第14話 予算削減と、泥だらけの決算報告
1. 勝利の報酬は「ゼロ回答」
108高地の「開店イベント(防衛戦)」が終わってから三日。
戦場は奇妙な凪の状態にあったが、第3中隊の陣地には、勝利の余韻など微塵も残っていなかった。
俺は、泥だらけの木の箱をデスク代わりにし、大隊本部から届いた一通の書類――いや、「通告書」を凝視していた。
そこには、俺が期待していた「補充人員リスト」の代わりに、冷徹なタイピング文字でこう記されていた。
『第3中隊の戦果は認める。しかし、前回の戦闘における10.5cm榴弾の消費量は、規定枠の300%を超過している。これは極めて不経済な資源投入であると判断し、当面の間、当該中隊への新規人員補充を見送る。現状のリソースで業務を継続せよ。――SS少佐 オスカール・ディルレヴァンガー』
「……ハッ。資源投入だと?」
俺は思わず、乾いた笑いを漏らした。
部下たちが命を削り、俺がコネを総動員して守り抜いた丘の価値が、たかが砲弾の在庫数と天秤にかけられ、挙句の果てに「不経済」の一言で片付けられたのだ。
「シュピース。本社(本部)から何か返答はあったか?」
背後からハンスが声をかけてきた。
彼は昨夜の雨で冷え切ったMG34の銃身を、布で力なく拭いている。その横には、欠員13名分、主のいなくなった空のタコツボが、埋め戻されることもなく口を開けていた。
「ああ、返答なら来たぞ。……残念ながら、我が社の採用活動(人員補充)は『予算凍結』だ。13名の穴はそのまま、残った俺たちでワンオペしろだとよ」
「……何だと? 欠員を残したまま、次のシフトに入れってか? あんな地獄を経験した直後だぞ、連中はもうボロボロだ」
ハンスが怒りを押し殺した声で吐き捨てる。
視線を上げれば、塹壕の隅でヨハンが泥のついた飯盒を洗っているが、その動きは緩慢で、新兵たちの目には、勝利の喜びよりも「いつまでこれが続くのか」という絶望の色が濃い。
中隊の士気(モチベーション)は、底を突きかけている。
現場の黒字(勝利)を、本社の数字遊びで赤字(補充なし)に書き換えられたのだから当然だ。
「ハンス。……奴ら(上層部)は、現場を『数字』でしか見ていない。砲弾一発の値段は知っていても、部下一人の命の『維持コスト』は計算に入っていないらしい」
俺は書類を乱暴に握りつぶし、泥の中に投げ捨てた。
マウスグレーの低視認(ロービジ)服が、怒りで震える肩に馴染んでいる。
「いいだろう。向こうがその気なら、こっちも『営業』のやり方を変える。……ヨハン! サイドカーに燃料を入れろ! 営業車を出すぞ!」
「は、はい! どこへ行くんですか、曹長!?」
ヨハンが驚いて顔を上げる。
「後方の兵站部だ。……あそこのピカピカの制服を着た連中に、現場の『決算報告』ってやつを直接叩き込みに行ってやる」
俺は、木箱に封印していた特注の野戦服(勝負服)を取り出した。
襟元を正し、銀糸のトレッセを指でなぞる。
泥だらけの現場から、言葉のナイフを研ぎ澄ました「営業課長」へと、俺はギアを切り替えた。
「ハンス、俺が戻るまで現場を頼む。……人が足りないなら、死体でも動かして『稼働中』に見せかけておけ。……いいか、今から俺が、俺たちの『ボーナス』をもぎ取ってきてやる」
2. 後方兵站部での「政治闘争」
最前線から数キロ後方。砲声が遠い雷鳴のようにしか聞こえない村の、徴用された立派な洋館。ここが兵站部――現場の生死を「数字」だけで管理する連中の城だ。
サイドカーから降りた俺は、泥一つない**勝負服(カスタム野戦服)**の襟を正した。ヨハンには、埃を被った俺の鞄を「いかにも重要な書類が入っている」風に抱えさせ、背後に控えさせる。
廊下ですれ違う兵隊たちの軍服は驚くほど清潔で、糊が効いている。
俺は受付の兵士を鋭い目つきで一瞥し、アポイントメントもなしに**「資材管理課」**のドアを蹴るようにして開けた。
「失礼。第3中隊のハインリヒ・ヴェーバーだ。資材担当のシュルツ少尉に『最終決算』の相談に来た」
部屋の奥、山積みの書類に囲まれたデスクに、ピカピカの眼鏡をかけた若い将校――シュルツ少尉がふんぞり返っていた。
「……ヴェーバー曹長か。通告は受け取ったはずだ。貴公の中隊は108高地で砲弾を湯水のように使い、規定の経費を大幅にオーバーさせた。その補填として、補充人員の予算は凍結。文句を言われる筋合いはない」
少尉は俺の顔も見ずに書類にサインを続ける。
俺は無言で彼のデスクに歩み寄り、ヨハンに目配せをした。ヨハンが鞄から、黒い布に包まれた「ブツ」を恭しく取り出す。
それは、108高地で回収したソ連軍将校の美しい拳銃(トカレフTT-33)と、俺が私財(着服分)から捻出した本国直送のヴィンテージ・ワインだ。
「少尉。これは『抗議』ではなく『営業』ですよ。……108高地が抜けていれば、今頃この快適なオフィスもソ連のT-34に踏み潰されていたでしょう。……それを防いだのは、我が中隊の『過剰な先行投資(砲撃)』です」
少尉がようやく顔を上げ、拳銃とワインを値踏みするように見た。
俺は身を乗り出し、彼の耳元で、甘く、しかし震え上がるような低い声で囁いた。
「この拳銃、少尉のコレクションにどうです? 『最前線での鹵獲品』というハクがつきますよ。……ただ、もし次回の商談(戦闘)で、我が中隊に補充が届かず戦線が崩壊すれば、私はこの拳銃を返してもらう暇もなく、ソ連軍をここまで『ご案内』することになる。……そうなれば、この上質なワインはイワン(ソ連兵)の胃袋に収まり、少尉の頭には砲弾が落ちる。……それが、あなたの望む『経済的な決算』ですか?」
「……っ。貴公、それは脅迫か」
「いえ、『リスクマネジメント』の提案です」
俺は営業スマイルを浮かべ、鞄からもう一枚のリストを差し出した。
「人員補充が『本社(大隊長)』の命令で不可なら、せめて『営業経費』の枠を広げてください。具体的には、対人地雷500個、重機関銃の予備銃身20本、それに戦闘糧食の三倍増。……書類上は『不発・紛失による廃棄処理』で構いません」
少尉は脂汗を拭いながら、しばらく俺と、デスクの上の獲物を見比べた。
やがて、彼は震える手でリストを引ったくり、乱暴に承認印を叩きつけた。
「……今回だけだぞ、曹長。すぐに倉庫から持ち出せ。……ただし、大隊長(博士)の耳には入れるなよ」
「もちろんです。少尉は『現場を救った英雄』として、俺の閻魔帳(手帳)に記録しておきますよ」
オフィスを出る俺の背後で、ヨハンが安堵のため息を漏らした。
「課長、すごいです。……本当に資材をせしめちゃいましたね」
「ヨハン、これが『政治』だ。人が足りないなら、物で補うしかない。……さて、次は帰り道だ。……『退職予定者』の顔でも見に行くか」
3. フリッツとの再会と、最後のアフターケア
兵站部から「不適切に融通」させた地雷や食料をサイドカーの側車に山積みにし、俺たちは最前線への帰路を急いでいた。その途中、街道沿いに設置された仮設の野戦病院――通称「肉屋の作業場」の近くを通った時だ。
「……課長、あれ。フリッツじゃないですか?」
ヨハンが指差した先、泥だらけのトラックが並ぶ一角に、担架に乗せられた兵士たちの列があった。
俺はサイドカーを止めさせた。
そこには、昨日の「英雄」の面影もなく、ただ青白い顔をして毛布にくるまったフリッツがいた。右足の付け根から先は、無慈悲なほどに平らになっている。
「……シュピース(曹長)?」
俺が近づくと、フリッツは焦点の定まらない目で俺を見上げた。
本国送還が決まったというのに、彼の目には安堵よりも、「欠けた自分」に対する言いようのない不安が漂っていた。
「ああ、俺だ。……なんだその面は。これからハイマース(故郷)に帰って、美味いビールと母親の料理が待っているっていうのに、倒産寸前の重役みたいな顔をしやがって」
俺は努めて軽い口調で言い、サイドカーの荷物の中から、さっきの将校からせしめてきた「特級品」をいくつか取り出した。
「ほら、これは兵站部の鼻持ちならない少尉からの『お裾分け』だ。フランス製のチョコレートと、最高級のタバコ。……それから、これを持っていけ」
俺は胸ポケットから、手帳の切れ端にさらさらと書いた紹介状を差し出した。
「俺の親戚に、ミュンヘンで小さな工房を営んでいる靴職人がいる。義足の調整に関しては右に出る者がいない頑固親父だ。……この手紙を見せれば、お前の新しい『足』を、ダンスだって踊れるくらい一級品に仕上げてくれるはずだ」
フリッツは震える手でその紙切れを受け取った。
メダル(勲章)を渡された時よりも、その小さな「未来への紹介状」を、彼は強く握りしめた。
「……ありがとうございます、課長。俺……戻ったら、ちゃんと仕事を探します。……軍服じゃなくて、まともなスーツを着て」
「ああ、それがいい。……いいかフリッツ。ここはもうお前の戦場じゃない。これからは故郷で、誰よりも長く、しぶとく生き残れ。それが、俺への唯一の『決算報告』だ」
トラックのエンジンが始動し、泥を跳ね上げながら動き出す。
フリッツは担架の上で、不恰好ながらも俺に敬礼を送った。
俺はそれに対し、軍隊式の敬礼ではなく、かつてオフィスで部下を送り出した時のように、軽く右手を上げて応えた。
トラックが土煙の向こうに消えていくのを見届けた後、俺はサイドカーに跨った。
「……よし、ヨハン。感傷に浸る時間は終わりだ。……現場へ戻るぞ。人がいない分、この地雷で地面を『自動化』しなきゃならん」
「はい、曹長。……なんだか、フリッツの顔が少しだけ晴れた気がします」
「……あいつはもう『顧客』じゃないからな。ただの一般市民だ。……さて、地獄のワンオペ会場へ急ごうか」
4. 補充なき戦場、ワンオペ防衛計画
サイドカーが泥を跳ね上げ、第3中隊の守る108高地の「オフィス(陣地)」へと戻ってきた。
待ち構えていたハンスが、空の側車を見て眉をひそめる。
「……シュピース、戻ったか。で、新人(コマ)はどこだ? 途中でトラックから振り落としてきたわけじゃないだろうな」
「残念ながらハンス、本社の採用活動は『募集停止』だ。……だが、代わりの『事務用品』なら山ほどせしめてきた」
俺はサイドカーから、不気味な形をした鉄の塊――**S地雷(対人地雷)**の箱と、軽機関銃の予備銃身を次々と放り出した。
ハンスが呆れたように鼻で笑う。
「地雷か。……人で守れない場所は、機械に守らせろってか。相変わらず効率のいいこった」
「その通りだ。いいか野郎ども! 集合!」
俺は生き残った中隊員たちを呼び集めた。
欠員が出たことで、列は驚くほど短くなっている。だが、彼らの目にはまだ「仕事」を全うしようとする意志が残っていた。
「残念ながら、本社は俺たちに増員を認めなかった。……つまり、今日からここは**『ワンオペ体制』**だ。一人あたりの守備範囲は二倍になる。……だが、安心しろ。その分、俺が兵站部から『余剰資材』をたっぷりふんだくってきた」
俺は地雷の箱を蹴り飛ばした。
「今から、この丘の前方に**『無断立入禁止(地雷原)』**の看板――本物の地雷を埋めまくる! 敵が来るたびに引き金を引く必要はない。踏めば勝手に処理(爆発)されるシステムだ。……ハンス、機関銃座には予備銃身を二本ずつ配備しろ。加熱して撃てなくなる言い訳は許さん」
「……ハンス、地雷だけじゃない。本社の倉庫に眠っていた『型落ちの在庫』も一掃してきたぞ」
俺が指差したサイドカーの後ろには、数台の荷馬車が続いていた。そこには、第3中隊の火力を底上げする「新設備」が積まれていた。
1. 37mm対戦車砲(PaK 36)
「シュピース、こいつは……**『ドアノッカー(叩き金)』**じゃないか。今さらこんな旧式をどうするんだ?」
ハンスが、37mm対戦車砲を見て鼻で笑う。最新のソ連戦車には通用しないと揶揄される代物だ。
「ハンス、見方を変えろ。こいつは戦車を倒すためのものじゃない。**『長距離用散弾銃(ショットガン)』**だ。榴弾を詰め込んで、密集してくる敵歩兵の窓口(正面)に叩き込め。戦車は後回しだ、まずは『営業妨害(歩兵の突撃)』をこれで阻止する」
2. 50mm対戦車砲(PaK 38)
「それから、こっちが本命の**『主力商品』**だ」
俺は、より大型の50mm対戦車砲を指差した。これなら側面を狙えばT-34も仕留められる。
「こいつはフリッツのような『特攻』を防ぐための保険だ。一番腕のいい奴を付けろ。こいつの維持費(砲弾)は、俺が兵站部の少尉の弱みを握って確保し続ける」
3. 8cm迫撃砲(GrW 34)
「最後はこれだ。……**『デリバリー・サービス(遠隔配送)』**だ」
分解された8cm迫撃砲が運び込まれる。
「直接顔を合わせたくない相手(見えない敵)には、こいつで上から挨拶を届けてやれ。ハンス、お前が全体のオペレーターを兼任しろ。弾幕のタイミングは俺が指示する」
ハンスが、重厚な金属の塊たちを眺め、ようやくニヤリと笑った。
「……なるほど。地雷で足止めし、37mmで散らし、50mmで仕留め、迫撃砲で追い払う。……人がいない分、鉄の塊を死ぬ気で働かせろってわけか。ブラック企業も極まれりだな」
「その通りだ。鉄は文句を言わんし、飯も食わんからな」
俺は新兵たちに、これらの「重機」の設置を命じた。
「いいか野郎ども! 道具は揃った。これからは腕力じゃなく『設備投資』で勝負するぞ! 安全第一(ジッヒャーハイト・ツエルスト)!! ヨシ!!」
俺の言葉に、兵士たちの間に乾いた笑いが起きた。
絶望的な人手不足。しかし、ハインリヒが持ち帰った「物量」と、何より彼が「自分たちのために上層部と戦ってきた」という事実が、折れかけていた彼らの背骨を再び支えたのだ。
「ヨハン、せしめてきた戦闘糧食を配れ。……今夜は特別支給だ。本物のチョコレートとタバコもあるぞ。……腹が減っていては、いい仕事はできんからな」
「わぁっ! 本当だ、フランス製のチョコだ!」
新兵たちが、子供のように目を輝かせて包み紙に飛びつく。
俺はそんな彼らを一瞥し、ハンスに近づいた。
「……ハンス、正直に言う。地雷や装備がどれだけあっても、最後は『人』だ。……限界が来たら、俺に言え。その時は、俺が責任を持って『倒産(撤退)』の手続きを、博士(ディルレヴァンガー)に叩きつけてやる」
「……フン、言ってくれるぜ。……あんたがそんな顔してるうちは、まだ倒産は先だな」
ハンスはMG34の銃身をガチャンと嵌め込み、闇が迫る地平線を睨み据えた。
俺は再び、ロービジ(低視認)の野戦服に袖を通し、双眼鏡を手に取った。
明日にはまた、新しい「無理難題」が飛んでくるだろう。
だが、俺の「営業活動」はまだ終わらない。
部下全員を「ハイマース(故郷)」へ帰すという、究極の決算目標を達成するまでは。
【第14話 業務報告書】
• 交渉結果: 人員補充ゼロ、ただし資材(地雷・重火器・食料)の300%増を達成。
• 現状: ワンオペ防衛体制に移行。
• 教訓: 会社(上層部)が人をくれないなら、外部ツール(トラップ)で自動化せよ。ただし、社員の腹を満たすことだけは忘れてはならない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます