【第三章 :メルツ王国編】

第8話 『目覚めの瞬間』


 静かな光が、薄いカーテン越しに揺れていた。

 マーカスの意識は、深い水底から浮かび上がるようにゆるやかに戻ってくる。


(……ここは?)


 全身に鈍い痛みが残る。だが包帯に包まれた身体は、昨夜より確実に楽になっていた。


 そっと目を開くと、自分のベッド脇の椅子に、ひとりの女性が寄りかかるように眠っていた。


 淡い金髪が頬にふわりと落ち、光を受けて柔らかく揺れている。

 見覚えは……ない。

 昨夜、気を失う直前に見た、あの光の中の影――それと同じだろうか。


 マーカスが小さく息を吸った気配に、女性の睫毛が微かに震えた。


「……んぅ……」


 ほぼ同時。

 マーカスが完全に覚醒したのと、ほんの少し遅れて女性も目を開いた。


 二人の視線が結びつく。


 最初に、驚いたのは彼女の方だった。


「あ……目を、覚まされたんですね……!」


 声は控えめで、しかし深い安心が滲んでいた。

 初対面らしい距離感がある。


 マーカスは声を整え、痛みに耐えながら上体を少し起こす。


「……助けてくれたのは……あんた、なのか?」


「ええ……。傷は深くはなかったのですが……出血がひどくて……

 その……私、勝手に看病を……」


 彼女は視線を伏せた。

 “見知らぬ男の枕元に居た”という恥じらいが、ひどく自然だった。


 マーカスが静かに言う。


「……礼を言う。助かったよ」


 その言葉を聞いた瞬間、ユーコははっと息を呑み、

 椅子から立ち上がると、慌てて深く頭を下げた。


「い、いえ……! 私の方こそ……!」


 声が震えている。

 マーカスは気づいた。

 昨夜、恐怖の極限の中で、それでも彼女だけが震える手で魔法を発動させた――あの姿を。


 ユーコは涙を堪えながら、言葉を続けた。


「私達の方こそ助けていただいて……本当に、ありがとうございました……っ」


 堰を切ったように、頬を伝う涙がこぼれた。


「……あの時……

 あなたの声を、ずっと信じていました……」


 胸に手を当て、絞り出すように語る。


「“助ける”って……“必ず行く”って……

 何度も、何度も……聞こえたんです。

 だから……絶望の中でも……ずっと……っ」


 言葉の最後は涙に飲まれたが、

 それは紛れもない“生き延びた者の安堵”だった。


 マーカスは深く息を吐き、

 初めて、彼女が感じていた重さを理解したように小さく頷いた。


 初めて、その重さを静かに受け止めた。


「……そうか。聞こえていたんだな。俺の声が」


 静かな言葉だった。

 彼がそう口にした瞬間、ユーコの涙が再びこぼれ落ちる。


「やっぱり……あなた、だったんですね……」


 胸に手を当て、震える声で続ける。


 だが、マーカスの胸にはもう一つの疑問が浮かんでいた。

 ――彼女が言う“声”は、牢の前で自分が叫んだ確かな声のこと。

 だが昨夜、意識の底で自分に触れてきた“別の声”も、確かにあった。


 その違和感が形を得るように、マーカスは静かに問いを切り出した。


「……ひとつ、聞いてもいいか?」


「はい……?」


「――ずっと俺に語りかけていた声。

 あれは……あんたなのか?」


 女性は、驚きに瞳を揺らした。

 だが否定はしなかった。


「……直接ではありません。

 ただ……私の意思の“思念”が、あなたと何かの形で繋がっていたのだと思います。

 理由は……分かりません。でも……確かに、あなたに呼ばれているように感じていました」


 マーカスが息を飲む。

 すると彼女は、逆に問い返した。


「……では……私に語りかけていたのは、あなた、なんですよね?」


「俺が……? あんたに?」


 マーカスの困惑は本物だった。

 気付かぬうちに、自分が返していたというのか。


 女性――まだ名前も知らない彼女は、胸元に手を置きながら続けた。


「……私、占星術士でもありますから。

 “誰か”の気配が星みたいに揺れると……近づいて来てるって分かるんです。

 あなたの気配も……ずっと、近くにありました。」


 マーカスは左肩の包帯を少し外し、刻まれた印を見せた。


 調律者封印の刻印。


「……多分、これが……あんたを呼んだんだろう」


 女性は息をのんだ。

 そして、ためらいがちに――頬を少し赤らめながら、言葉を返す。


「……お見せはできませんが……

 私も、胸の中心に “暁光印” を持っています。

 星霊教の巫女の証ですが……とても稀なものだそうです」


「そうか……そんな印を持つ者同士が、こうして出会ったわけか」


 マーカスの口元に、わずかな笑みが浮かぶ。


 今度こそ、彼は手を差し出した。


「まだ名乗ってなかったな。

 マーカス・ロッティ だ。助けてくれて、改めて礼を言う」


 女性は両手をそっと重ね、丁寧に名乗り返す。


「私は……

 ユーコ・クラウス・リップコットン と申します。

 こちらこそ……無事でよかった。出会えて……良かったです」


 こうして――

 声と声で先に繋がっていた二人は、現実の世界でようやく本当の“初対面”を果たした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る