【第二章:ファニング王国編】

第1話 『風樹海の呼び声』



【風と記憶の祈り】


― 風祈殿・暁翠の回廊 ―


―風よ、語れ。

 森の根を抱く封印の歌を。

 まだ眠る光を解く者が、今ここに歩み出す。


―我ら、見守る。

 風の子らが呼び交わす名を。

 その名こそ――ロッティ。

 マーカス・ロッティ。



【ファニングへの道すがら】


― 風祈殿・樹海の縁 ―


 朝。

 薄靄のかかる丘陵の向こうに、青翠の海がうねっていた。

 それは木々ではなく、“風そのもの”が形をとって揺らめく 風樹海(ふうじゅかい)。

 呼吸する森と呼ばれ、ファニング王国の象徴でもある。


 マーカスは背負った荷を整え、靴底の泥を軽く払いながら見上げた。

 霧を透かした光が森冠を金色に染めている。


 旅は静かだが、孤独ではない。

 風がずっと隣にある。

 耳の奥で、ときおり囁きのように震える。


 “……聞こえるか。森が、封印を嘆いている。”


 ブローグンを出て五日目。

 街道沿いの外郭都市〈ルルド・ファニカ〉へ辿り着く。

 ここは風樹海の西端を護る風祭の町。

 風信仰の神殿、風車塔、風笛の音色が一日中響いていた。


 市場では白と翠の布衣をまとった娘たちが舞い、

 風笛の澄んだ旋律が祈りのように空へ昇る。

 その音はまるで、旅人の影を抱き寄せるようだった。


「風樹海に入る道はどこだ?」


 マーカスは行商の老人に声をかけた。

 風笛にかき消されそうな老人の声が返る。


「封印の森へ……? 今は 風鳴り病 が出ておる。

 森へ入った者が、帰ってこんのだ」


 マーカスは短く頷き、腰の魔剣ソウルイータを確かめた。


「……なら、確かめてくるだけだ」


 老人の皺だらけの手に、銀晶貨シルバール三ウルスを置く。

 光が貨面に踊り、老人が大きく目を丸くした。


「旅の人、そんな大金……」


「風の導きには、礼が要るのさ」


 軽く笑い、マーカスは森の方へ歩き出した。



【呼び声】


― 樹海境・風鳴りの道 ―


 午後。

 風樹海の入口。


 樹々の葉が微かに震え、森の奥から声が響いてきた。

 風が形を取ったような音――

 だが、それは人の声にも聞こえる。


「ロッティ……マーカス……」


 足が止まる。

 冷たい風が頬を撫でた。

 その声は、明らかに“彼を知っていた”。


 封印が、彼を呼んでいる。


 そっと目を閉じ、低く呟く。


「俺を呼ぶなら――理由を聞かせろ」


 次の瞬間、森奥で風が爆ぜた。

 枯葉が渦を巻き、白銀の光柱が立ち上る。

封印結界が、誰かの接近に反応していた。


 マーカスの瞳が紅く揺らめく。

 魔力の波が空気を震わせ、

 《ソウルイータ》が低く共鳴した。


「……封印が、揺らぎ始めてる」


 風を切り裂きながら、彼は森へ踏み込んだ。



【森が抱く記憶】


― 樹海深層・風紋の径 ―


 風樹海の内部は、まるで音が生きているかのようだった。

 葉擦れ、枝鳴り、土の呼吸――

 そのすべてが重なり合い、ひとつの旋律を奏でている。


 その音の奥から、微かな女性の声が届いた。


「……マーカス。貴方が来てくれると、思っていました」


 マーカスは立ち止まる。

 周囲には誰もいない。

 だが、確かに声だけが届いていた。


(……ユーコ?)


 一瞬胸がざわめくが、すぐ否定する。


(違う。これは……封印に囚われた“誰か”の声だ)


 風が光を運び、鳥の声が遠くで震えた。

 その瞬間、森のさらに奥で大きなうねりが走る。

 魔力脈動が地の底で重く胎動していた。



【封印の胎動】


― 樹海心臓部・蒼紋の間 ―


―風の封印、揺らぐ。

 世界は、また一つの扉を開こうとしている。


 マーカスの外套が大きく翻る。

 瞳はすでに戦士の光を宿していた。


「なら――見届けるさ。

 風が何を守り、そして何を恐れているのかを」


 足元に風紋が広がる。

 蒼い光糸が絡まり、封印陣が浮かび上がる。


 ファニング王国の大地は、

 今まさに――“覚醒”の呼吸を始めていた。

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