【第一章:ブローグン王国編】
第3話 『山の声』
《少年期》
―黒樹の森の縁で、
少年は名のない言葉に触れる―
⸻
山は、朝から重い雲を抱えていた。
風が湿っていて、工房の火もどこか眠たげだった。
そんな日に限って、ドレイアスは早起きだ。
「今日は山に入る。鉱脈が動いた。材料を見ておきたい」
それが、彼の言葉すべてだった。
「僕もついていっていい?」
聞く前に、彼はすでに歩き出していた。
それが、許しの合図だった。
⸻
山道は、街の喧騒とは違って静かだった。
土の匂いと、黒樹(こくじゅ)の森の冷たい影。
黒樹は、この国の古い言い伝えにある“封印の森”の名残だと聞いたことがある。
けれど、誰も深く気にしていない。
ただ、近づくと寒い――それだけが街の人の共通認識だった。
「師匠。黒樹って、どうしてこんな色してるの?」
「……昔、火が通った。だが燃えなかった木だけが残った」
「燃えなかったの?」
「ああ。だから黒いまま、生き続けている」
その声には、どこか遠い記憶をなぞるような響きがあった。
“知っている”というより、“知りたくなかった”ものを語るような。
僕が質問を続けようとしたとき――
風がひゅうと鳴って、森の奥から低い響きが返った。
それは風の音とは違った。
土の底から喉を震わせるような、鈍い響き。
「……師匠、今の音……?」
「気にするな」
そう言う割には、ドレイアスの足が一歩だけ止まっていた。
⸻
鉱脈を確認したあと、帰り道。
黒樹の陰の向こうに、奇妙なものが見えた。
「師匠、あれ……石?」
半分土に沈んだ石。
だが、それは自然の石ではなかった。
人の手で削られた、確かな“形”があった。
――石碑。
無数の苔が覆っているが、中央だけは妙に清浄だった。
まるで、そこだけ誰かが触れていったように。
僕が近づいた瞬間――
左肩の印が、かすかに脈打った。
びくりと止まる。
熱はまだ弱い。
けれど、“呼ばれた”感覚は確かだった。
「師匠……これ……」
振り返ると、ドレイアスの顔が陰を落としているのがわかった。
怒りでも困惑でもない。
もっと深い、重い感情。
彼は僕と石碑を見比べ、低く呟いた。
「……やっぱり、ここか」
短い言葉。
だが、その中に“確信”と“恐れ”が混ざっていた。
「師匠……知ってたの?」
「知ってはいない。ただ……予感はあった」
その目は真っすぐ石碑を見ていた。
「この国のどこかに、お前の印と同じ“気配”を持つ場所がある……とな」
その言葉の意味を理解できなくても、
胸にざらりとしたものが積もるのを感じた。
印がまた、弱く光る。
石碑の中央と、かすかに呼応する。
ドレイアスは僕を手で制し、石碑の苔をそっと払った。
そこに刻まれていた文字は、ほんの数行だった。
――ゆらぎの星を聞く者へ
道は未だ閉ざされ
声は未だ幼し
だが、いつか必ず
“歩む者”がこの門を開くだろう
誰の名も書いていない。
いつの時代の石碑かもわからない。
なのに、その言葉は真っ直ぐ胸の奥に沈んでいった。
意味はわからないのに、なぜか――
これは自分に向けられた言葉だ。
そんな錯覚があった。
「……歩む者って、誰?」
気づけばそう呟いていた。
風が黒樹を鳴らした。
返事はない。
けれどドレイアスは、その瞬間だけ肩を震わせるほど表情を動かした。
「……お前だよ、マーカス」
「え……?」
「だが、今はまだ聞かなくていい。
あの言葉を理解するのは――もっと先だ」
彼は石碑から僕を離し、森の奥をじっと見つめた。
未来を知る者のように――まだ誰も知らぬ
道を、目だけは確かに追っていた。
その奥には、まだ誰も知らない“何か”が眠っている。
その名はまだ誰も知らない。
ただ、少年の印だけが、その存在を微かに感じ取っていた。
だが、この印を持つ者は、古より世界の秩序を揺り動かす“道標”と繋がる――と、後に知ることになる。
石碑の刻文は、静かに風に揺れた。
――いつか必ず、“歩む者”がこの門を開く。
その日、印を持つ者の力が、封印の均衡
を揺るがすことになるのだと、誰もまだ知
らない。
その言葉は、まだ幼い心に深く刻まれた。
それが、この国の封印を開く旅の“最初の呼び声”だった。
⸻
◆◆◆ 章末詩 ― 黒樹の影にて ◆◆◆
名なき石は語らず
声なき声だけが残る
幼き印はただ震え
森はただ見つめる
その者が歩む日を
まだ知らぬ未来へ向けて
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