第3話 ならず者たちの朝礼と、営業マンの「品質管理」

1. 堕ちた英雄と、こだわりの管理者


翌朝。

 鉛色のベラルーシの空の下、俺は兵舎の前に立っていた。

 第3分隊、総員12名。これが俺の新しい部下たちだ。

 ……頭が痛い。胃も痛い。

 整列はガタガタ、軍服は着崩し放題。全員が二日酔いのような顔をしている。

 俺が日本の営業課長だった頃、こんな態度で朝礼に出る部下がいたら、その場で説教コースだ。

 「お客様(敵)の前に出る準備ができていない」なんて、営業マン失格だ。

「へっ、新しい班長殿は、随分と小綺麗な格好をしてなさる」

 列の中から、野太い声が飛んだ。

 大柄な男、ハンスだ。分隊の要である機関銃(MG34)を、まるで自分の腕の一部のようにぞんざいに担いでいる。

 

 俺の目は、彼のみすぼらしい二等兵の軍服に釘付けになった。

 泥と油で汚れたその左胸に、異質な輝きがあったからだ。

 一級鉄十字章。

 そして、その上には白兵戦章(ナァカンプフ・シュパンゲ)。

 (……うわぁ。ガチもんの英雄(ヒーロー)じゃねぇか)

 手元の資料(人事ファイル)によれば、こいつはハンス・ゲルバー。

 元は正規SS師団の曹長(オーベルシャールフューラー)。東部戦線の地獄を生き抜き、数々の武勲を立てたが、酒乱で上官を半殺しにし、階級だけ剥奪されてここに送られてきた。

 つまり、**「実力は超一流だが、今は扱いにくい窓際族のベテラン社員」**だ。一番厄介なタイプだ。

「なあ伍長(ウンターシャールフューラー)。俺は『元・曹長』として言わせてもらうがね」

 ハンスはわざと胸を張り、俺の二級鉄十字章(のリボン)よりも格上の、自身の一級鉄十字章を見せつけた。

「あんたのそのピカピカの長靴(マァシュシュティーフェル)も、すぐに泥だらけになるぜ? ここは閲兵式(パレード)の会場じゃねぇんだ」

 強烈なマウントだ。

 「勲章のランクも、実戦経験も、俺の方が上だ」と無言で語っている。

 周囲の部下たちも、「新任の優男がどう出るか」とニヤニヤ見守っている。

 怖い。正直、足が震えそうだ。

 だが、俺はこっそりと深呼吸をした。

 

 ふん、なんだその態度は。俺の装備を見てみろ。

 

 首元には、ネクタイではなく防寒用トーク(Schlauchschal)をスカーフのようにラフに巻き、その端を少し覗かせている。前線の古参兵(アルテ・ハーゼ)の嗜みだ。

 襟を縁取る銀色のライン(トレッセ)は、安っぽいレーヨン製(後期型)ではない。鋭く輝くアルミ銀糸(初期型)だ。

 そして肩章。SS支給品の丸くてダサい物ではなく、わざわざ仕立て屋に特注させた、陸軍様式の「剣先型(シュピッツ)」。中には硬い芯が入っている。

 この「金とこだわりをかけた完璧な着こなし」こそが、今の俺の鎧だ。

 俺は「昔は凄かった」と自慢する天下り顧問や、現場叩き上げの頑固な職人を相手にするのは、日常茶飯事だった。

 

 過去の栄光がどうあれ、今の役職(指揮官)は俺だ。ナメられたら、次の契約(生存)はない。

 俺は無言でハンスの前に歩み寄った。

 そして、彼が誇示するように持っているMG34を見下ろした。

「……ハンス二等兵。それが君の『商売道具』か?」

 俺は極力、感情を排した「商談モード」の声を出した。

「あ? ……俺は元曹長だぞ?」

「今は二等兵だ。質問に答えろ。その機材の状態はどうだ」

「はん、問題ねぇよ。俺はこの鉄屑の扱いなら、あんたより長けてるんでな」

 ハンスは自信満々に答えた。


2. 営業マンの「品質チェック」


「貸してみろ」

 俺は半ば強引にMG34を受け取ると、スーツのポケットからハンカチを出す手つきで、軍服から白い布を取り出した。

 機関部の隙間(フィードカバーの裏)に指を入れる。

 ……ベトッ。

 引き抜いたハンカチは、真っ黒な煤と、古くなって固着したグリスで汚れていた。

 (うわぁ……最悪だ。メンテの腕はあっても、やる気を失ってサボってやがるな)

 俺は深いため息をついた。

 「恐怖」よりも、営業マンとしての「プロ意識の欠如」に対する呆れが勝った。

「……はぁ。話にならん」

 俺は汚れたハンカチをハンスの顔の前に突きつけた。

「見ろ。なんだこの汚れは」

「ッ……! いや、昨日は忙しくて……それに多少汚れてても撃てる!」

「これは『手抜き』だ。メンテナンス不足による機会損失(ロス)だ」

 俺はハンスの胸の一級鉄十字章を一瞥し、冷ややかに言った。

「いいか、元曹長殿。胸の飾り(勲章)は立派だが、現在の仕事ぶりがこれでは評価に値しない。我々の仕事は『成果(戦果)』を上げることだ。そのために会社(軍)から高価な機材を貸与されている」

 俺はMG34を銃床でコツコツと叩いた。

「過去の栄光で弾が出るのか? いざという時に道具が動かず、ノルマ未達(敗北)になりました? ……そんな言い訳が通用すると思っているのか?」

「ぐっ……」

 一番痛いところ(現在の落ちぶれた姿)を突かれ、ハンスが言葉に詰まる。

「君が死ぬのは勝手だが、それによってチームの数字(生存率)が下がるのは困るんだ。部下のミスは、管理職である俺の査定に響くんでな」

 俺の本音は**「お前がサボったせいで俺が死ぬのは嫌だ!」**だ。

 だが、恐怖を隠すために使った「ビジネス用語」と「管理職の理屈」が、彼らにとって未知のプレッシャーとなった。


3. 冷徹なビジネスマシーン


 部下たちが、シンと静まり返った。

 あのハンスが、脂汗をかいて黙り込んでいる。

 彼らは、俺の顔(特に頬の古傷)と、冷たい目を見比べている。

「(……おい。聞いたか?)」

「(ああ。『元曹長』の威圧が全く通じてねぇ……)」

「(『君が死ぬのは勝手だが、俺の査定に響くのは困る』だとよ)」

「(こいつ、戦争をただの『仕事(ビジネス)』としか思ってねぇ……)」

 俺の「サラリーマン根性」が、彼らの目には**「人の命よりも『成果』と『効率』を優先する、感情を持たない冷酷な仕事人」として映ったようだ。

 

 襟元で風に揺れるスカーフ(トーク)、鋭く輝く銀のリッツェン**、そして陸軍様式の尖った肩章。

 その「こだわり抜かれた古参兵の装い」が、俺の言葉に奇妙な説得力を与えてしまっている。

 俺は手帳を取り出し、胸ポケットから愛用の筆記具を抜いた。

 支給品の鉛筆ではない。

 自費で購入した、**回転式ペンシル(ドレーブライシュティフト)**だ。

 

 黒い樹脂の軸を指先で回すと、**カリカリ……**という微かな音と共に、黒鉛の芯が顔を覗かせる。

 この精密な機械仕掛けの感触こそが、俺の理性を繋ぎ止める精神安定剤だ。

「ハンス二等兵。装備管理不備。……マイナス評価だ。ボーナス(配給のタバコと酒)はカットする」

「! ま、待て! タバコは勘弁してくれ! すぐにやる!」

 プライドの高い元曹長も、「査定(タバコ)」の減額には勝てなかった。

「他もだ。全員、直ちに装備のメンテナンスを行え。万全の状態でなければ現場には出さん」

「は、はいッ! ウンターシャールフューラー!」

 ゴロツキたちが、俺の「業務命令」に従って慌てて動き出した。

 俺は手帳にサラサラと書き込みを入れると、再びペンシルの軸を逆回転させて芯を収納し、パチリとポケットに戻した。

 汚れたハンカチを畳みながら、俺は胸を撫で下ろす。

 (ふぅ……なんとか誤魔化せたか。やっぱり、どこの世界でも『数字』と『査定』の話が一番効くな)

 俺は震える膝をマァシュシュティーフェルの硬い革で隠し、平静を装って次の業務(巡回)へと向かった。

 

 見た目はSSの古参兵。中身はただの営業課長。

 俺の「地獄の赴任生活」は、こうして幕を開けた。

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