(私)を相手に、条件を吊り上げようというのか?』
電話の向こうで、ディルレヴァンガーがニヤリと笑う気配がした。狂った独裁者は、時として自分と同じように「金と実利」で動く人間を好む。
「……はい。……我々の今の装備では、大隊長が望む『最高品質の焦土』をお届けできません。……最新の火炎放射器と、十分な燃料。……そして、この任務を完遂した暁には、我々中隊員全員の『懲罰記録(借金)』を洗浄(ロンダリング)し、正規戦への復帰を内定していただきたい」
『……フフ、ハハハハ! 面白い! ……よかろう。……貴様がその村を「完璧な灰」にするなら、その条件を飲んでやろう。……だがヴェーバー、一欠片でも「掃除し残し」があれば、貴様が最初の燃料(薪)になると思え』
電話が切れた。
俺の手のひらには、冷たい汗が滲んでいた。
4. 「不渡り物件」の全貌
受話器を置いたハインリヒの指先は、まだ微かに熱を帯びていた。
連絡員が、泥に汚れた革のケースから最新の航空写真を数枚、ハインリヒの目の前に叩きつけた。
「……大隊長閣下からの『正式な発注書』だ。ターゲットは通称**『沼の牙』**。パルチザン第13旅団の本拠地だ」
写真には、深い泥濘の湿地帯に囲まれた、小高い丘の上の村が写っていた。
周囲は底なしの沼地で、唯一の進入路は一本の狭い木道のみ。そこを重機関銃の陣地が幾層にも取り囲んでいる。
「……おいおい、正気かよ」
ハンスが横から写真を覗き込み、顔を顰めた。
「正規軍の歩兵大隊が二度突撃して、二度とも『全損(全滅)』した場所だぜ。ここは戦場じゃねぇ、天然の『処刑場』だ」
「……だからこそ、我が大隊(ディルレヴァンガー)にお鉢が回ってきた。……正規軍が『人道的コスト』と『世間体』を気にして投げ出した不渡り物件だ」
ハインリヒは閻魔帳を取り出し、写真の地形をシビアに分析し始めた。
5. 「特別清掃機材(フラメンヴェフェル)」の受領
連絡員が顎で合図すると、キューベルワーゲンの後続からトラックが近づき、無造作にいくつかの木箱が下ろされた。
蓋がこじ開けられると、中から鈍い光を放つ**「フラメンヴェフェル41(火炎放射器)」**が姿を現した。
「……特務大隊直轄の倉庫から持ってきた『掃除用具』だ。……燃料はナパーム(増粘剤入り)。……大隊長は、『一滴の血も、一片の板切れも残すな』と仰っている」
新兵のヨハンが、その禍々しいノズルを見て、喉を鳴らした。
これは「兵器」ではない。生きとし生けるものを文字通り「消却」するための、地獄の道具だ。
「……ハインツ、ヨハン。……この重いタンクを背負える体力のある奴を選別しろ。……これは、これまでの『防衛営業』とは違う。……攻め、焼き、全てを無に帰す。……それが今回、大隊長(オーナー)と結んだ『契約内容』だ」
6. ハインリヒの「不可能な見積もり」
「シュピース。……あの木道を正面から行けば、火炎放射器を噴く前に、俺たちは蜂の巣だぜ」
ハンスが冷たく指摘する。
「ああ。……正面突破は『コスト』が高すぎる。……ハンス、クナンプ。……俺たちの『在庫』に、まだ例の『馬』は生きているな?」
「……ああ、村から借りた……いや、長期レンタルした三頭は、まだ動けますが……」
「……よし。……沼地だ。……パルチザンが『ここは底なしで通れない』と信じ込んでいる湿地帯を、馬の機動力と、クナンプが作る『特製ソリ』で突破する」
ハインリヒは、地図の空白部分に鋭い線を引き、閻魔帳にこう書き込んだ。
• 第25話・パート2: 「沼の牙」攻略プラン策定。
• 戦略: 湿地帯からの側面迂回。火炎放射器による「完全消却」を最終工程とする。
• リスク: 泥への沈没。および自軍火炎放射器の爆発。
「……少佐に伝えろ。……明朝の始発(夜明け)と共に、我々は『清掃作業』を開始する。……完了報告は、立ち上る黒煙で確認してくれ」
ハインリヒの瞳には、かつての「営業課長」としての冷徹な計算だけでなく、ディルレヴァンガー部隊という狂気に染まり始めた、鋭い「猟犬」の光が宿っていた。
7. 深夜の「不法侵入(隠密行軍)」
午前3時。ベラルーシの森は、解けかけた雪と腐った泥が混じり合う、不快な湿気に包まれていた。
ハインリヒたちは、ライトの類を一切消し、泥濘の奥深くへと足を踏み入れていた。
「……静かにしろ。……馬の蹄にボロ布を巻け。……一歩でも踏み外せば、そこが貴様らの『墓場(終の棲家)』だ」
ハインリヒの低く冷たい声が響く。
彼らが選んだのは、パルチザンが「天然の障壁」と過信している底なしの湿地帯だった。
クナンプが廃材で作った「泥上ソリ」に火炎放射器の燃料タンクを積み、馬たちが喘ぎながらそれを引く。兵士たちは腰まで泥に浸かりながら、自分たちの命という「資産」を、一歩ずつ対岸へと運んでいた。
「……シュピース。……見てな、新入りどもが震えてやがるぜ」
ハンスが、泥を噛まないよう防水布で包んだMG34を担ぎ、薄笑いを浮かべた。
「無理もねぇ。……これから自分たちが何をするか、あの『掃除道具(火炎放射器)』を見りゃ分かるからな」
8. 「掃除屋(クリーナー)」の配置
1時間後。一行はパルチザン拠点の真裏、崖の下に到達した。
見上げれば、丸太で作られた強固な柵が、闇の中で牙のように突き出している。これこそが「沼の牙」と呼ばれる所以だ。
ハインリヒは閻魔帳を取り出し、最後の「人員配置」を確認した。
「ハンス、オットー伍長。……お前たちは左右の退路を封鎖しろ。……『在庫(敵兵)』が一人でも外へ漏れ出すのは、我々の評価に関わる。……徹底的に、袋のネズミにするんだ」
「了解だ。……一人残らず『欠損(死体)』にしてやるよ」
「ヨハン、ミュラー。……火炎放射器を構えろ。……合図と同時に、風上から一気に『清掃』を開始する。……いいか、ためらうな。……お前たちが焼かなければ、お前たちが焼かれる。……この戦場に『中途半端な返品』は存在しない」
ヨハンは、震える手で火炎放射器のノズルを握り締めた。ナパームの独特な薬品臭が、鼻腔を突く。
9. 地獄の「決算開始」
東の空が、重苦しい灰色に染まり始めた。
ハインリヒは、懐から一発の信号弾を取り出し、冷徹な瞳で時計を見つめた。
「……納期(タイムリミット)だ」
シュルルル、パン!
白い閃光が、静寂を切り裂いた。
それが、108高地の生き残りたちが「ディルレヴァンガーの掃除屋」として世界に産声を上げる合図だった。
「……営業開始だ(焼き尽くせ)!!」
ハインリヒの怒号とともに、ヨハンたちがトリガーを引いた。
ゴォォォォォォッ!!
闇を切り裂き、数百リットルの粘着性油脂が、猛烈な炎の龍となってパルチザンの兵舎へと躍りかかった。
一瞬で夜が昼へと変わり、絶叫が森の静寂を塗り替える。
ハインリヒは、燃え盛る拠点を冷めた目で見つめながら、閻魔帳に最後の一筆を加えた。
• 清掃作業開始。
• 状況: 初動の着火に成功。拠点の80%が可燃域に突入。
• 所感: 地獄の業火こそが、最も効率的な「清算」の手段である。
「……さあ、ハンス。……残業代(恩赦)を稼ぐぞ。……一片の灰も残すな!」
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