第12話 忘却の王、灰色の審判

サルナスの中心部。

かつて『一千の象牙の階段』と讃えられた神殿は、

今や毒々しい沼に半分以上が飲み込まれ、無残な骨組みを晒していた。



水面に突き出した神殿の頂。そこには、

そこにあったように一人の男が座していた。


全身を黄金の甲冑に包みながらも、その輝きは失われ、

煤けた灰色の影が染み付いている。


黄金の神ロボン。

かつてこの都の繁栄をその双肩に担った守護神は、


崇拝者たちが泥に沈んでなお、その場所を去ることができずにいた。

彼の傍らには、一本の槍が突き立てられている。


神槍『ブリュム・ゲイ』。


かつて雷光を放ち空を裂いたその穂先は、

今は主の絶望を反映するように、どんよりとした灰色の光を放っていた。



「……あれが、黄金の神。まるですべてを諦めて、

 石になってしまったみたい」


背後の従者の少女が、微かな声を漏らす。ヌトセ=カームブルは、

水面に浮かぶ神殿の残骸へと静かに跳躍した。


彼女の足が石畳に触れた瞬間、死んだように動かなかったロボンの首が、

錆びついた歯車のような音を立てて動いた。


「……立ち去れ、旧神よ。ここは、終わった物語の墓標だ」


ロボンの声は、風に削られた岩石のように掠れていた。


「墓標にしては、あまりに重苦しい。ロボン、貴様ほどの神が、

 なぜ未だにこの腐敗した沈黙を愛でている」


「愛でてなどおらぬ。……私は、見ていたのだ。

 この都の人々が、慢心の果てに隣人を虐殺し、

 その報いとして湖から現れたものたちに食い殺されるのを。


 ……私は救えなかった。

 いや、救う価値さえ見失ったのだ」


ロボンは力なく笑い、灰色の槍に手をかけた。



「この槍は、かつてサルナスの繁栄を護った。

 だが、人々の欲望を止めることはできず、今はただの呪われた遺物と化した。


 ……ヌトセ=カームブルよ、貴様はこの血塗られた歴史を、

 その手で引き受ける覚悟があるというのか」


ヌトセ=カームブルは、腰から神剣ラグナ・シーを静かに抜き放った。

白銀の刃が、よどんだ空気の中で鮮烈な光を放つ。


「私は過去の亡霊をとむらうために来たのではない。

 未来を拓く力として、その槍を迎えに来たのだ」


「未来だと?

 神も人も、いつかは自らが築いた虚栄の海に沈む。

 それがこの世界のことわりだ」



「否だ!!」女神の強い言葉が、沼を震わせた。


「貴様が見捨てた人間の中に、独りで深淵を駆け抜け、

 私の心を震わせた男がいた。


 アリオン・シー……。奴は絶望のどん底でさえ、

 明日という『火花』を信じていた。私は、その意志を繋ぐと決めたのだ」


ロボンはゆっくりと立ち上がった。その瞬間、

彼の全身から灰色の雷光が迸り、沼の水を蒸発させる。


「ならば、示してみせよ。貴様の語る『意志』が、

 私の数千年の絶望を上書きできるものなのか。

 ……この槍、易々やすやすと渡すわけにはいかぬ」


刹那、灰色の雷光が女神を襲った。

ロボンが放つ槍の一突きは、空間を歪め、


死者の怨念を乗せた重圧となってヌトセ=カームブルに迫る。



対する女神は、神剣ラグナ・シーを掲げ、

神速の斬撃でそれを迎え撃った。



  音は消え、空間は震え、大気を震わせながら、



雷鳴と剣気が衝突した轟音、白銀の剣気と灰色の雷鳴が激突し、

サルナスの廃墟を揺るがす衝撃波が巻き起こる。


ロボンは驚愕に目を見開いた。


女神の力は、

かつての彼女が持っていた『静かなる秩序』ではない。


そこには、爆発的な生への渇望と、

他者のために振るわれる熱量が宿っていた。



「……これが、貴様の力か!

 人間の記憶と交じり合い、変質したというのか!」


「そうだ! ロボン、貴様も目を覚ませ!

 過去と共に沈むのは、神の役目ではない!


 滅びを恐れぬ心、

 それこそが真の愛だと、あの男が教えてくれた!」


ヌトセ=カームブルは神剣を真っ向から振り下ろした。


ラグナ・シーから放たれた光の奔流が、

ロボンの灰色の雷光を切り裂き、

彼の鎧に刻まれた呪いの紋様を焼き払っていく。



光の渦の中で、ロボンは見た。

女神の背後に重なる、


すすけた剣を杖に笑う一人の人間の幻影を。



「……フ。……ハハハ! そうか、まぶしいな、旧神よ」


手から力が抜け、灰色の槍がその輝きを取り戻し始める。


ロボンの唇に浮かんだのは、滅びの神ではなく、

かつて民を想った守護者の、疲れきった安堵の微笑だった。



一騎打ちの果て、女神が示した『爆発力』は、

忘却の王の凍てついた心を、確かに打ち砕いた。




――第13話へ (人間を見捨てた理由)

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