【第五章:フィナティピ王国篇】
第6話 『リュゼ・アウリステル/北方監視任務』
――氷原の白は、まるで息をするように広がっていた。
風が谷を渡るたび、薄い笛の音が雪壁を撫でていく。
フィナティピ北部の空は高く、光も音も、張り詰めた刃のように澄んでいた。
リュゼは氷防具の襟を整え、左腕に嵌めた聖銀の腕輪を指でなぞった。
金属は液体のようにわずかに揺らぎ、表面の紋が微光を放つ。
それは
「……まだ、静かでいい」
かすかな呟きとともに、腕輪は再び沈黙する。
今は観察だけ――そう聖銀が応えた気がして、リュゼは口元を引き結んだ。
任務は北方の監視。
数里先、旧索道跡の氷層――そこにある“封印痕”の動向を確かめるのが目的だった。
誓士団の掟では、無用の戦闘も干渉も禁じられている。
ただ、観ること。記録し、報告すること。それが務め。
足音が雪を踏み、乾いた音が空へ散る。
風が流れるたび、右腿の蒼印が微かに脈打ち、血潮の奥にまで冷たさが響く。
――封印の欠片が、呼んでいる。
氷原の端、白霧の向こうに古い裂け目が口を開けていた。
近づくと、そこには黒い水晶の欠片が浮かんでいた。
氷でも金属でもない。触れれば凍りつくような冷気が指先を走る。
あたかも、その一点だけ時間が止まっているかのようだった。
リュゼは膝をつき、手袋越しに欠片へ触れた。
瞬間、視界が揺らぎ――氷上に刻まれた古の陣形が淡く灯る。
槍を掲げた誓士たち、封を刻む影。
声は聞こえぬが、確かに伝わってくる。
――“守れ。そして、待て。”
幻視は一瞬で途切れ、欠片は静寂の中に戻った。
リュゼは深く息を吐く。胸奥の蒼印が脈動し、聖銀の腕輪が共鳴する。
「……欠片、か」
呟きは吐息と共に消える。報告を要する――その判断だけが、心に残る。
風が背を撫で、遠くの空に淡い光が瞬いた。
どこかで小さな焔が揺れたような気がする。
――“闇の契約教団(カース・コンヴェント)”、まだ名を口にすべき時ではないが、世界の縁にその影が触れた気配をリュゼは確かに感じ取っていた。
彼は立ち上がり、腕輪を軽く叩いて聖銀を鎮めた。
「……あの二人にも、伝えなくては」
雪風に消える声は穏やかで、だが確かな意思を帯びていた。
歩みを返す。足跡は整然と氷を刻み、やがて白に溶けて消える。
背後で氷の裂け目が静かに閉ざされ、欠片は再び沈黙した。
彼の腿の蒼印だけが、まだ微かに光を放っていた。
――遠方に篝火が二つ、三つ。
街へ戻れば、報告と、あの二人の顔。
そのために、リュゼ・アウリステルは雪煙を蹴った。
《ルーミナス・グレイヴ》は腕輪の形に戻り、静かに彼の脈と呼吸を刻み続けていた。
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