【第二章:ファニング王国編】

第7話  『風樹海の残響、封印の意思』



【静かな森へ】


 風樹海を離れてからというもの、左肩の調律印がかすかな熱を帯び続けていた。

 まるで風の奥へ引き戻そうとするように、脈が打つたび微かな共鳴が身体を震わせる。

 嫌な予感を抱えたまま、マーカスは再び風樹海の深層へ足を向けていた。


 風が鳴き、木々の間を白い霧が流れていた。


 山道を越え、ファニング北端の“風樹海”へ入ったのは夕暮れ前だった。

 背の高い樹々が風を受け、ざわざわと品のない声で囁き合う。光は淡く、森の奥ほど薄闇に沈む。


 マーカスは歩みを緩めた。

 左肩の調律印が、微かに脈を打つ。


 ――ここだ。


 森が、彼を見ていた。


 昼間の山嶺で感じた氷光の余韻が、微かに耳奥をくすぐった。封印の囁きは、もう逃さないと言わんばかりだ。


 帽子のつばを指で押さえ、マーカスは静かに森の中へ踏み入った。



【立ち現れる影】


 樹々の間で、風が――逆に流れた。


 葉が裏返り、幹がきしむ。土がざらりと波打つように振動し、

 そこに、影が“形”を持ちはじめた。


 透明な靄が、輪郭を描く。

 風の流れを束ねたような、人型。


 幻影体。


 声はない。ただ「力の気配」だけが森に満ちる。


 ――試している。


 封印の意思が、彼を量っている。



【調律印、起動】


 幻影体が揺らぎ、風が弾ける。


 瞬間、

 左肩の調律印が熱を帯びた。


 金でも銀でもない、淡い蒼光が皮膚の下から滲む。


 視界の時間が一瞬だけ、伸びる。

 風の流れが輪郭を持ち、幻影体の攻撃の“筋”が見える。


(……読める)


 マーカスはゆっくりと息を吐いた。



【翡翠の武器】


 外套を払うようにして、腰の二本の剣を抜く。

 刃が外気に触れた瞬間――


 刀身に淡い緑光と古代文字が浮かび上がった。


 師匠が保存していた十個の翡翠石。

 それを鍛造し、彼自身の体質が“適合”して魔装となった、唯一の武器。


魔吸剣ソウルイータ


 刃の付け根に浮かぶ古代文字が、脈打つように明滅する。


魔蝕剣イロゥドイータ


 表面に浮かぶ紋が、黒い霧のように揺れた。


 足元の風がざわめき、幻影体が動く。



【開戦】


 幻影体が風を刃に変えて襲いかかる。

 斜めから切り裂くような突風。


 マーカスは一歩、沈むだけで避けた。

 時間の“筋”が見えていた。


 すれ違いざま、ソウルイータを振るう。


 刃が幻影体の身をかすめた瞬間、緑光が吸い込むように揺れた。


 吸収された魔力が腕に回り、身体が軽くなる。


(……悪くない)


 幻影体は距離を取らず、風の奔流と同時に再び迫る。


 マーカスは二本目――イロゥドイータを逆手に取った。


 黒霧が刃を包む。斬りつける。

 触れた部分が“ざらざら”と音を立て、幻影体の魔層が腐食する。


 幻影体の輪郭が乱れた。



【換装】


 マーカスは体を回転させながら、剣を一瞬で腰へ戻し、

 代わりに外套の内側から二丁の銃を抜いた。


 弾倉の側面に刻まれた翡翠文字が淡光し、軽い脈動を送る。


魔血銃ブラッドソウル


 銃口に薄い赤霧が集まり、弾に魔血の気配が宿る。


魔眼銃デッドソウル


 蒼白い光が銃身に沿って走り、霊核貫通の弾が準備される。


 幻影体の姿が風に紛れ、姿を消そうとした瞬間――


「させない」


 ブラッドソウルで一射。


 放たれた弾が霧のように広がり、

 幻影体の“魔血”に相当するエネルギーを吸い上げた。


 幻影体はバランスを崩し、姿が露わになる。


(今だ)


 マーカスは体勢を崩さず、もう一丁――デッドソウルを構える。


 銃身が冷たく震える。

 狙いは乱れない。


 引き金を絞る。


 蒼白の弾が一直線に走り、幻影体の中心――霊核を貫いた。



【終焉】


 幻影体は、風と光に分解され、

 森へ静かに溶けて消えた。


 戦いが終わった瞬間、調律印の発光もふっと弱まる。


 マーカスは深く息をついた。


「……これが、封印の“試し”か」


 風が穏やかに戻り、森が息を吹き返す。

 その静寂の中――


 風の奥から、誰かの声がした。


 かすかな女の声。

 遠く、透明で、呼ぶようで、泣くようで。


 ――来て。


 マーカスは瞼をわずかに動かす。


(……聞こえている。封印も、声も、俺を……)


 帽子のつばを押し、もう一度風の方向を見る。


「進むしか、ねぇな」


 森の奥へ踏み出した足取りは迷いがなく、

 風はその背を押すように流れた。

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