第2話 卵

クラルたちの一家が暮らすのは、王都の第三階層区、その中でも、第四階層区との境に近い貧民街だった。通りの正式な名称はあったものの、誰もが「ドブネズミ横丁」と呼ぶから、正式な名称で道を尋ねる者があれば、かえって、たどり着かないことがあるほど、荒れた、貧しい地域だった。

その横丁の入り口、雑貨屋の隣にある短い路地の行き止まりに「狭間」を作り、見えない通りをこしらえて、みんなで引っ越してきたのは、クラルが三つになるか、ならないかくらいの時の話だ。

クラルの父は、一族で一番腕の良い付与術師だったが、一族の決まりで、流しの仕事は受けない。

一族か、他の信頼のおける付与術師の人伝ての紹介でしか仕事は請け負わない。

特に、王族や貴族からの依頼は念入りにチェックされるから、仕事の量は多くなく、当然、収入もそれに比例する。

ここでの暮らしは「狭間」の外ほどではないが、楽ではない。

それでも、クラルにとって、父は誇りだった。

皆が、クラルの父の腕を讃える時、クラルは、我がことのように興奮して、鼻が高かった。

「バカみたい、クラルじゃなくて、クラルのお父さんが、すごいだけでしょう!!」

二軒隣の同い年のテュテュに、そう言われて高くなった鼻を折られた時は半べそをかいたけど、父の元で修行を積めば、きっと、父に負けないくらいの付与術師になれる。

そしたら、テュテュの前で、魔法を付与した剣を見せびらかして、悔しがらせるんだ。

それが、今のクラルの、大きな野望だった。

そんなことを、妄想していると、クラルの父は、空になった椀にスプーンを置き、黙って工房に入って行った。

クラルは、父の背中を見送りながら、まだ何か作業が残っているのかと、いぶかしんだ。

父は、一旦、工房に入ると、区切りがつくまで出てこないが、工房から出てくれば、その日のうちに改めて作業を再開することは滅多になかったからだ。

しかし、すぐにまた工房の扉が開き、戻ってきた父の両腕には生まれたての赤子ほどの大きさの黒い卵があった。

「これを、孵し、育てろ」

テーブルの上に、卵を置いた父の唐突な言葉に、クラルは意味がわからなかった。

「父さん、これは、どういう?」

「十二歳を過ぎた最初の満月の夜、我が一族で付与術師を志す者は、最初の修行として、師が渡す卵を育てなければならない。これができねば、付与魔法は使えぬ」

クラルの父は、そう言って、その大きな卵をクラルの前に置いたのだった。


「父さん、これは、どうしたら……。温めたらいいの?」

クラルは黒く光る大きな卵を前に、少したじろいだ。ろうそくの薄暗い明かりで、黒い卵は、ますます不気味に見える。

「肌身離さず、一緒に過ごせ」

「え?一緒にいるだけでいいの。温めたりは?」

「一緒に過ごすだけでいい」

父の取り付く島のない言葉に、クラルは恐る恐る卵に手を伸ばし、指先でほんの少し触れてみた。

硬い。

予想以上に、岩のように硬い卵の殻に触れ、クラルはそのまま手を広げ、ペタペタと触ってみた。

「意図的に割ろうとしなければ、割れるものではない」

クラルが卵をペタペタと触っている様子から、クラルの父は、クラルの心配を見抜いたのだろう。

「割れる心配もだけど、お父さん、これは何の卵なの?」

クラルは、市場でよく売っているクリーツァの卵以外見たことはないし、こんなに大きな卵が世の中に存在すること自体、知らなかった。

このサイズの卵から生まれる雛であれば、成長して成体になれば、相当な大きさになるに違いない。そう思いながら、クラルは中腰になって、卵の殻に、そっと耳を押し当ててみた。

ひんやりとした卵の殻の冷たさが、クラルの耳を通して首筋まで伝ったが、卵からは何も聞こえなかった。

「まだわからない」

「まだ?」

父の言葉にクラルは卵に耳を押し当てるのをやめ、立ったまま父の言葉を繰り返した。

「この卵は昔から伝えられた方法で、カディールの卵に付与術をかけたものだ。きちんと世話をすれば、3週間ほどで中から魔獣が孵る」

「魔獣が孵る?」

カディールは、王都周辺の水辺に生息する、かなり気性の荒い肉食の獣だ。体が鎧のような鱗に覆われていて、力が強く、特に尾の一撃は王都の警備兵の鎧も簡単にひしゃげてしまう威力がある。

「この付与術は特別なものだが、きっかけに過ぎない。どんな魔獣が生まれてくるのかは、卵が孵化する3週間の間、一緒に過ごした者の生命のあり方に左右される」

「生命のあり方に左右される……」

「そうだ、だから、たとえ同じ術を施した同じ獣の卵であっても、卵を孵す者のありようによって、全く違う魔獣が孵ることがある」

「違う魔獣……」

「お前はこれから、3か月が経った後、最初に来る満月の晩まで、この卵から孵った魔獣を育てなければならない。もし、お前が卵を孵せなかったり、生まれた魔獣を育てられなかったりしたら、お前は魔法を修得できなくなる。だから、当然、付与術師にもなれない」

父の、当然の部分を強調した言葉に、クラルは身が引き締まる思いがした。

「これが付与術師を目指すお前の最初の修行だ」

父の言葉に、漠然と父の後を継ぐといった将来の遠い夢が、急に現実の問題として目の前に立ちはだかったことを実感したクラルは、緊張するのと同時に、父と母、それに一族のみんなにも、自分の力を見せてやろうという思いが体中に漲った。

しかし、その思いの前に、現実的な疑問がクラルの頭をよぎった。

「あのお父さん、1つ疑問を聞いてもいい?」

「なんだ?」

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始まりの合図 イロイロアッテナ @IROIROATTENA

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