【第二章:ファニング王国編】

第5話 『風を売る町ローヴァンの午後』



【風を運ぶ道、風に運ばれる声】


 風樹海を後にして二日。

 ファニング北部の道は、乾いた草原と丘陵が続いていた。

 風が絶えず吹き抜け、草は波のように揺れ、

 遠くの風車がゆっくりと羽根を回している。


 マーカスは帽子のつばを押さえ、歩みを止めた。

 風が匂いを運ぶ国――ファニング特有の風習が鼻腔をくすぐる。

 香草、粉挽き小麦、蒸した魚……

 そして微かな、霊気の匂い。


「こんなところまで染み付いてやがるのか。森の残滓ってやつは」


『それ、わたしのせいじゃないからね』


 唐突に、白い風の尾が視界を横切った。

 小型の風精霊・フェルナが現れ、ぷいと顔をそむける。


『封印、勝手に鎮めちゃうんだから。森の精霊たち、まだ文句言ってるのよ?』


「文句を言ってるのは……お前だろ」


『べっつに~? ただ、報告しに来ただけ』


 そう言いながら、彼の肩にふわりと乗る。

 軽い、風そのものの重み。


「で、今日は何だ。案内役のつもりか?」


『案内できるのはここまで。風の道まで、だけどね。

 ファニングの風の外には……わたし、行けないから』


 フェルナはすこし寂しそうに首をすくめた。

ふわりと揺れる風の気配が、境界線のように足元を撫でていく。


『寄り道するの、いつも一人だったのにねぇ』


「……慣れねぇよ。誰かと歩くのは」


 そう答えると、フェルナはころころと笑った。

 その軽い笑い声が、草を渡る風と混ざって消えていく。


 マーカスは呆れたように肩をすくめ、丘陵の先へ歩き出す。

 背中に、まだ風の残り香だけがついてきた。



【風を袋に詰めて売る町】


 ローヴァンの市場は明るかった。

 風を捕らえる網や、祈りの風紐。

 香草を束ねて“風の香り”を売る店。

 風を小袋に詰め、「旅路の追い風」として渡す商人。


 ファニングらしい、風と共に生きる人々の風景だ。


「お、旅の兄さん。北へ向かう口かい?

 なら、この“北風袋”持っていくといい。寒風よけだ」


「……風を袋に詰めるってのは、まだ慣れねぇな」


「効くんだよ、これが。ファニングの知恵さ」


 マーカスは軽く笑い、断りもせずに袋を返した。

 その仕草だけで、旅の熟練者だと分かる。


 市場の中央には大きな風車塔がそびえており、

 塔の下では子供たちが風笛を鳴らして遊んでいた。


『ね、やっぱり寄り道好きじゃん』


「道の確認だ」


『はいはい、言い訳~』



【風のざわめき】


 露店の奥に、古い風占い師の老婆が座っていた。

 風を読むことを生業とする者――ファニング特有の職だ。


「……そなた。風が、ざわついておるのを感じぬか?」


 マーカスは振り返り、静かに答えた。


「森で見た。揺れてるのは……風のせいじゃねぇ」


「その目。

 ……“誰か”の声を追う旅人だな?」


 老婆の言葉に、マーカスは目を細めた。

 だがそれ以上は答えず、帽子のつばを軽く触れて去った。


 フェルナが小声でつぶやく。


『ねぇ、マーカス。風が……ほんとに変だよ』


「分かってる」



【小さな風の救助劇】


 突風が吹き、市場がざわついた。

 風車塔の上に登っていた子供のひとりが、

 強風に煽られて身動きできなくなっている。


「降りられないよー!」


「危ない! 誰か――!」


 群衆が騒ぎ、親の声が悲鳴を帯びる。


 マーカスは無言で塔へ向かい、

 足場の位置と風向きを一瞬で読み取った。


 強風の周期。

 塔の揺れ。

 子供の体重と位置。


「……よし」


 彼は塔を駆け上がり、風を割るように手を伸ばす。

 突風が来る直前に子供の腕をつかみ、

 身体を盾にして風を受け止め――

 そのまま地上へと軽やかに跳び降りた。


「ほら。もう風は怖くねぇ」


 子供は泣きながら頷き、母が深く礼をした。


「旅人さん、本当にありがとう……!」


「気にすんな」


 短く答えただけで、マーカスは背を向けた。


 祖母らしき老婆が駆け寄り、

 掌に小さな風石を載せる。


「これを……持って行っておくれ。

 風を鎮めるブリーズ・チャームじゃ」


 マーカスは一瞬ためらい、

 だが素直に受け取った。


「預かっとく」



【氷光の呼び声】


 夕刻、ローヴァンの丘で野営の支度をしていると、

 空気が突然、温度を失った。


『……来た』


 フェルナが震えるような声で言う。

 同時に、左肩の調律印(刻印)が、微かな光を返した。

まるで、遠い封印と呼応するかのように。

 北東――メルツの方角から、

 細い氷光が走る。


 封印核が揺らぎ、呼んでいる。


「……また、あの声が揺れた。

 どこかで、俺を呼んでやがる」


 マーカスは立ち上がり、

 風を背に、北東へ視線を向けた。


「待っていろ。

 風の向こうで、必ず会う」


 風が彼のコートを押し、

 旅路の先を指し示すように吹き抜けていった。



【風は道を開く】


 風を背に、光を胸に歩む者。

 風が運ぶのは、遠い声か、未来の兆しか。

 いま、封印は揺れ、

 旅人の影が風車の丘に伸びていた。


──詩篇「風を継ぐ者」より

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