【第二章:ファニング王国編】

第9話 『風律柱エアロ・セイヴァー



「試練の余韻」


 幻影体が霧の中へ溶けるように消えたあと、森に静けさが戻った。

 肩の調律印がまだ微かに脈打ち、戦闘の余韻だけが体の内側で波のように揺れている。


(……ここまで来て、引き返す理由はない)


 深い息を一つ吐き、マーカスは森の奥へ視線を向けた。

 幻影体が生まれたということは、その先に――確かに“柱”がある。


 霧の薄れた道を進むと、木々の間から風が抜け、重たかった空気が一気に軽くなる。

 その瞬間、風樹海の巫女リナが姿を現した。


「あなたが……あの幻影を払った調律者なのですね」



「案内者の声」


 リナの声は震えていたが、どこか確信めいてもいた。


「……柱が教えてくれました。ここまで辿り着けたのは、あなたが“あの試練”を越えたからです」


「悪りぃが、案内を頼む」


 短い言葉だったが、リナはすぐに頷いた。


「……はい。風律柱エアロ・セイヴァーはこの先です」


 森が開けた先、その中心にあったのは一本の巨大な“風の柱”だった。

 淡い翠光が螺旋を描き、空へ、樹海の天蓋へと吸い込まれていく。


 煉獄柱イグニス・コアとは違う。

 火ではなく――“風の記憶”が流れている。


(これは……大陸を巡る風そのものか)


 柱に近づくほど、調律印が熱を帯びて脈動した。

 その脈は、まるで心臓がもう一つできたようで、生々しい。


「調律者さま……準備は?」


「もうできている」



「風の記憶に触れる」


 マーカスは深紅と漆黒の魔剣、真紅と蒼光の魔銃を静かに収め、

 両手を柱の光へかざした。


 風が集まり、音が変わる。

 森を満たしていたざわめきが、一瞬で静寂へと“調律”されていく。


 ――調律印が、共鳴した。


 柱の翠光が奔流になって胸へ、肩へ、指先へと流れ込み、

 視界が白く染まる。


(……風が……言葉を持って流れてくる……)


 北の歌、東の歌、西の歌――そこに織り込まれた人の想い。

 数年途絶えていた南の風は、なお静まり返っている。


 その“空白”を縫うように、

 どこからか、ほつれるほど弱い意志が触れた。


 言葉ではない。

 声でもない。


 ただ――名前だけが、確かに届く。


 ――……マーカス。


「……ッ」


 胸の奥が鋭く締め付けられる。

 それは懐かしさでも、痛みでもなく――

 “待っている”という事実だけが、深く、真っ直ぐに突き刺さる感覚だった。


(ユーコ……)


 だが返事をする前に、その残響は風へ吸い込まれて薄れた。



「次なる道の兆し」


 光が収まり、静かに風が巡り始める。


 柱の色が透明に近づき、

 長く滞っていた風の流れがほどけていく。


 リナが息を飲んだ。


「……調律が……終わった」


 マーカスは頷き、肩の印を軽く押さえた。

 刻印は熱を帯びたままだが、先ほどまでの“痛み”ではない。

 力が根付いていく感覚に近い。


「この柱は、しばらく安定して風を戻すはずです。

 ……これで、私たちの森は救われます」


「まだ続きがある。次の柱の気配が、薄く……北に流れてやがる」


 言いながら、マーカスは森の奥へ視線を向ける。

 風の道はもう、彼にだけはっきり見えていた。


(――ユーコも、あちらにいる)


 確信ではない。

 でも、否定しようのない“実感”が胸にあった。


 風が吹く。

 森が揺れる。

 調律された風は、祝福にも警告にも聞こえる不思議な響きを持っていた。


 戦闘の余韻はまだ残っている。

 だが、次の封印へ進むべき流れは確かに生まれていた。


 マーカスは静かに剣を背負い、

 風樹海を後にする準備を始めた。

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