第12話 黒いネクタイの「中隊の母」と、恐怖の人事考課

1. 忌まわしき「課長昇進」

 その日、俺は大隊本部に呼び出された。

 ディルレヴァンガー博士(社長)は、俺を見るなりニヤリと笑い、机の上に**「2本の銀色のモール(線)」**を放り投げた。

「おめでとう、ヴェーバー。今日から貴様は**SS曹長(Oberscharführer)**だ」

 俺は直立不動でそれを見つめた。

 伍長(ヒラ係長)からの二階級特進。だが、素直に喜べない。

 この銀線(トレッセ)を袖に巻くという意味。それはただ一つ。

「シュミット少尉が『事務処理と部下の管理ができる者が欲しい』と泣きついてきてな。……貴様を第3中隊の**『先任下士官(シュピース)』**に任命する」

 俺は目の前が真っ暗になった。

 シュピース。通称**「中隊の母」と呼ばれるが、実態は「総務兼・人事課長」だ。

 中隊全員(約150名)の人事、規律、物資、そして「給与(食事・タバコ)」**の全権を握る、実質的な現場の支配者。

「はっ。拝命いたします(勘弁してください)」

「いい返事だ。……期待しているぞ、『曹長殿(Herr Spieß)』」

2. 営業課長の「勝負スーツ(フル装備)」

 翌朝の点呼前。

 俺は与えられた個室で、鏡に映る自分の姿を入念にチェックしていた。

 給料とヤミ取引の利益を全ツッパして仕立てた、俺の**「管理職用戦闘服」**だ。

 まず、襟元。

 野戦服の第一ボタンを外し、襟を大きく開く。

 その下には、清潔なシャツと、黒いネクタイ。

 キュッと音を立ててノット(結び目)を締め上げる。

 ……よし。この感覚だ。

 ネクタイが首元を締める感触こそが、俺を「戦うサラリーマン」に変えるスイッチだ。

 次に、ボトムス。

 これは支給品ではない。街の仕立て屋に特注した将校用乗馬ズボンだ。

 生地は高級なトリコット。太もも部分の優雅な膨らみが、俺の下半身を大きく、堂々と見せてくれる。

 そして足元は、鏡のように磨き上げた初期型マァシュシュティーフェル(行軍靴)。

 現行品とは違う長い丈。オーダーズボンの裾をブーツに入れ込むと、完璧なシルエットが完成した。

 両袖には本物のアルミ銀糸で編まれた**「2本のピストンリング」。

 肩には銀の星が一つのった曹長の肩章**。

 左胸にはホイッスル。

 腰には硬殻ホルスターに収まったルガーP08。

「……完璧だ。これなら、どんなクレーマー(敵)が来てもナメられない」

3. 閻魔帳とネクタイの威光

 兵舎の前に現れた俺を見て、騒がしかった兵士たち(社員)が水を打ったように静まり返った。

 

 カツン、カツン……

 マァシュシュティーフェルの硬質な音が響く。

 ハンスが俺の姿を見て、目を丸くした。

「シュピース……! ネクタイまで締めて、そのズボン……将校用の仕立てじゃないですか!?」

 俺は革手袋をした手で、ネクタイを少し触った。

「ハンス。管理職たるもの、身だしなみ(TPO)は重要だ。だらしない格好で部下に示しがつくか?」

 俺はマップケースから一冊の分厚いノート――**「閻魔帳(メルデブッフ)」を取り出し、整列した兵士たちを見渡した。

 開襟シャツから覗く黒いネクタイ。それは、泥臭い前線兵士たちとは一線を画す、「冷徹なビューロクラート(官僚)」**の証に見えたはずだ。

 俺は静かに告げた。

「業務連絡だ。本日より、俺がこの中隊の『法』であり『秩序』だ」

 俺はノートをパラパラとめくった。

「配給のソーセージの太さも、タバコの本数も、次に誰が『危険な残業(斥候)』に行くかも……全て、この**『人事考課(ノート)』**の点数で決める。以上だ」

4. 問題児社員その1:職人気質のクルト

 だが、新しく中途採用されたクルト(40代、元・森林警備隊の密猟者)は、俺のネクタイとズボンを見て鼻を鳴らした。

 彼は整列もせず、ナイフを磨いている。

「(……へぇ。戦場だってのに、ネクタイ締めて、特注のズボンかよ。……泥に汚れるのを嫌う『お偉いさん』ってわけか)」

 クルトの侮蔑の視線を感じた俺は、あえて彼に近づいた。

 そして、オーダーメイドのズボンのポケットから、高級なライターを取り出した。

「何か言いたいことがあるか、クルト二等兵?」

 俺は腰のルガーP08のホルスターをポンと叩き、ニヤリと笑った。

「このネクタイはな、貴様らのような猛獣の手綱を握るための『首輪』みたいなもんだ。……俺は服を汚すつもりはない。汚れ仕事は、プロ(貴様)に任せるつもりだからな」

 クルトの手が止まった。

 「自分をプロとして扱っている」――そのニュアンスを感じ取り、彼は口元の笑みを深くした。

「……なるほど。合理的なボス(課長)だ。いいだろう、あんたの射界(ルール)で撃ってやる」

5. 問題児社員その2:意識高い系のフリッツ

 もう一人の新卒、フリッツ(18歳、元ヒトラーユーゲント)は逆だった。

 俺の袖の銀線とネクタイを見るなり、目を輝かせて叫んだ。

「ハイル・ヒトラー! シュピース! いつ突撃命令をくださるのですか!? 私は会社(祖国)のために命を捧げたいのです!」

 俺はため息をつき、閻魔帳を開いた。やる気だけが空回りしている「意識高い系新入社員」だ。

「フリッツ二等兵。貴様の『リスク管理意識』はマイナス50点だ」

「リスク!? そんなものは臆病者の……」

「黙れ。ウチの会社では**『無駄死に(コストの浪費)』は査定に響く**」

 俺はノートを彼に見せつけた。そこには『フリッツ:要再教育(OJT)』と赤字で書かれている。

「いいか。貴様のような『突撃馬鹿』は、戦死公報を書く俺の手間(残業)が増えるだけだ。……本日から、評価が『B』になるまで、最前線への配置を禁ずる。後方で**『芋の皮むき(雑用)』**に従事せよ」

「な、なんですってー!? 屈辱です! 現場に出してください!」

「ダメだ。芋を剥け。……剥き方が綺麗なら、試用期間終了として現場に出してやる」

 フリッツは泣き崩れた。彼にとって「仕事(戦闘)をさせてもらえない」ことが最大の罰なのだ。

6. 中間管理職の夜

 その夜。

 俺は中隊本部で、コーヒーを飲みながら書類整理をしていた。

 外からは、兵士たちの噂話が聞こえてくる。

「おい……今日のスープ、俺だけ肉が入ってねぇぞ……」

「バカ、お前昨日、備品壊しただろ。シュピースの『閻魔帳』に書かれたんだよ」

「ヒィッ! マジかよ……明日から真面目に働こう……」

 ハンスが入ってきて、苦笑いした。

「課長。みんなビビりまくってますよ。銃も使わずに、ペン一本で猛獣たちを飼い慣らすなんて」

「銃より『空腹』と『左遷』の方が、サラリーマンには堪えるんだよ」

 俺は乗馬ズボンの埃を払い、一服した。

 こうして、第3中隊は**「規律正しい(というより、課長の顔色を伺う)優良ブラック企業」**へと変貌していくのだった。

【現在の評価】

階級: SS曹長(Oberscharführer)兼・中隊先任下士官(シュピース)。

装備: 開襟ネクタイ、乗馬ズボン、初期型マァシュシュティーフェル、ルガーP08。

組織の状態: 恐怖政治によるガバナンス強化完了。

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