【第二章:ファニング王国編】

第4話 『風樹の道標』



【森の縁(ふち)に漂う呼び声】


 森の奥へ進むほど、空気は澄み、風は細く鋭くなっていった。

 風狼ゼフィール・エコーとの戦いで残った残響の名残が、まだ枝葉の影に潜んでいる。


 マーカスは歩みを緩めず、ただ耳だけを澄ませていた。

 風の調べが、どこか遠くでかすかに揺れ、まるで呼び声のように彼を誘う。


 ――声は、まだ言葉にならない。

 だが確かに、自分を必要としている意志がある。


 それだけは、間違いなかった。



【風樹の広場】


 やがて森が開け、円形に石が並ぶ広場へと辿り着く。

 中央には風をまとった一本の大樹――“風樹”と呼ばれる古代の信仰遺構が静かに立っていた。


 風樹の幹には古い溝が刻まれ、まるで風そのものが記した譜面のようだ。

 かつて祈祷師たちはここで封印詠唱を交わし、大陸の風の流れを整えたという。


 「……まだ眠ってるな」


 マーカスは樹皮に触れた。

 ぬくもりも冷たさもない。ただ、深く沈んだ鼓動がそこにある。


 封印は目覚めていない。

 それはつまり――まだ世界の乱れは本格化していないということでもあった。


 しかし同時に、

 誰かが風を揺らしはじめている

 という嫌な予感もあった。



【封印のざわめき】


 風樹の根元に、半ば埋もれた石碑がある。

 欠けた文様の間から、微かに文字が読み取れた。


 ──旅人よ、聴き取れ。

 ──封印は目覚めを待つ。


 白く欠けた部分の多い碑文だが、読み進めるほどに胸の奥がざわつく。


 風に乗って、またあの微かな気配が囁いた。


 《……まだ……ま……》


 女性とも少女ともつかない声。

 距離も、姿もわからない。ただ――急いでと訴えている。


 マーカスは周囲を見回した。

 森は静かで、風樹の枝葉がわずかに震えているだけだ。


 「焦るな。俺は行く。……必ず辿り着く」


 誰に聞かせるでもなく、静かに言葉を落とす。



【道標の欠片】


 と、そのときだった。


 風樹の根の隙間から、

 “音”がひとつ跳ねた。


 金属でも石でもない、しかし確かな硬質の響き。

 しゃがみ込んで掘り出すと、小さな“風の欠片”が現れた。


 透明に近い青い結晶で、封印の共鳴を最低限だけ蓄えるためのもの。

 古い封印そのものが、次に来る者へ示す“道標の欠片”だ。


 「……導く気はあるらしいな」


 マーカスは結晶を手のひらで転がし、そっと懐にしまう。

 これはまだ鍵ではない。

 だが、封印の“側”がマーカスを選んでいる証でもあった。



【北へ伸びる風】


 風樹の広場をあとにし、森を抜ける坂道へと歩みを移す。


 空は高く、雲は薄く引き伸ばされ、季節はすでに初夏へ向かい始めていた。

 鳥の翼が風を裂き、遠く山影の向こうへ消えていく。


 その景色を見つめながら、マーカスは帽子のつばを軽く押さえた。


 ――あの声は誰だ。


 心の奥で問いが繰り返される。


 まだ姿を知らない“誰か”。

 名だけが、風の合間に聞こえている気がする。

 しかし確信に変わるほど鮮明ではない。


 ただ、

 その声が彼の旅路を導いているのだけは確かだった。


 風が、また微かに吹いた。


 前へ進め、と押すように。


 マーカスは息を整え、山道を降り始める。

 封印の気配は、北へ伸びる風の流れに溶けていた。


 旅は続く。

 まだ調律は始まっていない。

 世界の旋律が本格的に乱れる前に、彼はその核心へ向かわねばならない。



【封印詩断章:風の典礼】


 ……風よ、囁け。

 眠りの奥より、かすかな声を。

 均衡はまだ揺らぎ、

 調和の旋律は途切れたまま。


 旅人よ、聴き取れ。

封印は目覚めを待ち、

 世界の息吹とともに再び響かん。


──風樹の遺跡・石環残碑より

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