【第一章:ブローグン王国編】
第4話 『鋼の誓い』
《少年期完結》
―不穏のはじまり―
───
風は、山々をめぐりながら冷えを深くしていた。
季節が境を越えるとき、リボルバーキャノンの炉は気まぐれに呼吸を乱す。
火は揺らぎ、鉄は硬さの質を変え、鍛冶の手つきはわずかな誤差すら許さなくなる。
そんな日の作業は、どうしても上手くいかない。
マーカスは、自分の打った鍛錬用の短剣を見つめていた。
形は整っている。だが芯が、どうしても通らない。
「……なんで、こうなるんだよ」
火を追えば火は逃げる。
鉄を読めたら、きっと違うのに。
少年にはまだ届かない領域だった。
「焦るな」
背から落ちる声は、炉の低鳴りよりも重い。
ドレイアスが、鉄粉まみれの手でマーカスの肩を掴む。
「お前が火を追うと、火は臆病になる。
火の方から寄って来るまで、てめぇは立って待つんだ」
「……うん」
悔しさに眉を寄せる少年を見て、
ドレイアスは珍しく微笑した――山影がほころぶような、ほんの一瞬の表情。
「悪くねぇ。ちゃんと強くなってる。
あとは……余計な雑音さえなきゃな」
「雑音?」
問い返したその刹那――
――どん、ごん、ごごん!
街の広場で、警鐘が乱れるように打ち鳴らされた。
工房から飛び出すと、空気がざわめきで震えていた。
鍛冶師も、行商人も、旅人も、皆が同じ方角を見て囁き合っている。
「……聞いたか? 封印の向こうで“揺れ”があったってよ」
「星の線も震えとるらしい。星読みが言っとった」
「黒い影が街道を横切ったって奴もいたぞ。
“調律者の影”を、だ」
マーカスは息を呑んだ。
調律者――古文書に刻まれていた言葉だ。
「影って……本当に?」
「さぁな。ただ、良い前触れじゃねぇ」
ドレイアスは、噂話の細部に耳を澄ませている。
普段なら鼻で笑うような話だというのに、表情は固く沈んでいた。
――師匠は、この揺れを知っていた?
――それとも、この噂を“恐れている”?
胸の内に、不安の形が芽を落とす。
「黒樹の森の方でも、夜に赤い光が揺れたってよ!」
「最近あの森、おかしいよな……やけに静かで……」
マーカスの背筋が冷たくなった。
あの森には――石碑がある。
調律印に呼応した、あの厳かな沈黙の場所。
ドレイアスは、ほとんど聞こえない声で呟いた。
「……呼び合ってるってのか」
「師匠?」
だが男は短く首を振る。
「なんでもねぇ。戻るぞマーカス。
鉄を寝かせっぱなしにしとくと、火がすねる」
その声音には、隠しきれない焦りがあった。
⸻
夜。
工房の灯りが落ち、街のさざめきが薄れてゆくころ。
マーカスは棚の前に立っていた。
――古文書。
封印の夜からずっと閉じられたままの、あの本。
触れてはいけない。
開いてはいけない。
わかっているのに、胸の奥でざわざわと何かが騒いでいた。
今日の噂は、本と関係があるのかもしれない。
あの石碑と、星の震えと、影の話が、どこかでつながっている気がして仕方がない。
手を伸ばしかけた、そのとき。
「マーカス」
名を呼ぶ声が、背から落ちた。
振り返ると、ドレイアスが闇の中に立っていた。
火の色ではなく鉄の冷光を宿した横顔で。
「その本は……まだ、お前の時じゃない」
「でも……封印の向こうで揺れがあったって……
星の線も震えてて……影を見たって……
なんか、全部……」
言いながら、胸の奥がひどく苦しくなった。
何かが迫っている。
それだけは分かるのに、形はまだ見えない。
だが――未来、中央大陸の秩序を揺るがす力と呼応するものだと、後に知ることになる。
ドレイアスはそっと棚に手を置き、言葉を溜めた。
「マーカス、お前は……」
言いかけて、噛みしめるように沈黙する。
火の残滓すら響かない沈黙。
炉の奥の鋼が冷えていくような、長い、深い間。
「……いや。まだ早い」
その声音には、恐れとも覚悟ともつかない響きがあった。
「いつ……教えてくれるの?」
「……お前が“選べる”ようになった時だ」
意味はわからない。
だがドレイアスの目は、ただの鍛冶師のものではなかった。
男は本に背を向けると、言った。
「鍛冶はな……守りたい奴のためにある。
火を扱うってのは、命を扱うのと同じだ」
「……俺、強くなれるかな」
震える問いに、
大きな背中はわずかに笑った。
「なれるさ。
お前は鍛冶師としてだけじゃなく――
もっと先の何かになれる」
――封印の道を歩む者として、世界の秩序に
触れる日が来る、そういう意味も含まれているのだと、少年はまだ知らない。
その言葉が、少年の胸を静かに貫いた。
理由はわからない。
でも、生涯忘れない言葉になった。
その夜、マーカスは
初めて、自分の意思で「強くなりたい」と思った。
その思いが、封印の縁へと導く軌道になることを――
まだ知らずに。
⸻
◆◆◆ 章末詩 ◆◆◆
揺らぐ火よ、揺らぐ星よ。
少年の胸に宿るものは、なお名を持たず。
ただ静かに、未来の影を照らす。
封印の向こうで震えたものは、
風か、光か、あるいは――呼び声か。
その呼び声は、未来の大陸間調律へとつながる軌道の始まり。
やがて彼は知るだろう。
火を鍛つ手が、運命の門を叩く日を。
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