第7話

キン、コン、カン、コン——。

無機質な鐘の音が淀んだ空気を切り裂く。

鼓膜を打つその音は、熱に浮かされていた私の意識を冷徹な現実へと引き戻した。


「……あ、…………っ!」


心臓が喉から飛び出しそうなほど跳ねる。

我に返った瞬間、自分の置かれた状況の異常さに全身の毛穴が開いた。

ブラウスの隙間に滑り込んでいた零華の指先が、名残惜しそうに私の肌をなぞりながら離れていく。


「……チャイム、鳴っちゃったね」


零華の声は、少しも乱れていない。

それどころか、彼女は乱れた私の襟元をお気に入りの人形を整えるような手つきで丁寧に直し始めた。銀色の髪が窓から差し込む光を反射してキラキラと輝いている。

さっきまで、あんなに熱っぽく私を追い詰めていた人間とは、到底思えないほど涼しげな顔だ。


(……何、これ。夢……? いや、そんなはずない。まだ、ここが、熱いし……)


私は震える手で、開けられたままのボタンを留め直した。指先がうまく動かない。

プラスチックの小さなボタンが、まるで巨大な岩石のように重く感じられた。

自虐的に語彙力カスと自称する私の脳内ですら、今の感情を表現する言葉が見当たらない。


「…………っ」


私は一言も発せられないまま、ただ、零華の顔を凝視することしかできなかった。顔が熱い。

視界の端で、自分の黒髪のおかっぱが小刻みに揺れているのがわかる。

中学の三年間、誰の視界にも入らないように壁の花として生きてきた私の平穏が、このわずか数分間で木っ端微塵に粉砕された。


「佳奈子ちゃん。続きは、また放課後、ね?」


零華は、耳元でそう囁くと、何事もなかったかのように歩き出した。

その背中は、どこまでも凛としていて、誰もが憧れる王子様そのものだった。

彼女の後姿を見送りながら、私はその場にへなへなと座り込む。


(放課後、って……嘘でしょ。まだやる気なの、この人……)


冷たいコンクリートの感触がスカート越しに伝わってくる。イチゴオレの人工的な甘ったるい香りが鼻腔に残っている。

さっきまで私の内側にあった彼女の指の感覚が呪いのように消えない。

世の中には、おはようと言わなければならない理由も、時給1000円で人生を切り売りする理由も、解決できない謎がたくさんある。

けれど、今の私にとって最大の謎は、なぜこの銀髪の王子様が私のようなズレた人間を見つけ出し、こんなにも熱くなるのかということだった。


「……ろくでもない……朝だ……」


ようやく絞り出した独り言は、誰に届くこともなく埃っぽい踊り場に消えていった。

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わたしの付き合う相手が王子様なんて聞いてない!! 空落ち下界 @mahuyuhuyu

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