第4話

授業を告げるチャイムが鳴り響く。

それは私にとって、ようやくこの至近距離の監獄から解放される合図のはずだった。

皇零華は席を立つ気配を見せない。

それどころか、彼女は頬杖をつきながら、じっと私の顔を観察している。

銀色の髪がさらりと肩からこぼれ落ち、私の机の端に触れた。その細い毛先すら、猛毒を孕んだ触手のように思えて気が気でない。


「…………な、に」


ようやく絞り出した言葉は、砂を噛んだようにザラついていた。一度で届かなければ、もう言わない。

そう決めているのに、彼女の視線が私の唇に釘付けになっているせいで、逃げ場を失った言葉が喉の奥で渋滞を起こしている。


「佳奈子ちゃんって喋る時、一生懸命に言葉を探してる感じがするね」


零華の声は、クラスの喧騒の中でも不思議とはっきりと届く。一生懸命?そんな殊勝なものではない。

私の頭の中にある言葉の辞書は、経年劣化でページが癒着しているのだ。

無理に剥がそうとすれば破れてしまう。だから、私は黙ることを選んできた。中学の三年間、教室の片隅で石ころのように過ごした時間は、私から外に発信するための神経を完全に退化させた。


「……別に」


そっけない返事。

これ以上の追及を拒む鉄壁の拒絶。

普通なら、ここで会話は途切れる。

相手は愛想笑いを浮かべて去り、私はまた一人、快適な孤独の沼に沈めるはずなのだ。

だが、この王子様は、私の常識という枠組みを軽々と踏み越えてくる。


「そっか、ならお昼。一緒に食べないかい?」


心臓が嫌な音を立てた。誘いという名の暴力だ。

私にとって食事とは、誰にも邪魔されず、一人で栄養を摂取するだけの事務的な作業に過ぎない。

誰かと向かい合い、味の感想という実体のない情報を交換しながら咀嚼するなんて、高度すぎて吐き気がする。


「……無理。……お弁当、ないし」


嘘だ。鞄の中には、母が適当に詰めた茶色い弁当箱が眠っている。


「なら、購買に行こうよ。私が奢るから」

「……は? なんで……」

「ぶつかったお詫び。それに、勉強教えてもらったお礼。ダメかな?」


零華が少しだけ首を傾げる。

銀髪の隙間から覗くその瞳が、湿り気を帯びて私を射抜いた。卑怯だと思う。自分の容姿が他人に与える影響を彼女は、完璧に理解している。

拒絶の言葉を飲み込ませるための、無言の圧力。

私は、彼女の指先が私の袖口を軽くつまんでいることに気づき、全身の血が指先に集まるような感覚に陥った。


「……一回だけなら」


負けた。意志の弱さに絶望しながらも、私は彼女に引きずられるように席を立った。

廊下に出ると、周囲の視線がレーザー照射のように私たちを焼きにくる。


「何、あの組み合わせ」

「銀髪の人、誰? 留学生?」

「隣のおかっぱ……あんな子、クラスにいたっけ?」


ひそひそ声が耳鳴りのように響く。

私は頭を下げ、防壁であるおかっぱ頭をさらに深く沈めた。

不意に私の左手が温かい何かに包み込まれた。


「っ!?」


指の間を彼女の細長い指が滑り込んでいく。

恋人同士がするような、深い指の絡ませ方——いわゆる、恋人繋ぎ。


「ちょっと、放し……っ」

「はぐれたら大変だからね。行くよ」


零華は、前を向いたまま楽しそうに笑う。

その掌は驚くほど熱い。女子の手がこんなに熱を持っているなんて知らなかった。

中学時代、一度だけ体育の授業で手をつなぐ場面があったけれど、あの時の乾いた感触とはまるで違う。脈打つ鼓動が繋いだ部分から直接私の体に流れ込んでくるようだ。


(何なの、この人……本当におかしい)


心の中で叫んでも、外に出る言葉はない。

私は、繋がれた手の熱から逃げるように、ただ彼女の後ろを付いていくことしかできなかった。

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