第10話 軍団本部への栄転(?)と、魔王のお気に入り

1. 泥沼への一本の電話

 その日の朝、SS特別部隊ディルレヴァンガー(大隊規模)の指揮所に、一本の電話が入った。

 受話器を取ったシュミット少尉の顔色が、みるみる青ざめていく。

「あ、はい……! いえ、その……**軍団司令部(コルプス)**からの要請と言われましても……ウチはただの懲罰大隊でして、教養のある兵士など……」

 少尉は脂汗を流しながら、助けを求めるように俺たちを見回した。

 彼はこの小規模な「荒くれ者集団」の中間管理職だ。雲の上の存在である軍団本部(親会社)からの圧力に、胃に穴が開きそうになっている。

「ど、どうしよう……『日本語が話せる奴を寄越せ、いなければ貴様の首を飛ばす』と言われた……終わった……俺の軍歴は終わった……」

 少尉が頭を抱えて震え出した。

 俺はため息をつき、雑巾を置いてスッと手を挙げた。

「少尉殿。……私が行きましょうか?」

 少尉がガバッと顔を上げた。涙目だ。

「えっ? ヴェーバー、お前……日本語ができるのか?」

「はっ。商用レベル(ビジネスレベル)で少々」

 少尉は俺の手を両手で握りしめた。

「おお、神よ! ヴェーバー君、君は救世主だ! すぐに行ってくれ! 俺の首を繋いでくれ!」

2. 天国(軍団本部)への出張

 俺はサイドカーに乗せられ、泥だらけの駐屯地を後にした。

 服装はもちろん、例の**「勝負服(開襟ネクタイ&初期型ブーツ)」**に着替えている。

 数時間後、到着したのは地域を統括する軍団司令部(Korps-Kommando)。

 磨き上げられた床、参謀たちの忙しない足音、そしてコーヒーの香り。

 ここは「会社(組織)」として機能している。我々の部隊とは別世界だ。

 俺は参謀将校に案内され、応接室に通された。

 そこには、重苦しい空気が漂っていた。

 ソファーに座っているのは、ドイツ国防軍の中将と、一人の小柄な東洋人。

 大日本帝国陸軍・秋山少佐。

 エリート特有の神経質な顔つきで、出されたコーヒーにも口をつけず、不機嫌そうに黙り込んでいる。

 参謀が俺に耳打ちした。

「(……頼むぞ伍長。あの武官殿、ドイツ語はペラペラなんだが、とにかくガードが堅い。笑顔一つ見せないんだ)」

3. エリート武官との「秘密チャンネル」

 俺は頷き、一歩前へ出た。

 カカトを揃え、腰を45度に折る、完璧な**「日本式お辞儀」**。

「失礼いたします。お疲れ様です(Otsukaresama-desu)。」

 その一言で、秋山少佐が弾かれたように顔を上げた。

 俺は直立不動のまま、流暢なビジネス日本語で続けた。

「本日の接待(アテンド)を命じられました、ハインリヒ・ヴェーバーと申します。連日の激務、ならびにドイツ人の石頭(ロジック)相手の折衝、心よりお察し申し上げます」

 少佐の表情が一気に崩れた。

 彼はドイツ語の鎧を脱ぎ捨て、日本語で、しかも本音で話しかけてきた。

「……驚いたな。まさかこんな最前線で、帝都の気遣いに触れるとは。……ああ、その通りだ。彼らは数字ばかり並べて、現場の空気というものを理解しようとしない」

 俺はニヤリと笑い、小声で返した。

「左様でございますか。では、後ほど私がこっそり、**『粉飾されていない決算書(現場の悲惨な実情)』**をご説明しましょう。……実はウチの部隊、自転車操業でして」

 少佐が「ぶっ」と吹き出しそうになり、初めて笑顔を見せた。

 それを見たドイツ軍の中将が、目を丸くして喜んだ。

「(おお! ヴェーバー伍長! 何と言ったんだ!? あの鉄仮面が笑ったぞ!)」

「(はっ。『ドイツ軍のコーヒーは世界一だ』とジョークを仰っています)」

「(なんと! さすが武官殿はユーモアがおありだ!)」

 俺と少佐の間だけで、奇妙な**「共犯関係」**が成立した瞬間だった。

4. 商談成立と、お土産

 帰り際。秋山少佐は、スタッフカーの窓から俺に声をかけた。

「ヴェーバー伍長。世話になったな。……貴様のおかげで、久しぶりに胃の痛みが引いた」

 少佐は名刺(俺はメモ用紙)を交換した後、一箱のタバコをくれた。

 **「金鵄(きんし)」**だ。

「ドイツのタバコは辛かろう。……取っておけ」

「……! ありがたく、頂戴いたします!」

5. 魔王の「お気に入り」

 翌日。

 俺はサイドカーでディルレヴァンガー部隊(大隊本部)に戻った。

 シュミット少尉が、泣きそうな顔で出迎えてくれた。

「よかった……! 軍団司令部から『極めて良好』との評価が来たぞ! ヴェーバー君、君のおかげで助かったよぉ……」

 少尉は俺の手を握ってブンブン振った。

 だが、その背後から、死神のような冷たい声が響いた。

「……ほう。やるじゃねぇか、ヴェーバー」

 場が凍りついた。シュミット少尉が飛び上がり、直立不動で叫んだ。

「ハ、ハイル・ヒトラー! ディルレヴァンガー博士(Herr Doktor)!!」

 現れたのは、部隊指揮官、**オスカー・ディルレヴァンガー SS少佐(Sturmbannführer)**その人だ。

 痩せこけた顔、死人のような目。

 大隊規模のこの組織において、彼は絶対的な王であり、魔王だ。

 彼は俺が持ち帰った「軍団司令部からの土産(ハムとワイン)」と、日本のタバコ「金鵄」を興味深そうに見下ろした。

「軍団のお偉いさんと、あの**『シュリッツ・アウゲ(細目野郎)』を手玉に取ってきたって? ……お前、ただの事務屋かと思ってたが、『使える』**なお前」

 博士は、ニタリと笑った。

 「細目(Schlitzauge)」という露骨な差別用語を使いながらも、その口調には獲物を値踏みするような知性が混じっている。

「気に入った。これからは、俺の直轄で**『渉外(外交)』**もやれ。……期待してるぞ、伍長?」

 彼は俺の肩をポンと叩き、去っていった。

 その手は氷のように冷たかった。

6. 胃痛の再発

 ハンスが青ざめた顔で近づいてきた。

 「ご、伍長……ドクターに気に入られましたね……」

 俺は脱力して、サイドカーにもたれかかった。

 数百人規模の小さな部隊で、トップである「ドクター」に目をつけられること。

 それは逃げ場のない地獄(ブラック労働)の始まりだ。

「……ああ。どうやら俺は、とんでもないブラック部署に異動になっちまったみたいだ」

 俺は震える手で、秋山少佐から貰った「金鵄」に火をつけた。

 日本のタバコの味だけが、唯一の癒やしだった。

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