【第一章:ブローグン王国編】
第8話 『封印の森レグナ・トルクス』
朝靄を縫って進むうちに、森の輪郭がゆっくりと黒へ傾いていった。
王都から北東三十里――古記にのみ残る“空の破片”が堕ちた地。
そこは〈封印の森〉と呼ばれ、人々が地図に“空白”として残す場所だ。
マーカスが一歩踏み入れた瞬間、空気がざわりと震えた――封印の力が目覚め、森そのものが息をひそめるかのように。
魔力の流れが逆巻き、森の奥ほど“何かの呼吸”が濃くなる。
黒曜石の幹。青白く瞬く燐光――第一封印柱の残響が森を伝うかのようだった。
苔に沈む石板が一本道のように連なり、まるで“誘導”するようだ。
「……案内してくれるつもりかよ」
軽口を返したが、返事代わりに森の奥で低音が脈打つ。
鉄と土、そして血の匂い――封印が“起きている”匂いだ。
マーカスは剣を抜く。
刻まれた魔紋が赤く脈動し、《ソウルイータ》が黒靄を吐く。
魂を喰らう剣が、瘴気の濃さに興奮している。
「……まだ我慢しろ」
言った瞬間、大地が沈むように震えた。
森を割って影が起き上がる。
人型――だが溶け、歪み、形を保つたびに“空間が軋む”異形。
封印が持つ防衛意識〈虚無を刻む影〉。
記録では、“第一調律層の残滓”。
影が咆哮した。
魂を削るような衝撃で、木々が身をすぼめた。
空気が金属音のような悲鳴で満たされる。
「初戦でこれか……悪くねぇ」
影が一歩踏み出した瞬間、地面がえぐれた。
腕を振りかぶる動きだけで、森の靄が弾け飛ぶ。
質量を無視した速度――だが、マーカスもまた地を蹴った。
黒影の拳が地を貫く。
石板が砕け、破片が弾丸のように飛び散る。
マーカスはその破片を踏み台にし、影の肩へ跳び込んだ。
「魂を喰らい、我を満たせ――
【魔吸剣解放〈フェイズ・ワン〉】!」
《ソウルイータ》が深紅に燃え上がる。
斬撃が光の線となり、影の肩口を裂いた――が。
裂けたはずの影が、瞬きの間に“閉じた”。封印の防衛意識が、魔力の流れを瞬時に修復したのだ。
闇そのものが縫い合わされるような、理不尽な再生。
「……厄介だな」
影の腕がしなる。
振り返るより早く、衝撃波が走った。
マーカスは剣を盾のように構え、衝撃を斜めに受け流す。
腕がしびれ、肩が悲鳴をあげる。
距離を詰めた影が再度拳を振るう。
その拳は当たらずとも“気配だけで”肉を裂く――本来なら避けられない攻撃。
だが、マーカスは受けにいった。
「……喰わせてもらう!」
拳が左腕を掠め、血が散る。
同時にその“衝撃の一部”を《ソウルイータ》が吸い、内部で魔力へ変換する。
赤い光が、刃の内部で渦を巻いた。
マーカスの足元から圧が立ち上がる。
斬撃が、二撃、三撃、四撃――
影の再生が追いつかない速度で叩き込まれていく。
ついに影の胸部が割れ、虚空のような光があふれ出した。
「……そこが核かよ」
剣を深く突き立てる。
影全体が悲鳴を上げ、黒煙となって霧散した。
黒煙が消えると共に、そこにあったのは――
十メートルを超える結晶柱、〈第一封印柱(レグナ・トルクス)〉。
七つの紋章が螺旋に刻まれ、中心の紅珠が脈打つ。
まるで“心臓”そのものだ。
だが一歩踏み出した瞬間、空気の密度が急激に変わった。
足が沈むように重くなる。
地面が変化したわけではない。
空間そのものが圧を帯び、前へ進むことを拒む。
結晶柱の周囲――半径五メートルほどの空間が、ゆがんだ“回廊”のように折り重なり、距離を狂わせていた。
踏み出しても柱との間合いが縮まらない。
逆に魔力がじわりと吸われる感覚が腕に走る。
「……これが“本体の守り”ってわけか」
回廊は気配の薄い“結界”ではない。
侵入者の魔力を測り、強度を調整してくる“自律機構”。
世界の防衛装置――その名の通りだった。
マーカスが手を伸ばした瞬間、《ソウルイータ》が強く共鳴する。
胸の奥で声が響いた。
―――「それを解く時、世界は再び廻る。」
――夢で聞いたユーコの声が、封印の律動に共鳴している。
その刹那、柱の紋章が淡く光り、
空中に七枚の“封印紋”が展開した。
次の瞬間――
光の刃 がマーカスの足元へ叩きつけられる。
石土が抉れ、遅れて衝撃波が背へ抜ける。
「反応攻撃までしてくるのかよ……!」
さらに二撃、三撃。
光刃が軌道を変え、身体の魔力の流れを乱しにくる。
膝がわずかに沈む。
だがマーカスは一歩踏み込み、切り払った。
光の拘束紋が砕ける音が森に散る。
「導きなら乗るさ……会ったことねぇ女だけどな」
剣を封印柱――《イグニス・コア》へ突き立てる。
刃が触れた瞬間、逆流が走った。
柱が最後の抵抗のように魔力を吐き出し、
それが腕を通じて全身へ叩きつけられる。
視界が白く弾け――
だがマーカスは踏みとどまり、力で押し返した。
光と闇が爆ぜ、森を貫く轟音。
結晶が砕け、紅珠が蒼光をまとう。
――封印が、解かれた。
七色の光鎖が天へ伸び、世界の律が一瞬だけ音を違える――封印の力が解かれ、次の封印へと波紋を広げていく。
その光を見上げ、マーカスは息をついた。
「……一つ目だ」
砕けた封印片が風に溶ける。
その中に、再び声があった。
―――「ありがとう、マーカス。私は……その先で。」
「……夢だけじゃなかったか」
風が止み、朝の光が森に降り注ぐ。
静寂が戻った封印の森を背に、マーカスは歩き出した。
次の封印へ――物語は、ようやく動き出したばかりだ。
⸻
◆◆◆ 章末詩 ◆◆◆
霧の森に沈む光は
七色の輪郭を描き
まだ見ぬ世界の律を揺らす
足跡は風に溶け
声は樹の間に潜む
だが胸に刻まれた鼓動は
確かに前へと誘う
七つの封印、旅は始まった
静かなる祈りは
刹那の光に導かれ
闇を裂く蒼の刃となる
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