【第三章 :メルツ王国編】

第3話 『影の屋敷へ潜入』


 夜の闇が城壁を覆う頃、マーカスは古い貴族屋敷の影に身を潜めた。

 石畳の路地を渡る冷たい風が、鎧の継ぎ目に息を吹き込む。

 街の明かりはほとんど届かず、屋敷の影は昼間の喧騒から隔絶された異世界のように感じられた。

 風に運ばれるわずかな樹木の香り、夜露に濡れた石の冷たさ――あらゆる感覚が、彼の神経を研ぎ澄ませる。


 五名の白魔導士――すべて女性――が監禁されているとされる屋敷。

 街の噂、地図、監視者の証言を総合し、辿り着いた場所だった。

 しかし、そのうち二人はすでに命を失っており、残された三人の命を救うのは、刻一刻と迫る時間との戦いでもあった。


 マーカスは屋敷の外壁に身を寄せ、窓の隙間から内部を窺う。

 廊下は静まり返り、足音ひとつ聞こえない。

 木製の扉や軒先を撫でる風の音だけが、遠くで反響していた。

 微かに漂う香料の匂いと、湿った石壁の冷たさが、屋敷の古さと不気味さを告げる。

 かすかな水音や、どこかで鳴る小さな金属の響きが、地下に何かが存在することを暗示していた。


 慎重に背の二本の魔剣に手をかけ、マーカスは屋敷内へと足を踏み入れる。

 階段を降りると、湿った空気が肺を満たし、左肩の調律印が微かに熱を帯びた。

 直感が告げる――誰かが、ここにいる。

 冷たい石壁に反響する自分の呼吸の音さえ、今は彼女たちの存在を探る手がかりに思えた。


 地下へ続く細い廊下。石の冷たさが足裏を通して伝わる。

 息を詰めながら前進するマーカスの耳に、かすかな呼吸が重なった。

 三人の女性――恐怖に震えつつも、互いに寄り添い支え合っている。

 微かに聞こえる衣擦れの音や、息の乱れが、彼女たちの緊張を語っていた。


 「……誰かいるのか?」

 低く落ち着いた声が、静寂の中に響いた。

 その声が地下牢の闇に消えないうちに、一瞬影が揺れた。

 濡れた金髪が乱れ、瞳が微かに光を反射する女性が姿を現す。

 胸の奥に微かに既視感を覚えたが、考える暇はない。


 「…ど、どなたですか?」

 「……助けてくれるのですか?」

 震える声にマーカスは静かに頷き、声を落とす。


 「あぁ、あんたらを助けにきた者だ。必ず助ける。迎えに来る」


 その約束が女性の胸を微かに打った。

 しかしまだ、完全な確信には至らない。

 残る二人も怯えた目を伏せつつ、微かに頷く。

 恐怖と混乱の中、信頼の種が短くも確かに蒔かれた瞬間だった。


 マーカスは目を光らせ、廊下を慎重に後退する。

 湿った石壁、古い鉄製の扉、忍び込む影の動き――すべてが彼の感覚に刻まれる。

 調律印の疼きは、遠くで誰かが呼んでいるかのように、静かに反響していた。


 過去に失われた二人の白魔導士のことが、頭をよぎる。

 命を奪われた者たちの無念が、わずかに空気に混ざっている。

 マーカスはその気配を無視できず、胸の奥に冷たい怒りが込み上げた。

 守れる者は守る――この誓いが、彼の足を止めさせはしない。


 地下牢の奥、三人の女性は肩を寄せ、互いに息を整えている。

 暗闇の中で瞳を交わす瞬間、微かな希望が宿った。

 最も落ち着いた眼差しの女性に、マーカスの意識は自然と向く。

 呼吸の奥に響く既視感。胸の奥で微かに震える波動が、運命の兆しを告げていた。


 再び頷き、マーカスは静かに地下牢を後にする。

 階段を上がる音も抑え、冷たい夜風に顔を晒す。

 街路に出た瞬間、星明かりが鎧を照らす。

 左肩の調律印が再び疼き、遠くで誰かが呼んでいるかのようだった。


 胸に刻まれた覚悟は揺るがない。三人の命、そして残された希望を必ず守る


 夜風が鎧を撫で、彼の心を清める。

 影の屋敷の闇は深く、しかし決意の光は確かに彼の胸に宿っていた。

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