第4話:【ルナ視点】雪山の体温と固いパン
(ルナ視点)
それは、まだ私がSランク冒険者と呼ばれるようになる少し前、冬の「白銀山脈」でのことだった。
猛吹雪の中、私たちは遭難していた。 予期せぬホワイトドラゴンの襲撃を受け、パーティーは散り散りになった。私はリーダーのユリたちとはぐれ、逃げる途中で魔力を使い果たし、雪の中に倒れ込んだ。
手足の感覚がない。 視界が白く染まっていく。 ああ、私はここで死ぬのね。 天才魔法使いともてはやされた私の最後が、こんな冷たい雪の中だなんて。
「……おい、起きろ。寝たら死ぬぞ」
誰かが私の頬を叩いた。 薄目を開けると、そこにはパーティーの荷物持ち、ナオトがいた。 彼は私の倍以上の荷物を背負いながら、息を切らして私を見下ろしていた。
「置いて……いきなさい……。私はもう……歩けな……」
「馬鹿言うな。お前の装備、いくらすると思ってるんだ。ここでロストしたら大損害だ」
彼はそう言うと、雪洞(せつどう)を掘り始めた。手慣れた手つきで人が二人入れるだけの空間を作り、私を乱暴に押し込む。 そして、彼は自分が着ていた厚手のコートを脱ぎ、私に被せた。
「な……貴方が凍え……」
「俺は動いてたから暑いんだよ。いいから着てろ」
嘘だ。彼の唇は紫色に変色し、体は小刻みに震えている。 彼は私の隣に座り込むと、自分の体を私に密着させた。 冷え切った私とは違う、生々しい体温。 彼は私の手をこすり、背中をさすり続けた。
「食え。体温を上げるにはカロリーが必要だ」
彼が差し出したのは、カチコチに凍った黒パンだった。 私の顎はガチガチと震えて、噛むことさえできない。 それを見た彼は、ため息をつくと、パンを自分の口に含んだ。 そして、ガリ、ゴリと音を立てて噛み砕き、唾液で柔らかくしてから、私の口に指で押し込んできた。
「汚いとか言うなよ。今は選り好みしてる場合じゃない」
甘かった。 泥のような味の黒パンが、彼の体温と共に喉を通っていく。 彼は自分の分を食べることもせず、残りの食料をすべて、そうやって私に与え続けた。
「……なんで……私は、貴方に……ひどいことばかり……」
「うるさい。喋るな、体力の無駄だ」
彼は私を抱きしめる腕に力を込めた。
「死ぬなよ、ルナ。お前が死んだら、俺の評価も下がる。パーティーの戦力が落ちれば、俺の生存率も下がる。だから助けるんだ。勘違いするな」
彼は損得勘定のようなことばかり言っていた。 けれど、その体は私のために震え、その心臓は私の耳元で力強く脈打っていた。 魔力も才能もない、ただの「荷物持ち」の彼が、自分の命を削って私を生かそうとしている。
その時、私の中で何かが壊れ、そして何かが生まれた。
この熱が欲しい。 この心臓の音が欲しい。 この人が、欲しい。
私の命は、この人のものだ。 だから、この人の命も、私のものだ。
吹雪が止むまでの長い夜、私は彼の体温に包まれながら、暗い情熱の炎を心に灯したのだった。
◇
(ナオト視点)
「……ッ」
ダンジョンの薄暗い通路を歩きながら、俺は背中に突き刺さるような視線に耐えていた。 後ろを歩くルナは無言だ。 だが、あの「読心」スキルが、彼女の脳内垂れ流しの回想シーンを俺に見せつけてくる。
『あの時のナオト……温かかった……』
『私のために、自分のコートをくれて……震えながら私を抱きしめて……』
『噛み砕いたパン……ナオトの味がした……』
『美味しかった……もっと欲しい……』
(勘弁してくれ……!)
俺は顔を引きつらせながら、必死に足を動かした。 あの遭難事件のことは覚えている。 確かに俺はルナを助けた。だが、それは純粋に彼女が死ねばパーティーが崩壊し、俺も森から出られなくなる可能性が高かったからだ。 食料を口移し(に近い形)で与えたのも、彼女が衰弱して咀嚼できなかったからこその緊急措置だ。
それを、まさかこんな風に解釈されているとは。 「ナオトの味」ってなんだよ。ただの唾液混じりのパンだぞ。
『今のナオトの背中も素敵……』
『このままダンジョンの奥深くで……また遭難ごっこをしたい……』
『今度は私がナオトを温めてあげる……服なんていらない……お互いの肌だけで……』
『ふふ、ふふふ……』
思考がどんどん危険な方向に転がっていく。 遭難ごっこってなんだ。命がけの状況を「ごっこ」にするな。 Sランク冒険者の思考回路は、どこかネジが飛んでいるのかもしれない。
「……どうかした?」
俺が立ち止まって振り返ると、ルナは何食わぬ顔で首を傾げた。 その表情は相変わらず能面のように冷たい。
「なんでもないわ。魔物の気配がないか警戒していただけ」
嘘をつけ。 今、俺の背中を見てヨダレを垂らす妄想をしていただろう。
「そうか。……あまり後ろからじろじろ見ないでくれるか。落ち着かないんだ」
俺が遠回しに言うと、ルナは小さく頷いた。
「自意識過剰ね。誰が貴方なんかを見るものですか」
口ではそう言いながら、脳内では新たな絶叫が響く。
『バレた!? 視線だけで感じ取ってくれたの!?』
『やっぱりナオトとは運命で繋がってる……!』
『私の視線を感じて興奮してるのね……変態……好き……』
(お前がな!!)
俺は心の中で盛大にツッコミを入れながら、再び前を向いて歩き出した。 このダンジョン探索、魔物よりも背後の魔女の方がよっぽど心臓に悪い。 早く依頼を終わらせて、街に帰りたい。切実にそう思った。
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