【第五章:フィナティピ王国篇】
第10話 『氷壁への道』
雪原はまだ夜の色をわずかに残していた。
陽光が雲を透かして差し始めるころ、三つの影が白い丘陵を越えていく。
風は絶えず流れ、靴跡をすぐに覆い隠す。
まるでこの地そのものが、侵入者の記憶を消そうとしているかのように。
マーカスは魔剣の柄に手をやりながら、雪を踏みしめていた。
「まるで氷の墓場だな。……だが、静けぇのは嫌いじゃねえ。」
そう言って口元を歪め、帽子の影からユーコをちらと見やる。
彼女は凍てつく風に長い髪をなびかせ、少しだけ笑って返した。
「あなたって、本当に変わってますね。こんな寒さの中で落ち着ける人なんて、初めて見ました。」
「氷の下は意外と温かいんだぜ。……火を持つ奴が隣にいれば、な。」
その言葉に、ユーコの頬がわずかに紅を差した。
マーカス自身も、口にしてから僅かに照れくさそうに視線を逸らす。
空気の中で二人の呼気が淡く混じり、曇った一瞬が小さな間となった。
少し後ろを歩くリュゼは、その様子を見ていた。
彼は軽く肩をすくめ、小さく微笑む。
(あの二人……もう気づいていないだけで、惹かれ合っているな。)
彼は風に髪を揺らしながら、心の中で呟いた。
雪の匂いに紛れて、どこか懐かしい温もりを感じていた。
誓士として冷静でいようと努めるが、二人のあいだの空気はどこか柔らかく、彼にとっても心地よかった。
「リュゼ、どうした?」
マーカスの声に、彼はすぐ顔を上げる。
「いえ、少し風の音を聞いていました。……北西の方角、霧が厚くなります。」
「なら、急いだ方がいいな。」
ユーコが頷く。
「封印の欠片が目覚めるなら、氷の結界も乱れているはずです。」
三人は歩調を合わせる。
やがて、地の底から低い唸りが響いた。
氷が軋み、遠くで微かな光が脈打つ。
それは――何かが呼吸をしている音のようだった。
マーカスの指先が魔銃に触れる。
ユーコは祈りの符を胸元で組み、リュゼは腕輪を起動させる。
氷霧の中で槍が淡く光り、聖銀の粒子が風に溶けていく。
その静謐の中、マーカスはふと呟いた。
「……この風の匂い、懐かしい。あの夜を思い出す。」
「昔のことですか?」
ユーコの問いに、彼は短く頷く。
「そうだ。封印の噂を聞いて旅に出た日だ。……こういう風の夜だった。」
彼の声には、かすかな痛みがあった。
ユーコはそれを感じ取り、そっと横に並ぶ。
「その風の中に、今は私たちもいる。……きっと、意味があるのですね。」
「さぁな。でも――今は、それでいい気がする。」
雪の上に、二人の足跡が並んだ。
その少し後ろを、リュゼの槍がきらりと光を返す。
彼の瞳は遠くを見ていた。
氷霧の向こう、ぼんやりと黒い影が蠢く――まるで、何かが待っているかのように。
⸻
【暗黒断章:仮面の男】
氷原から遠く離れた、古代遺構の地下。
黒い円卓の前に、一人の男が立っていた。
顔の半分を覆う漆黒の仮面、肩には深紅の外套。
その瞳は血のように濃い紅を宿している。
「マーカス・ロッティ……また風に名を乗せたか。」
低く笑う声が響く。
「聖銀の系譜、白の巫女、誓士の子……。
面白い巡り合わせだ。今度こそ、“封印”を我がものにしてみせよう。」
彼の背後に黒霧が渦巻き、数体の影が跪く。
「命を。北の欠片を奪い、彼らを試せ。
“血の月”はまだ遠い――だが、種は蒔かねばならん。」
黒い霧が一斉に散り、氷原の方角へ消えていった。
仮面の男はその背を見送りながら、静かに笑う。
「マーカス、また会おう。今度は――お前の“誓い”を壊すためにな。」
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