第17話 独立採算制の孤立陣地

1. 1942年11月19日、午前5時30分

 その日は、音から始まった。

 スターリングラードの空を焼き尽くしているであろう数千門の砲声ではない。もっと近く、もっと卑近で、そして現場の人間にとっては致命的な音だ。

 ズゥゥゥゥン!!

 深い森の奥、数キロ先の鉄道線路の方角から、地響きを伴う重低音が轟いた。

 俺は、重いM40オーバーコートを跳ね除けて待機壕の外へ飛び出した。

 

「……鉄道(ライン)か。パルチザンの『一斉棚卸し』が始まったようだな」

 

 俺は、銀縁の肩章が冷たく光る襟を立て、双眼鏡を構えた。

 北の地平線に、黒い煙が立ち上っている。兵站の動脈である鉄道網が爆破されたのだ。続いて、あちこちの拠点を結ぶ電話線も切断された。

「シュピース! 第1、第2中隊との連絡が途絶しました! 連隊本部とも繋がりません!」

 ヨハンが受話器を放り投げ、真っ青な顔で駆け寄ってくる。

 

 (予想通りだ。物流と通信の完全シャットダウン。最悪の『システム障害』だぜ)

 俺は双眼鏡の視界を、108高地の正面に広がる暗い森へと向けた。

 昨日まで静まり返っていた森の縁から、不気味なほど大量の「白い影」が湧き出している。冬季迷彩のカバーオールを纏ったパルチザンだ。その数、ゆうに一個大隊を超える。

「ハンス! 全員叩き起こせ! クナンプ、37mmと50mmの砲身に付いた霜を落とせ! 撃つ前に破裂させたくなかったらな!」

2. 独立採算制(孤立)の宣言

 108高地に配置された兵士たちが、凍えた手を擦りながら持ち場に付く。

 彼らが羽織っている重いM40コートは、確かに風を防いでいたが、通信途絶という不安までは防げない。

「いいか、野郎ども! 落ち着いて聞け!」

 俺は、塹壕の中に響き渡るような声で叫んだ。

「本社(軍司令部)との連絡は死んだ。補給のトラックも、あの爆破じゃ当分来ない。……つまり、今日から第3中隊は**『独立採算制』**に移行する!」

 俺は自分のM40コートの胸ポケットを叩いた。そこには、せしめてきた予備の弾薬リストと、追加の戦闘糧食が入っている。

「補給は来ないが、在庫(物資)はたっぷり確保してある。パルチザンどもは、俺たちが飢えて弾切れになるのを待っているだろうが、あいにく俺は無計画な仕入れはしない主義だ! 在庫の弾薬が尽きるのが先か、あいつらが死滅するのが先か。……勝負してやろうじゃないか!」

 俺の言葉に、新兵たちの間に強張った笑いが起きた。

 「孤立した」という恐怖を、「自分たちだけでやりくりする」という覚悟にすり替える。これが中間管理職のメンタルケアだ。

3. 接待の始まり(37mm砲の火蓋)

 白い影たちが、雪混じりの霧を衝いて突撃を始めた。

 パルチザン特有の、統制の取れていない、しかし死を恐れない無秩序な波。

「クナンプ! あの集団のど真ん中に『ドアノッカー(37mm砲)』をブチ込め! 精密射撃はいい、まずは広域の『営業妨害(弾幕)』だ!」

「……了解。……納品(発射)します」

 ッゴォォン!!

 磨き上げられた37mm砲が、朝の冷気を切り裂いて火を噴いた。

 クナンプの調整によって驚異的な安定性を得た砲身が、正確に森の出口を叩く。榴弾が炸裂し、白い影たちが次々と赤いシミとなって泥に沈んでいく。

 だが、パルチザンは止まらない。

 奴らは知っているのだ。南方の戦線が崩壊し、このベラルーシからドイツ軍が引き抜かれるのを防ぐには、今ここで俺たちを「出血死」させるのが最も効率的な投資であることを。

「ハンス! 50mmはまだ温存だ! 重機関銃でサイドライン(側面)を固めろ! ……さて、地獄の冬期決算を始めるとしようか」

 俺はMP40のボルトを引き、冷たい金属の感触を確かめた。

 108高地という名の支店を守るための、最も過酷な営業活動が幕を開けた。


4. 自動化された「受付(地雷原)」

 白い防寒カバーオールを着たパルチザンの群れが、森の影から「ウラー!」という地鳴りのような叫び声と共に殺到してくる。その数、俺たちの数倍。まともに撃ち合えば、一瞬でこちらのマンパワーは枯渇し、在庫(弾薬)は底を突くだろう。

 だが、俺は冷静に時計を見た。

「……あと50メートル。……ハンス、まだだ。指をトリガーから離しておけ」

 パルチザンの先頭が、俺たちが突撃の予想ルートとして「耕しておいた」緩斜面に足を踏み入れた。

 その瞬間、雪の下に眠っていた**S地雷(跳躍地雷)**が、カチリという乾いた音と共に跳ね上がった。

 ドォォォォン!!

 空中約1メートルで炸裂した地雷から、数千個の鉄球が扇状に撒き散らされる。

 続いて連鎖的に、俺が兵站部からせしめてきた地雷原が次々と「納品」を開始した。

「ぎゃああああ!」

「地雷だ! 止まれ! 止まれッ!」

 無秩序な突撃が、物理的な「壁」にぶつかったように急停止する。

 地雷は寝ていても仕事をしてくれる。人手不足のワンオペ店舗において、これほど信頼できる「自動受付システム」はない。

「よし、ハンス! 渋滞している連中に、挨拶(掃射)を叩き込め!」

「待ってました! 掃除の時間だぜ、野郎ども!」

 ハンスのMG34が火を噴いた。

 クナンプが磨き上げた予備銃身が、108高地の冷気を一瞬で熱風へと変える。地雷原で足止めされたパルチザンたちは、遮蔽物のない斜面で次々となぎ倒されていった。

5. 50mm対戦車砲の「重点投資」

 だが、パルチザン側も「資本(兵力)」の投入を惜しまない。

 混乱の中から、奴らが森の奥に隠していた秘密兵器が姿を現した。鹵獲されたドイツ製の装甲車、あるいは重機関銃を積んだトラックだ。

「シュピース! 敵のテクニカル(武装トラック)だ! 10時方向!」

「クナンプ! あいつらは37mmじゃ役不足だ。温存しておいた**50mm(PaK 38)**で仕留めろ! 弾一発のコストに見合う仕事をしろよ!」

 クナンプが、油まみれの指で精密に照準ハンドルを回す。

 彼が徹底的にメンテナンスした50mm砲は、もはや「型落ち」ではない。職人の魂が宿った精密機械だ。

「……計算済みです。……納品(フォイヤ)!!」

 ッゴォォン!!

 37mmよりもさらに重厚な発射音が丘を震わせた。

 放たれた徹甲弾(AP)は、全速力で突っ込んでくる敵トラックのエンジンブロックを正面から貫通。一瞬の静寂の後、トラックは巨大な火球となって雪原を転がった。

「命中(トレッファー)! ……次弾装填!」

 クナンプの指示に従い、ミュラーが必死に砲弾を担ぐ。

6. 営業課長の「現場巡回」

 俺は塹壕を走り、新兵たちの背中を叩いて回った。

 重いM40コートの裾が泥を跳ね上げるが、事前に油脂で手入れさせたボタンやベルトは一箇所の不具合も出していない。

「いいかミュラー! 狙いは正確に! 弾を撃つのは『仕事』じゃない、敵を倒すのが『成果』だ!」

「ヨハン、迫撃砲の残弾を数えろ! 詰め込みすぎは『倒産』を招くぞ!」

 孤立無援。しかし、事前の「設備投資(地雷と重火器)」と「社員教育(メンテナンス)」が、今、108高地という名の支店を守る鉄壁の防御力へと昇華していた。

「……さて、ハンス」

 俺はMP40を構え、地雷原の隙間を縫って這い寄ってくるパルチザンの影を狙った。

「第1四半期の決戦はまだ終わっちゃいない。……残業代(生き残った後の酒)が出るまで、一人も欠けさせるなよ!」


7. 深夜の「棚卸し」と静かな侵食

 11月の陽光は短く、108高地はあっという間に凍てつくような深い闇に包まれた。

 昼間の喧騒が嘘のように静まり返っているが、これこそが最も神経を削る時間だ。ベラルーシの森に潜む連中は、闇を自分たちの「オフィス」のように使いこなす。

「……シュピース、地雷の『稼働音』が聞こえねぇ。奴ら、這って地雷を解除してやがるな」

 ハンスが、重いM40コートの襟を立てたまま、闇を睨んで小声で囁いた。

 

 俺は双眼鏡を覗き込んだ。雪の反射でわずかに白く浮き上がる平原。そこを、白い防寒着を着た影が、虫のようにゆっくりと、しかし着実に這い進んでいた。

 

「地雷原の『セキュリティ』を破られたか。……ハンス、照明弾を上げるな。あいつらを引き付けろ。……在庫(弾薬)が心もとない今、無駄な広域散布は厳禁だ。ピンポイントで『処理』する」

 俺は横たわる新兵たちの肩を一人ずつ叩いて回った。

「いいか、呼吸を止めろ。重いウールコートの擦れる音さえ、今は命取りだ。……相手の吐息が聞こえるまで、引き金(トリガー)に指をかけるな」

8. 闇の中の「対面営業」

 数分後。俺たちの数メートル先、塹壕の縁にある有刺鉄線を切断する、金属的な「パチン」という音が聞こえた。

 

 その瞬間、俺は照明弾のピストルではなく、MP40の引き金を引いた。

 

「営業開始だ!! 掃除しろ!!」

 暗闇が火花によって引き裂かれた。

 ハンスのMG34が、近距離で密集していたパルチザンの影をなぎ払う。

 

「ウラー!!」

 闇の中から、死を覚悟したパルチザンの叫びが響き、手榴弾が塹壕の中に投げ込まれた。

「ミュラー、伏せろ!」

 俺は新兵の頭を泥の中に押し込み、自らも重いコートの下に丸まった。

 **ドォォォォン!!**という衝撃波が、コートの厚い羊毛を震わせる。もしこのM40コートをせしめていなければ、破片が俺の背中を「解雇(致命傷)」していただろう。

「……クソッ、直接乗り込んできやがった!」

 ハンスがナイフを抜き、塹壕に飛び込んできたパルチザンと組み合う。

 

 俺はMP40を片手で乱射し、次々に湧いてくる影を突き落とした。

 これはもはや「戦争」ではない。狭い空間での「殺戮という名のクレーム処理」だ。

9. 独立採算の限界

 戦闘は数時間に及び、ようやくパルチザンの影は森の奥へと退いていった。

 108高地の斜面には、白い雪を赤く染める「在庫の山(死体)」が積み上がっている。

「……報告しろ。損害は」

 俺は荒い息を吐きながら、ヨハンに聞いた。

「……戦死、なし。……ですが、負傷2名。……それから、軽機関銃の弾薬が残り3ケース。……迫撃砲弾は、ほぼ空です」

 ヨハンの報告に、俺は奥歯を噛み締めた。

 人件費(戦死者)は抑えたが、維持費(弾薬)が底を突いた。補給路が断たれた孤立店舗において、在庫切れは「閉店(全滅)」を意味する。

「シュピース。どうする。夜明けには、奴らまた来るぜ」

 ハンスが、血のついたオーバーコートの袖で顔を拭きながら聞いた。

 俺はポケットから、最後の一本になった高級タバコを取り出し、火をつけた。

 紫煙が冷たい空気に溶けていく。

 

「……曹長として、最悪の決断を下す時が来たようだな。……ハンス、ヨハン。……この陣地(オフィス)を『畳む』準備をしろ」

「撤退、ですか?」

「いや。……**『積極的な配置転換』**だ。ここに留まっても干上がるだけだ。……なら、こちらからパルチザンの『本社(拠点)』を叩き、奴らの在庫を強奪してくるまでだ。……守って勝てないなら、攻めて食いつなぐぞ」

 ハインリヒの決断。

 それは、補給を待つことをやめ、敵から物資を奪って生き延びるという、最もディルレヴァンガー部隊らしい「非情な営業スタイル」への移行だった。


【第17話 業務報告書(最終)】

• 被害: 弾薬在庫の80%を消費。

• 次点行動: 陣地の固定防衛を断念。敵拠点への逆襲による物資調達(強奪)を計画。

• 教訓: 倉庫が空になった時、営業マンができる唯一のことは、競合他社の倉庫を奪うことである。

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