【第一章:ブローグン王国編】
第6話 『師匠の選択』
《後半》
《青年期完結編》
痛みは、波のように襲った。
焼けるでも、切られるでもない。
――引かれている。
何かが、左肩の奥で糸を巻き取るように、自
分を“向こう側”へ連れて行こうとする。
――まるで、遠くの封印柱の振動に呼ばれる
ように。
マーカスは作業台に手をついた。
息が荒く、膝が震える。
床に落ちた鉄片が、かすかに転がる音を立てた。
「……ッ、また……!」
声にならない呻き。
痛みの底には、かすかな呼び声――いや、“願い”のような響きが混じっている。
拒めない。
抗えば裂ける。
そんな危うい感覚。
その瞬間。
ガチャ、と扉が開く。
「マーカス!」
駆け寄る影。
ドレイアスだった。
彼は一目で状況を悟ったのか、何も言わずにマーカスの肩を抱え、炉から離れた壁際へ座らせた。
その手は強く、しかし震えていた。
「……師匠、これ……どういう……」
言い切る前に、痛みがひとつ強く跳ねた。
息が詰まる。
視界が白く揺らぐ。
ドレイアスは歯を食いしばるように、肩へ手を押し当てた。
「……もう時間がねぇのか、“印”よ……」
その言葉は、誰に向けたものなのか。
マーカスか。
印か。
あるいは、もっと別の“何か”に。
◇
ややあって、痛みが引いた。
マーカスは肩で息をしながら、壁にもたれ掛かる。
ドレイアスは静かに立ち上がり、炉の消えた赤を見つめた。
背中越しに、低い声がした。
「……お前の印は、ただの傷じゃねぇ。
生まれの頃から決まっていた“役目”だ」
マーカスは目を伏せる。
その言葉を、ずっと聞きたくなかったような、
ずっと待っていたような気持ちで。
「役目って……なんだよ」
ドレイアスは答えず、小さく息を吐いた。
「全部は言えねぇ。
言ったら、お前は“選べなくなる”。
本当にその時が来るまで、お前は自由でなきゃならねぇ」
その諦念の混ざった声音に、
マーカスは胸の奥がざわりとした。
「師匠、俺は――」
言いかけたとき、師匠の声が重ねた。
「マーカス。
……封印の力を破る者は、また新たな封印の鍵ともなる――遠くの封印と呼応することもある」
その一言で、空気が止まった。
それはまるで、古い遺跡の扉が、低く軋みながら開く音のようだった。
「“封印の鍵”? 俺が……?」
「違う。
お前が“選ぶ”んだ。
破るのか、守るのか。
その先で何を失い、何を救うのかを」
ドレイアスは振り返った。
その瞳の底には、長い年月を越えてきた者だけが宿す静かな恐れがあった。
「お前の“印”は、いずれ誰かの命を救う。
だが同時に、お前から何かを奪う。
その時――選べ。
何を守るかを」
胸の奥で、何かがひとつ落ちた。
それはすぐ拾えないほどの重さだった。
◇
その翌け方。
師匠は荷をまとめ、店の前に立っていた。
予感はあった。
それでも現実を前にすると、胸がひりついた。
「どこへ行くんだよ」
「ちょいと、やることがある」
マーカスは拳を握った。
「印のことか」
ドレイアスは答えず、ふっと目を細める。
「マーカス。
お前はもう、一人で鍛冶屋を回せる。
腕も気持ちも……立派になった」
その声には、誇りと、別の何か――
痛みのようなものが混じっていた。
「……俺は、まだ、何も知らない」
「だからこそ行くんだよ。
“知る時”はお前にも来る。
その時に、お前は俺の教えより自分自身を信じろ」
荷を肩に担ぎ、ドレイアスは歩き出す。
朝の光が背中を覆い、彼の輪郭を曖昧にする。
マーカスは呼び止めた。
「師匠! 俺は……どうすればいい!?」
返ってきたのは、一言だけだった。
「――迷ったら、鍛て(きた)え。
刃も、心も同じだ」
それだけ言い残し、ドレイアスは街路の先へ消えた。
◇
静まり返った鍛冶屋に、朝風が吹き込む。
炉は冷えたままだった。
だがマーカスは、火を起こすことを選ばなかった。
代わりに、左肩に触れる。
印は微かに脈を打ち、遠いどこかで星が揺れた気がした――それは、この国だけでなく、世界のどこかの力の揺らぎを映しているようだった。
――奪われるもの。
――救えるもの。
――選ぶ時。
胸に去来する言葉は、まるで誰かの呼ぶ声のようだった。
その声は、近い未来に訪れる“黎明”へと続いていく。
『静謐の黎明』へ――。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます