第15話 稼働率100%の「不良在庫」
1. 納品された「使い古し」の査定
兵站部からせしめてきた重火器たちが、108高地の泥濘に並べられた。
だが、届いたのは新品ピカピカのカタログスペック品ではない。どれもこれも、前線の激戦を潜り抜け、油と煤にまみれて「廃棄待ち」だった、くたびれた「不良在庫」たちだ。
「……シュピース、こいつはひどいな。特にこの50mm(PaK 38)を見てくれ。薬室(チャンバー)に火薬のカスがこびりついてやがる。これじゃ『即納』どころか、一発目でジャム(動作不良)るぜ」
ハンスがシャベルで砲身を叩き、不快な金属音を響かせる。
兵器は繊細な精密機械だ。泥、埃、そして連続使用による熱。それらが少しでも基準を超えれば、ただの「重たい鉄のゴミ」に成り下がる。
「分かっている、ハンス。だからこそ、今回は『特別採用』枠を使った。……おい、来い!」
俺が呼びかけると、荷馬車の影から一人の男がのっそりと姿を現した。
他の兵士たちのような鋭い目つきではなく、分厚い眼鏡の奥に、偏執的なまでの「職人の目」を宿した男。軍服は油汚れで真っ黒だが、その手元にある工具箱だけは、手術道具のように磨き上げられていた。
「紹介しよう。クルト・クナンプ二等兵だ。……元は、エッセンのクルップ社で火砲の最終調整をやっていた熟練工だが、上司の時計を勝手にバラして中身を改造した罪で、我が『ディルレヴァンガー社』へ左遷(懲罰)されてきた男だ」
「……クナンプです」
男はボソリと名乗ると、挨拶もそこそこに50mm対戦車砲へ歩み寄り、愛おしそうに砲尾を撫でた。
「……ひどい。これは虐待だ。……シュピース、この『彼女』を三日ください。部品を全て洗浄し、クリアランス(隙間)を再調整すれば、稼働率を100%に戻してみせます。……その代わり、俺に『洗浄用の高級ガソリン』と『良質なウェス(布)』を支給してください。兵士のパンツを回してくれても構いません」
俺はニヤリと笑った。
営業課長に必要なのは、戦う兵士だけじゃない。設備の不具合を未然に防ぐ、偏屈な**「保守点検員(エンジニア)」**だ。
「いいだろう。ヨハン! こいつに余分な毛布と、洗浄用のアルコールを回せ。……今日からこの108高地は、戦場じゃない。**『移動式兵器修理工場』**だ」
2. メンテナンスの極意と「清掃」という名の研修
108高地の片隅に設けられた、即席の「保守点検ブース」。
クルト・クナンプは、届いたばかりの37mm対戦車砲(PaK 36)を、驚くべき手際でバラバラに分解していた。
「……見てください、シュピース。この駐退機(リコイルシステム)のオイル。真っ黒に焼けて、もはや泥水と変わりません。これじゃ撃つたびに砲身が跳ねて、照準(エイム)どころか、台座をぶっ壊しますよ」
クナンプは、貴重な洗浄用アルコールを惜しみなく使い、歯ブラシのような細いブラシでボルトの一本一本を磨き上げていく。その作業を見学させていた新兵たち――ミュラーやヨハンは、退屈そうに欠伸をしていた。
「……曹長。こんな細かい掃除、戦場で意味あるんですか? どのみち泥だらけになるんだし、弾が出て当たりゃいいんでしょ?」
ミュラーが、不満げに鼻をすする。
俺はミュラーの襟首を掴み、分解された37mm砲の薬室(チャンバー)の前に引きずり出した。
「いいか、ミュラー。お前のその甘い考えが、一番の『不良在庫』だ」
俺はクナンプの手から、磨き上げられたばかりのピカピカの部品をひったくり、朝日の下で掲げた。
「営業の世界でも同じだ。身だしなみが整っていない奴のプレゼンを、誰が信用する? 兵器も同じだ。この薬室の汚れ一つが、肝心な時の『不発』を招き、お前を『不採用(死体)』にするんだ」
俺はクナンプに目配せをする。彼は待ってましたとばかりに、使い古しの兵士のパンツ(ヨハンの予備だ)をミュラーに投げつけた。
「ミュラー、今日からお前の恋人は、この37mm砲だ。……クナンプ先生の指導の下、この『彼女』の肌を俺の顔が映るまで磨き上げろ。……ハンス! お前は重機関銃の全分解・清掃を新兵たちに叩き込め。砂粒一つ残っていたら、今夜の夕食は『不支給』だ」
「……へいへい。地獄の掃除当番ってわけだな」
ハンスが苦笑しながらも、MG34のカバーを開ける。
それから数時間。108高地は戦闘の喧騒ではなく、金属を磨く乾いた音と、クナンプの容赦ない罵声が響き渡る「研修センター」と化した。
「遅い! 砲尾(ブリーチ)の閉鎖タイミングが0.1秒遅れている! 調整ねじを締めろ! ……シュピース、この37mm、古いですが筋がいい。私が少し手を加えれば、本来の有効射程よりあと200メートルは『納品(命中)』精度を高められます」
「頼むぞ、エンジニア。……俺たちの命は、お前の工具箱の中にあるんだからな」
俺は、少しずつ「兵器」としての輝きを取り戻していく鉄の塊たちを見つめた。
メンテナンスはコストではない。明日への「投資」だ。
3. 試射(デモンストレーション)と「商品の真価」
数日後。クナンプの手によって「オーバーホール(全解体整備)」を終えた37mm対戦車砲(PaK 36)が、108高地の斜面に据え付けられた。
かつての煤けた鉄の塊は、潤滑油(ルブリカント)の鈍い光を纏い、まるで獲物を狙う猟犬のような鋭さを取り戻していた。
「……シュピース、準備完了です。照準器(サイト)の軸線、薬室の密閉率、ともにクルップ社の出荷基準を超えています」
クナンプが、油のついた指で眼鏡を押し上げ、満足げに頷く。
「よし。ハンス、ミュラー。こいつの『プレゼン』を始めるぞ。……ターゲットはあそこだ」
俺は双眼鏡で、1.5キロ先にある放棄されたソ連軍のトラックの残骸を指差した。
37mm砲の有効射程ギリギリ、あるいはそれを超える距離だ。ハンスが呆れたように鼻を鳴らす。
「おいおい、シュピース。あんな遠く、この『ドアノッカー』で当たるわけねぇだろ。弾の無駄遣いだって兵站部に怒られるぜ」
「ハンス、お前は営業(実戦)の現場を分かっていないな。……カタログスペックなんてのは、やる気のない営業マンが書いた数字だ。……クナンプ、やって見せろ」
クナンプが、ミュラーを助手にして手際よく砲を操作する。
金属同士が噛み合う「カチリ」という澄んだ音が、完璧な整備の証として静寂に響いた。
「装填……撃て(フォイヤ)!!」
ッゴォォン!!
乾いた、しかし重厚な発射音が丘に轟いた。
整備不良の砲なら激しく揺れるはずの脚部(架台)が、クナンプの微調整によって衝撃を逃がし、ピタリと止まっている。
数秒後。
地平線の向こうで、小さな火花が散った。
「……命中(トレッファー)。ど真ん中だ」
ハンスが双眼鏡を覗いたまま、凍りついたように呟いた。
「見たか、野郎ども! これが『メンテナンス』の成果だ!」
俺は新兵たちを振り返り、叫んだ。
「性能の低い道具を嘆く前に、その道具を限界まで磨き上げたか? クナンプが証明したのは、単なる命中精度じゃない。**『準備を怠らない奴だけが、戦場で主導権を握れる』**という鉄則だ!」
ミュラーが、さっきまで嫌々磨いていた砲身を、恐るおそる、しかし敬意を込めて撫でた。
「……すげぇ。こいつ、本当に俺たちが磨いたやつかよ……」
「そうだ。そして、その『彼女』の機嫌を損ねないのがお前の仕事だ。……よし、ハンス。次は50mmと迫撃砲の最終チェックだ。……『客』は、招待状もなしに突然やってくるからな」
俺は、満足そうにタバコを燻らすクナンプの肩を叩いた。
不良在庫を「一級の商品」に作り変えたエンジニアの加入は、第3中隊にとって、どんな新兵10人よりも価値のある「中途採用」となったのだ。
4. 実働(デリバリー開始)
メンテナンス研修から数日後の夕暮れ。108高地に「最初のお客様」が訪れた。
夕闇に紛れ、ソ連軍の偵察部隊――BA-64軽装甲車2両を先頭にした歩兵一個小隊が、こちらが「人手不足で火力が薄い」と踏んだのか、無防備な陣形で見通しの良い平原を接近してくる。
「シュピース、客だ。どうする? 50mmで先に装甲車を叩くか?」
ハンスがMG34の安全装置を外し、小声で問う。
「いや、50mmは『奥の手(本命)』だ。……まずはクナンプが磨き上げた、あの『ドアノッカー』の接待を見せてやれ」
俺は、ミュラーたちが構える37mm対戦車砲の射座へ合図を送った。
クナンプがミュラーの耳元で、まるでピアノの調律を確認するように囁く。
「……落ち着け。風を読み、あの装甲車の覗き窓(スリット)の10センチ下を狙え。……今だ」
ッゴォォン!!
完璧な整備がもたらした、濁りのない発射音。
37mm砲弾は放物線を描かず、一本のレーザーのように空間を切り裂き、先頭のBA-64の正面装甲を真っ向から貫通した。
火花が散り、装甲車が急停止する。中からは悲鳴さえ聞こえない。
「……命中! シュピース、次弾、装填します!」
興奮で声を上ずらせるミュラーを、クナンプが冷静に制す。
「慌てるな。次は徹甲弾(AP)じゃない、**榴弾(HE)**だ。……外に出てきた連中を掃き清めろ」
二撃目。爆発した榴弾が、混乱して車両から飛び出したソ連兵たちをなぎ倒す。
焦った後続のソ連兵たちが遮蔽物に隠れようと散開した瞬間、俺は「隠し玉」の投入を命じた。
「ヨハン! 迫撃砲班へ連絡! **『一斉デリバリー』**を開始しろ!」
**ポン、ポン、ポン!**という軽快な音が響く。
クナンプが照準器のガタつきを完全に無くした8cm迫撃砲は、驚くべき精度で敵の退路に弾幕を敷いた。
逃げ場を失い、右往左往する偵察部隊。
かつてなら「威嚇」にしかならなかった37mm砲が、今や冷酷なスナイパーライフルと化し、敵を一人ずつ「処理」していく。
「……信じられねぇな」
ハンスが呆然とした様子で、自らの出番がないまま戦場を見つめる。
「あの『ドアノッカー』があんなに働くなんてよ。……クソッ、俺の出番がなくなっちまうじゃねぇか」
「これが『設備投資』と『保守点検』の力だ、ハンス」
俺は双眼鏡を畳み、満足げにクナンプを見た。
「どれだけ古い道具でも、現場を愛し、手入れを怠らない奴がいれば、それは最新鋭の兵器を凌駕する。……クナンプ、お前の初仕事は『最高評価(エクセレント)』だ」
「……当然です。……さて、シュピース。次はこの軽機関銃のトリガーの戻りが気になります。全分解していいですか?」
戦闘が終わっても、クナンプの「仕事」は終わらない。
第3中隊は、人手不足という最大の危機を、偏屈なエンジニアと「磨き上げられた鉄屑」で見事に乗り切ったのだ。
【第15話 業務報告書】
• 採用: クルト・クナンプ(火砲整備士)。
• 戦果: 敵偵察部隊を壊滅。37mm砲の稼働率および命中率が劇的に向上。
• 教訓: 壊れたら買い替えるのではない。壊れないように磨き続けること。現場の命を守るのは、勇気ではなく一滴の潤滑油である。
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